2024/07/25

机の上にどんとペットボトルのお茶が置いてあり、しかしそんなことも気にしないままマウスを右へ左へ振っていたら当然のごとく腕がペットボトルに当たり更に具合の悪い事に蓋が緩んでいたものだから机から床へ、お茶は滝のようにこぼれていってしまった。FPSの感度が低感度過ぎるからこんなに腕を振らないとまともにエイムができないのだ。VALORANTはネオンがうざすぎる。

床にこぼれたお茶をタオルで拭いている時、又は綿棒がひっくり返って地面に散乱しそれを拾い集めている時など、そんな姿をいつもの通り俺のネガキャン俯瞰癖によって空から日本を見てみようなどとしてみると俺って非常に惨めだなと感じてしまう。一人暮らしの男が這いつくばって床を拭いているとなんだか悲しくなって、こんな俺を誰かに認めてほしいという欲求が途端に湧いてくる。でも見てよ今の僕を、クズになった僕を、と誰かが歌っていたが、間抜けで惨めな状況なんて誰にも見られたくないと思いきや独りの時間が多くなると床に飲み物をこぼした自分こそを見ていてほしくなる。今から飲み物拭くからそこで見てて、なんて誰かに言える環境は素敵じゃないか。

俺って今惨めだな、なんて感覚が自分の中に勝手にあるから一人で行動できることがほとんどなくなってしまった。人前で恥をかきたくないという自尊心と誰かといれば自分は惨めにならないのではないかという期待が同時に存在している。

自分の中の惨めな感情って誰かに見てもらってちょっとした笑いに変えてやればその泥のような暗い感情も黄色いバターのようにじわりと溶けていって甘い思い出に変わっていくような気がしている。
自分自身への期待ってもう殆どないからカッコいい自分を見てほしいというよりかは飲み物をよくこぼすような情けない自分を曝け出してそっちを認めてほしいと思ってしまう。気になる人の前でカッコつけるなんてのはもう出来なくなっていて、みんなだってそうじゃないか?インスタにキラキラした思い出を飾るのはもうやめて床に落ちている陰毛の数をインスタで報告して欲しい。

昨日は土用の丑の日だったらしいが、高級なウナギを食べました!と報告する人よりひっそりと誰にも言わず松屋の中でうつむいて鈍い光を放ちながら850円のうな丼を食べている人間こそ愛らしく、俺はそういう人に俺のオールを任せたいよと思う。というか俺が消えて喜ぶ者に俺のオールを任せる状況なんて果たしてあるのか?

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