2024/08/08

ここのところ大学生の子と話すことがよくあり、大抵の人が「日記・小説読みました!」と言った口火で話しかけてくれることが多い。実際にこれを読んでくれている人間がいるとは、などと謙遜を言うつもりはないが若い子は読まないと思っていた。なにせ俺と毎日ゲームをしていて話している時間なら誰よりも一番の一つ年上の人間は俺の日記を「一回も読んだことない」と言うくらい読んでいないのだ。ここにコメントを残す人間含め、俺のnoteの話題を出すのは40代以上の中年層が多く「若者の文字離れ」をこんな太平洋の端のブログですら感じていたものだがだがいざ長年やってみると俺の日記を読んでいるのは大学生くらいの子と40代以上の中年層という2層構造になっていることが判明して、これはつまり時間のあるやつしか他人の日記を読んだりしないという証左なのではないか。

ゲイのおじさんなんて言うまでもなく時間を持て余す存在として有名だが、その双璧として大学生も確かに時間の有り余る期間であることは確かだろう。俺が大学生のころなんて西川きよし師匠よろしく目ん玉をひん剥いてちんぽを大発見するために街を徘徊していたものだが確かにあのような行動も時間があるから為せるわざだったのだ。大学生はウマ娘でデイリーミッションを終えた後に暇になって講義中にでもこれを見ているのだろうが、しかしそう考えると俺は大学生との接触チャンスをこの日記がオワコンとして飽きられるまでは獲得できるわけだがしかしそんな能天気でいたらすぐにでも俺はオワコンになり、いやもう既になっているかもしれないが、いや今がもうオワコンなのだとしたら俺の最盛期とはいつだよという話になるので俺はまだオワコンではない。オワコンとは相対的な評価の中で生まれるのであって、じゃあ試しにウケることでも言ってみるが

バスケの試合中に2本のちんぽを舐めてしまう反則 ダブルフェラチオ

これが俺の限界と思わないことだ。

若い子と話すと俺はもう立派な大人であるという事実を会話の中でひしひしと感じる。28歳は確かに学生から見れば酸いも甘いも知っているお兄さんだが、現実の俺は上司からの𠮟責にガタガタと体を震わせる平社員である。ベジータがフリーザにビビって泣いたのが30歳の頃と言われているので俺もまだまだ泣いていいという自信にしているが、しかし威厳というものはいつになったら身につくのかとベッドの上で足をピンと伸ばしながら考える毎日である。

後進の育成、という命題が人生の中にはあると思う。仕事上では後輩もおり指導をする立場ではあるのだが、先に生まれたものとして後ろを歩く若者の標となるような生き方をいずれしなければならないと心の片隅では思っている。俺の周りのゲイの30代はSEXのことしか考えておらず、いずれ来るであろう30代にも俺は肩肘張らず挑めるってものだがしかし人生とは何を残せるかとも言う。若者になにかを押し付ける気はないが、せめて良い影響を与えれたらと思う。Twitterでいいねを稼げる方法でも教えるか。貸せ。ゲイのTwitterはこうやるんだ。

SEXの2乗 SEX SEX

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?