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Paparazzi by Radwimps

私はYouTubeでよく音楽を聴くのですが、久々にRadwimpsの曲を聴いたので、彼らについてまとめていこうと思います!

私は彼らの「透明人間18号」や「マニフェスト」のように穏やかな曲も好きなのですが、「学芸会」「狭心症」「五月の蝿」のように少し過激で狂気的な部分を感じさせる歌の方がラッドだなぁと個人的に思います。

高校へ入学すると同時に、音楽への趣味嗜好が変化し段々彼らから離れ、年に数回程しか聴かなくなってしまいました。しかし先日彼らの「Paparazzi 」という曲を聴き、やはりラッドだなぁと再度思い起こさせられました!

全体を通してこの曲は、芸能関係のスキャンダルなどを取材する父親、その父の職業を慕う息子、そして取材記者への憤りを感じる芸能人の3つの視点から口語体で構成されています。

父親は娯楽を人々に提供するために働き、仕事に誇りを持っていることを息子に説明します。息子は、周知からの批判に耐え、体力的にも根気強く働く父に尊敬の念を抱きます。

著名人側の視点からは、記者らの倫理に反した行動によって私生活を荒らされる様子が描写されています。そしてそんな窮地な状態にもかかわらず、さらに国民からの社会的制裁により(あくまで予想)精神的に追い詰められ自殺を図るシーンも含まれています。

私はこの歌を聴いた時、遠藤周作の作品「海と毒薬」を思い浮かびました。大まかな内容は太平洋戦争の際に捕虜された米軍兵数名を結核治療の発展に基づき、研究のサンプルとして試行するお話です。その非人道的な実験に加わる主人公、勝呂は日々道徳的観念と葛藤します。彼とは正反対の同僚、戸田は医療進歩のためと思い実利主義の考えを持っているので良心の呵責など微塵も感じません。

話はRadwimpsの「Paparazzi」に戻り、私は個人的に、記者たちの中にもしかしたら戸田の見解に沿った方々は少なからずいるのではないかと思います。倫理観よりも世間が求めるもの、歌詞のように「恥ずべき行為」だと認識する者がいたら、この職業やその媒体は何十年も続いているはずがないでしょう。一般市民とはかけ離れた生活や隠し事を覗き見ることは確かに娯楽の一部となり得ると思います。しかし行き過ぎた取材過程により対象となる人物が精神を病み、最悪命を落とす、そんな状態にさせることが本当に世間が求めてることなのかは疑問に感じる所です。

私が感じるRadwimpsらしい曲を久々に聴き、やはりいい歌だなぁと他の曲も聴き返すことができたので、またこういう体験をしたらnoteに書き留められたらなと思います!




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