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のんきなとうさん昭和旅日記 青森尻屋崎 

尻屋崎

尻屋崎終点から折り返した空のバスがもうもうと砂煙をたてながら
西側最後の集落に戻ります。
春休みを利用してふらりふらりしている僕の他には、利用する人もいません。
風景が開けたので一つ手前の停留所で降りてしまい、軽率だったと大変後悔しています。
バスの戻った時間からして尻屋崎までは、けっこう遠そうなので絶望的です。
おまけに尻屋Y.H.(ユースホステル)は尻屋崎から南東へ更に歩く必要があります。この区間に交通機関はありません。
尻屋崎は、まさかりの形の下北半島の北東に突き出た地です。
最北端はマグロの一本釣りて有名な大間崎の方です。
北海道の函館より東の地域が見えるので北の果てという感じは少なく、海岸から10メートルぐらいのところに広い道路があり 内側は牧草地になっています。寒立馬(かんだちめ)という脚が太く体のがっしりとした馬がいます。
海抜は1-2メートルというところで、広々していて良いのですが
風がやたらに強く 大波でもくれば確実にさらわれるかも・・・

 そんな風景が脳裏に迫ってきたのは、もらったカレンダーの日本地図を眺めていたときでした。
中学、高校時代はクラブでも個人でも休みは朝早くから自転車であっち行ったり、こっち行ったりしていました。
観光地にはあまり興味のない僕は、辺鄙な集落を日本の原風景として
尋ね歩くことが多い学生時代でした。
日本地図を眺めているとその場所の風景が浮かび懐かしい想いが蘇ります。1977年ぐらいのことでしょうか。
この昭和旅日記も曖昧な記憶で綴っていますので、なんか違っていても
ご容赦を。

下北半島の観光と言えば、やはり恐山や仏ヶ浦、大間崎でしょう。
横浜町の日本一の菜の花畑やヒマワリ畑も1997年ごろから名を馳せているようです。
後にかみさんと旅行で訪れていますが、霊場恐山は威圧を感じる場所です。
お土産屋さんに、幼いころに川崎大師で買ってもらったものと同じ絵本「天国と地獄」が売っていて感激しました。天国では長い箸を使ってお互いに食べさせ合うというラストシーンの絵をみて、こども心に面倒だと思ったものです。とっくに絶版している絵本でした。
近くの薬研温泉に泊まりましたが、カメムシ大繁殖で大変でした。
 大間崎ではおいしいマグロは食せず やはり食は豊洲(築地)に集まるのだと思いました。九兵衛の大間産にぎりも最高でしたし!

尻屋崎Y.H.(ユースホステル)

尻屋崎から東側をへしばらく歩いて南下すると尻屋の集落になります。
小さな漁村です。この間の交通機関はありません。
ここのYHは民家という感じでとてもアットホームです。
YHは、2段ベット8人部屋が標準ですが、ここは畳に布団で雑魚寝です。
YH裏の小高い山を、15分ほど駈け上ると北海道が良く見えます。
夜は降るような星がまたたき、部屋の窓を開け放して、しばし見とれてしまいました。なんとも言えぬ迫力があり 東から西へいっせいに移動する星を見て「UFO」だぁと騒ぐ者もいて
春休みを謳歌する学生たちのにぎやかな夜となりました。
 親のすねをカジって大学へ行く身であったので、定宿はユースホステルでした。当時のYHは、団体でのゲームを強制されるような青少年の宿で
まったく気に沿わなかったのですが、一泊2食付きでとにかく安かった為
致し方ありませんでした。
大学の卒業までの4年間にYH宿泊は100泊を数えました。
理工系でしたので、休みも実習などでバイトがあまり出来ずにいました。
文系がうらやましいと思いましたよ。
節約して旅していたので学生時代は観光地の名物、特産品にはあまり縁がありませんでした。
2023年現在のYHは、どんどん減ってしまっていて この日記に出てくる大半のYHは もうないかもしれません。   

  皇居

接客のアルバイトを好まなかったので、ボーリング(地面に穴をあけて地盤を固める)だの
造園などの肉体労働をしていましたが、このとき皇居二重橋前の芝換えなる仕事がありました。
カーター大統領などの貴賓客があると、その間作業をしてはいけないので
目立たないように芝に寝っ転がって馬車が通るのを眺めたり、
古い芝を皇居内のテニスコート奥へ置きにいったりと、なかなか面白い体験でした。
何をやるにも各省庁の許可がたらい回しとなり「こんなことで日本はどうなの」と思っていましたが、半世紀が経っても変わりませんね。
とにかく皇居内は自然が豊富で雉や狸も生息しています。
お堀でさえ大きなライ魚がゆうゆうと泳いでいました。
我々は桔梗門という処から出入りしていましたが、ここは糞尿の排出門だったそうです。
少年Hがベストセラーになったエッセイスト?の 妹尾河童さんの絵本?に 皇居の鳥瞰絵があります。一度ご覧あれ。
河童の覗いたニッポンシリーズで何冊かあります...トイレのシリーズもおもしろいです。
いろいろな鳥瞰図とエッセイで綴られた面白い本です。

満点の星空

尻屋YHで満点の星空を堪能しましたが
1986年、ハレー彗星が接近するというので信州大泉高原のペンション森の椅子で仲間家族と観測会をしたことがあります。
満天の星空と、やたらに寒かったことが印象的でしたが、彗星はよくわからりませんでした。
1997年はヘールポップ彗星の話題でにぎやかでした。
4月に山梨清里の清泉寮のところで見ましたが
肉眼でもはっきりと見ることができました。たしかにデカイ
1998.11獅子座の大流星群が日本でみられるということでしたが
降るような流星群ではなくて残念でした。
自宅の前で見ましたが、3個ほどしか見られませんでした
それにしても街灯のなんと明るいことか。

 信州乗鞍近くの高ソメキャンプ場には天文台があり、
近くの大学であろう天文部の学生が説明会を開催してくれます。
キャンプ場の端の小高い丘の上にあるのだが 観測の障害になるので丘の周辺には明かりがありません 懐中電灯で道を探しながら行くのですが
普段 町にいて本当に真っ暗な夜道を歩いたことのない子ども達は
怖くて足がすくんでしまうらしく こわごわと足を前に出し 
ギュと親の手を握りしめます。
その様子は 可愛らしくもあり、愉快でもあります。

 公営のキャンプ場としては人気のある、常北家族旅行村ではスライドで説明があった後に天文台での見学となります。いずれも立派な設備です。

 ペアレントが星好きのYHでは、夜星の見学会を催すことがあります。
菅平YHでは双眼鏡で見える双子星などの身近な星の話を伺ったことがあります。             

 星を眺めながらいつも思うのは、この地球のことです。
宇宙飛行士の方が宇宙から地球を見て 命のバリアである大気層が薄いことに驚いたと言っていました。
この薄い大気層のなかに棲む生物の中で、人間は地球のがん細胞でしかありえないのか・と

人は ほんとうのいいことがなんだか 考えないでいられないと思います。                      イーハトボ農業学校の春より 宮沢賢治

von voyage


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