2023/03/21

恐らく俺が何度生まれ変わっても考える事があってそれは愛の事なのですが俺が無人島で麻を編んでいる人生だろうと砂漠の上で星を数えている人生だろうときっと俺は愛というものについて考えるのでしょうが俺の言う愛とは個人への愛ではなく概念的な愛の話で光とか風とかそういうものと同じ感じの愛です。今日は愛の話をしようと思っていますがクレイヴ・サーガの事しか考えておらず愛に興味のない人には申し訳ないです。そういう人は去りなさい…

俺は愛についてよく考えるが愛の事は全く分かっておらず特に恋人への愛については世間とのズレが気になっており俺は友人への愛、家族への愛と恋人への愛の違いが実は全く分かっていない。それらの愛は俺からしたら全く同じ場所から放たれており恋人にしろ友達にしろ等しく同じ感情なのです。愛だから2人の間に特別のものが宿るとかそんな事は全くないと思っていてだからこそ特別なものがあるように愛でるのがSEXでありしかしSEXで何か生まれるかと言ったらそんなものもなくどうしようもない性欲とかそういう愛とは別の感情が愛と混ざり合って全く訳のわからない感情に陥ることは確かにあるのでそれ自体は甘美であると捉えてはいるのだが、結局はどちらかの又は双方の一方的な感情で成り立つのが愛であってそれは友情などと一緒でそこにまったく違いを見出せていないのです。

愛に伴う責任とか社会形成とかそういう現実的な側面を全て度外視した呑気な意見である事は自覚しているが、人間が誰かと一緒にいたいと思う事にわざわざ恋人として付き合うという箱を特別に用意してラッピングしてやる必要は全くないと思っていてそれによって男女の違いがどうだ男は奢るものだとか女は家庭に入れだとか言って自分達が一緒にいたいという感情にルールを課すのはなんとも美しくない事で今書いた事はゲイに関係ない事ですがお互いが相手と一緒にいたいと思うだけでそれが契約関係としてルールに縛られお互いの人生を狭めるのはなんなのかと俺は現代の愛について考えてしまいます。

こんな事を書くと愛があるならなんでもしてもいいと考えているのかと思うでしょうが、俺たちが愛以上に考えるべき事は誠実さというものであり全ての物事は誠実さの上に立っているのだ。愛があればなんでもしていいとは思っていないが誠実さがあればなんでもしていいとは思っている。というか愛とは可愛いから愛すとか男だから愛すとかそういう事ではなく人間を愛する事です。あなたが人間として誰かを愛しているのならそこには自ずと誠実さが宿るだろうし君の事を想って駆け出してしまいそうになる朝があるだろうし眠れない夜を繰り返し自分を許せなくなりいずれ海を目指すために舟を編みそして後は本人達で考えて下さい。
特に誰も人間として愛する人がいないというならクレイヴ・サーガをやって下さい。あれはエロいのでオススメです。さようなら。

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