俺たちの無意味な恋愛

都心まで電車で2時間ほどの立地にあり、田舎というには田舎に失礼であるし都会というには都会におこがましいというレベルの駅前にてキャッチのお兄さんが「おっぱいどうすか、おっぱい」と呼び込みをしている。歌舞伎町のキャッチが「さぁ今日も両手いっぱいにキャッチをしますか」と仕事の意欲に溢れているキャッチだとしたら、この街のキャッチにそういった意欲を感じることは出来ず、ただ義務的に目の前を通り過ぎる男に「おっぱいどうすか」と語りかけるだけの機械になっている。これなら呼び込みくんに「おっぱいどうすか」と語りかけてもらった方がよほど人の目を引くだろう。

「お兄さん、おっぱいどうすか。おっぱい。」

おっぱいのマシンガンの前を通り過ぎ目的の居酒屋に向かう。俺はおっぱいより雄っぱいの方がいいな。それに金で買うマネーおっぱいにはきっと悔しさとかお金の匂いがするんではないだろうか。女性には自分が生きやすいように生きていってもらいたい、と無責任なことを考えながら俺は「千円で酔える!」と豪語する看板の居酒屋の扉を開けた。


「このままでは非常にまずい」
氷が多いおかげで異常に冷たいという点以外褒めることのないハイボールのジャッキを机に叩きつけながら、俺は二人に呼びかけた。机の上には砂漠で育てられたのかというほど中身がカスカスの唐揚げと絶対に冷凍食品なのに世の中の全ての冷凍食品よりまずいたこ焼きたちが誰にも手をつけられずぽつんと取り残されている。飲み会は佳境に差し掛かっていた。

「なにがまずいんですか?」

「卒論だよ。俺の卒論が全くもって完成しない。俺が1万文字書いた卒論も教授の推敲を通したらなんと30文字になって返ってくる。こんなことがあっていいと思うか?佐々木よ。」

「志村先輩、留年したっていいじゃないですか。俺とゼミ終わりにダーツに行きましょうよ。きっと楽しいですよ。」

「俺はダーツに行かないよ。それはお前とは行かないという意味ではなく俺にとってダーツがただの運ゲーだからだ。どこにどうやって投げようとあの投擲物は俺の狙ったところに刺さるわけもなくただ空を彷徨い神が決めた場所に収まる。あまりに無意味。俺は意味のないことはやらないことにしてるんだ。」

「はは、なんすかそれ。ダーツにだって意味ありますよ。」

そう言いながら髪をかき分けて笑うのが俺と同じ坂戸ゼミに所属する一年後輩の佐々木だ。佐々木は左手で髪をくしゃくしゃっと撫でながら右手はスマホでインスタのストーリーというやつを器用に流し見しつつこちらの話題で笑っている。以前何かの流れで彼のインスタを見せてもらったが、とても綺麗だが芸能人ではないという謎の女性を何百人かフォローしておりいくらスワイプしても美女、美女、美女、美しい景色、美味しそうなお肉、美女、美女、服のでかい男、だとかが流れてきてやや圧倒された。話すことも会うことも出来ない場所に好みの人間が存在していることを確認するというのは俺にとっては無意味、というか少し損だと思うが、佐々木にとってはそうではないらしい。

「かつて神は人間の不遜に怒りバベルの塔のもとに言語が分たれたというのに、人間はそれを顧みることなく未だ神頼みの意味のない遊戯に興じている。主に男女6人くらいで。ああ、俺には関係ない関係ない。」

「相変わらずおかしなこと考える人ですね、志村先輩は。あ、緑茶ハイ下さい。」

後輩から軽い侮辱のような事を言われた気もするが気にも止めず、俺は神に卒論が早く出来上がりますようにと祈ることにした。そもそも大学生がやりがちな男女入り乱れての娯楽はゲイの俺にとっては本当に関係なく、大学の友人関係というのはコミュニケーションに支障をきたさない程度にはこなさないといけないが卒業も近くなりそんな事もどうでも良くなってきている感じがある。

「志村くん、神様はレポートを書いてくれないよ〜。」

横から正論が飛んできた。声の方を見ると瀬川は日本酒を何杯も空ける前と変わらない間延びした笑顔でこちらに笑いかけていた。ほんのり酔っていつもの顔よりさらに柔和になっている気がする。なんならにゅ〜っという音が聞こえる気がする。この音を、誰にも聞かせたくない。そんなに真っ直ぐ見つめられると困ってしまうぜ。瀬川はこれまた同じく坂戸ゼミの同級生で、温厚篤実、泰然自若、悠々閑々、年中無休といった印象の男であり、普段からまるで真面目で単位も俺と同級生なのに俺の倍くらい所有しているという噂もある。実際に「少し単位を分けてくれないか?」と連絡したが、「うーん、それは出来るのかな〜。学生課に聞いてみようか〜?」という可愛すぎる解答と犬が困っている顔をしたスタンプが返ってきたことがある。

「瀬川。俺は困っているんだ。」

「う〜ん、確かに坂戸ゼミは厳しい事で有名だからね〜。でもなんで志村くんはこのゼミ選んだの?志村くんってほら、どっちかと言うと世捨て人というか、これは言葉が悪いか、う〜ん、なんとかなれ〜の人じゃん?」

場当たり主義の愚か者と言われてる気もするが、瀬川はそんな人を傷つける意図を持った言葉を決して言わないので「なんとかなれの人」と思われてるのは悪い気がしないなと脳内で勝手に片づける。俺は瀬川から目を逸らして言った。

「別に望んで入ったわけじゃない。我が国際交流学科の名に恥じないように趣味である諸国漫遊をしていたら坂戸教授に目をつけられただけだ。俺が学生ローンを使ってまで飛行機に体を捩じ込み外国の文化を吸収せんとしている模範的な学生だってな。」

「先輩、本当に海外旅行好きですもんね。」

「旅行ではなくフィールドワークと言って欲しいな。」

「けどそのフィールドワークのおかげで単位もヤバいことになってるんじゃないの?」

「単位は。なんとかなる。なんとかなるというのはなんとかならなければ終わりという意味だが。いやいっそ終わってしまえたらなんと良いだろうか。」

なんとなく口にしてみたが、ほんとにそうなってしまった方がいいんじゃないだろうかと真剣に留年に向き合う方向に考えが傾いてきている。思えば俺は確定していない未来が怖いだけであって、留年自体が恐ろしい訳ではないのかもしれない。無事に卒業する未来と、留年する未来が交差しており、どちらに分岐するか分からないという状態が不安の大元であって、結局無事に卒業できたとしてもまたそこから不確定な未来の可能性が分岐して常に不安が付きまとうような気もする。溺れて死んだ後よりも溺れている最中のほうが苦しい、みたいな考え方。実際に溺れて死んだわけではないので分からないが。
ならばいっそ本当に留年してしまえば借金は増えるものの半年間のモラトリアムという安息は得れるわけだし…

「え~、一緒に卒業しようよ~」

瀬川の一言で先ほどまでの沈澱するような思考は露と消えてしまった。はい、君と一緒に卒業したいです。そう答えそうになるのを堪えて言葉を返す。

「そういう瀬川は卒論完成しそうなのか?」

「う〜ん、僕もテーマは決まったけどそこから遅々として進まないのは一緒かな〜。苦しいよね〜。これだけ苦しんで書いてるんだから完成した卒論はきっと悪魔の生け贄にでもなっちゃうかもしれないね。」

「よく分からない事を言うな。」

「よく分からないものに取り組んでるだから、よく分からない事も言いたくなるよ〜」

そう言いながら瀬川はもうほとんど氷しか入っていないジョッキを傾けてから「ただの水だな〜」と言っている。瀬川もそれなりに酔っているらしい。それを見て、ハーヤレヤレまったくキュートじゃん、と思ってしまう。俺たちが卒論を完成させるという事はこの瀬川との楽しい日々も終わってしまうということだ。

「瀬川先輩も卒業しないでくださいよ。つまんないですよ。」「佐々木くん、僕は早く卒業して実家のパン屋を継ぐという大義があるのだよ〜」「え?佐々木さんの実家パン屋なんですか?」「ごめん、嘘〜。けど僕は早く就職して休日はパンを作る日々を過ごしたいよ。そうしたら皆んなにも僕の作ったパンを振る舞うよ〜」「楽しみですね、ね、志村先輩。」「ん?あ、ああ。俺はパン好きだ。」「良かった〜。僕はご飯派なんだけどね〜」

そんな会話をしばらく続けた後瀬川は突然「あぁ〜、僕は卒論の為に早く帰ります!」と言いお金を置きながら席を立った。瀬川の酔いはかなり回っているように見えるのでこのまま帰ったところで卒論に着手など出来そうもないが、「課題がこの世に存在する」からとにかく帰宅せねばという気持ちは分かる。
瀬川はおぼつかない歩き方で居酒屋からそそくさと出て行き気づいたらその背中は店外の遥か遠くに消えていった。必然、佐々木と二人きりになる。

「志村先輩って、瀬川先輩のこと好きでしょ。」

「え?」

めちゃくちゃ驚いた。
そこから一時間ほど俺がいかに分かりやすく瀬川の言動に好意を示しているかを説明された。

「そりゃあ男同士ってのは少し変ですけど、志村先輩は分かりやすすぎますよ。目がハートになってます。ジッサイ好きなんですよね?瀬川先輩のこと。」

「若者言葉にも限度があるぞ。」

違う、とは言えない。しかし俺は学内において自分がゲイだと打ち明けた人間はおらず女子にバレるのはまだしも、どうしてこう女にモテそうな見た目をしているTHEノンケといった調子の佐々木後輩にバレてしまうのだろうか。彼はツーブロックに無造作パーマというおよそ真面目な学問の徒という意識を感じさせないような見た目でありながら大学が毎年選抜する成績優秀者には必ず名前を並べるような人間であって、学問に秀でていて更には人心の把握にも長けているとなればもう一体お前には何が出来ないのかと言いたくなってしまう。

「俺はそういう恋愛関係とか結構目敏いですからね。特に尊敬する志村先輩の恋愛事情とあればその恋愛形態について驚くよりも前にまず協力したいという意識が勝ります。」

「確かに俺は瀬川を好んでいるのかもしれんが、しかしそれは太陽が眩しいとか、コーヒーの匂いが香ばしいとかそういう瀬川が持っている性質に由来するものであって、俺個人がというか好ましいと思う事を好ましいと思うのは当然であってだな。」

「そんなことより、どうするんですか。卒業しちゃう前に告白とかするんですか。俺から見たら瀬川先輩は女性を好む人だと思いますが、でもなんか押せばいけそうな気もしますよ。要はキッカケです。」

「キッカケ、ね。」

この後輩は完全に面白がって話しているがそこに悪意はないのだろうと推察は出来る。佐々木も瀬川も無意識に悪意を振りまく人間ではないと俺は確信しているからこの関係があるのだ。

「志村先輩は他の人とは違うとは思っていましたが、ほんとに俺の想像を易々と超えてきますね。」

前言撤回。こいつは俺の純粋な恋愛心を面白がっているがそれ自体が問題なのかもしれない。俺は音に合わせて踊るヒマワリのおもちゃ、こいつはそれを笑いながら手を叩いているのではないだろうか。

「そうそう、キッカケでしたね。なんだって物事は些細なキッカケから始まるんです。小さなキッカケの種から芽が出て花が咲き大きな実ができてフレッシュジュースが飲めるんです。いわんや恋もや。あと一年もしないうちに卒業ですよ。俺は好きな人には好きと伝えた方が良いと思いますけどね。」

「あぁ〜、僕は卒論の為に早く帰ります!」

俺はお金を置いて席を立った。戦略的撤退としてこれ以上の場面はないからだ。


自宅までは電車に乗れば十数分の距離だが、なんとなく歩いて帰ってみた。
確かに佐々木の言う事はもっともである。好きな人に好きと伝えるのは大層大事な事だ。しかしそれは一般的な恋愛においての話であり、男が男を好きになるという特殊環境においては当てはまらない。特に今回のような一方的な関係においては俺が告白の言葉を瀬川に伝えたとしても瀬川から見ればまるで「ひぃ虫の死骸が喋った!」といった具合の出来事であり、つまりあまりに予期しない事。虫の死骸が喋ろうとそれは無意味な事であり俺は無意味な事はしない主義なのだ。

そも、俺は別に瀬川と付き合いたいとか邪な感情を持ったことはないはずだ。ただ別れが寂しい、それだけだけでありそんなのは春になれば誰にでも訪れる感情なのだ。寂しい、という感情も時間が経てば気持ちよく感じるはずだ。誰かと触れ合わない1日はつまらないが、誰かと触れ合った後の1人の時間は好ましく感じる。ワガママに他ならないが出会いと別れはこうやって繰り返されるべきなのだ。


「それで、告白する気にはなりました?」

また別の日のゼミ終わりに俺は佐々木と連れ立って構内の食堂に来ていた。

「佐々木くん、君は知らないだろうが、俺のような恋愛形態を持つ人間というのはそもそも同じ恋愛形態を持つ人間としか相容れないのだよ。だから俺が瀬川を好ましく思っていてもそれはただそれだけの話であってそれ以上はない。一切、ないんだ。」

「そうなんですか?けど、よくあるじゃないですか。種族を超えた恋愛というか。ほらアバターもそうですよ。」

「アバターはアバターだよ。俺たちは一切アバターではない。逆に聞くが、例えば俺が佐々木後輩、君に告白した場合君はそれを受け入れる事が出来るか?」

「それは無理でしょうね。俺は女の子が好きですし。」

「そうだろう。なので性別を超えた感情など無意味、俺は無意味なことはしない主義なんだ。SEXなんかもそうだ。いざSEXをしてみるとなんだこんなのは家でシコっていればいいではないかと思う。しかし家でシコってみると確かにこれはSEXとは違うなということに気づく。俺はそれが鼻について辟易する。そしてこんな事で悩むのは無意味だと気づくわけだ。」

「普通にSEXとか言わないで下さいよ。それにその例えはよく分かりません。」

「とにかく、簡潔に言えば俺のことはどうでもいいということだ。青春というのは若者に付き物なんだろうが、俺にとってはそうではない。それこそ別の国で起きた小さな恋物語なぞ君には関係ない事だろ。そういう世界観の話だ。」

「先輩は無意味な事をしない主義と言いますが、例えばダーツだってボーリングだってやってみれば案外楽しいんですよ。そりゃ世界規模で見たら意味のない事ですが、そういう意味のない事にひたむきになって形にしていくのが人間のカッコよさってもんじゃないですか?」

「うーん、そうなのかね。にしてもなんで佐々木はこんな俺の瑣末な恋愛事情を気にしてくれるんだ?」

「それは俺も志村先輩の事を好ましく思ってるからですよ。志村先輩が瀬川先輩に向けている好意とは違うものですが。」

「ふーん。君も随分珍しい男だ。」

「そうだ。これあげますよ。駅前のダーツバーの無料券。2時間無料です。瀬川先輩と息抜きに行ってきたらどうですか?」

そう言って佐々木はくしゃくしゃになった無料券をポケットから取り出し俺に差し出してきた。その時の佐々木の顔は逆光の中でよく見えなかったのを覚えている。


佐々木が帰った後、机の上に先ほどの無料券を広げてみる。ふーむ。そこまで深く考えず貰ったものは有効活用すべきか。我が坂戸ゼミの卒論にかかる時間を別の勉強に回せば司法書士や救急救命士、凄腕のヒットマンになれると言われているがだからこそ偶には休息も必要だろう。うん、その通りだ。

「今度の土曜、ダーツをしに行かないか?」

何度か推敲を繰り返し結局シンプルなLINEを瀬川に送る。

「へ〜、志村くんの方から遊びに誘われるとは珍しいね。珍しいから行っちゃおうかな〜」

という文言と犬が親指を立てたスタンプが送られてきた。小さくガッツポーズをする。そして俺は心の中で先ほどの佐々木の言葉を思い出していた。
意味のない事にひたむきになって形にしていくのが人間のカッコよさってもんですか。


土曜。
俺は約束の時間より少し早くダーツバーに入り瀬川を待つ。やはりこういった場所は男女の客が多い。一体何が楽しくてダーツに興じるというのか。あぁ分からない。そうして俺は試しにダーツを一本投げてみる。真ん中の赤いところに刺さった。50点だったか。神は何を言わんとしているのか。

「ごめ〜ん、ちょっと待った?」

瀬川が到着した。トタトタと俺の方に小走りでやって来る。まったくもうこいつってばほんと可愛いじゃんね。

「いや、そうでもないよ。」

瀬川との楽しい時間が始まる。青春や人生と同じように終わりが決まっている無意味な時間だ。瀬川がまずはカウントアップをやろうと言うのでよく分からないがとりあえずそれを始める。とりあえず投げればいいんだろうという事は分かる。

「じゃあ、志村くん最初でお願い〜」

はい、任されました。そして俺は第一投を投げる。俺はダーツが空を彷徨っている最中、このダーツがもし真ん中に入ったらその時は佐々木の言うようにしてみてもいいかもしれないと考えていた。そして俺はダーツの行く先を、ただぼんやりと見つめるのだった。

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