2023/10/11

インスタのストーリーに足跡がつくという事に未だに慣れていなくて、ナイモンでもそうですが俺が見たと相手に伝わることで物事を過剰に考えてしまう俺は(キモいって思われないだろうか…)という心配や(こいつ暇なのか?とか思われそう)というまったく意味のない自意識が邪魔して、他人のストーリーを2,3個見たくらいで(通信量もバカにならないしな…)という言い訳をしながらインスタを閉じてしまう毎日である。

他人の視線を気にしすぎなことは自覚していて、そしてそんな事に意味は無いことも分かってはいる。しかしこの世は他人の視線を気にしすぎるのは良くないという共通観念をうっすらと漂わせておきながら、道徳というものは"他人から見て良い"とされるものを選択する瞬間のことを指すのだからなんなんだと思わずにはいられない。

結局人間の最も根本的なところは他人の視線を意識するが故に生み出されたものが多くて、絆や愛とは他者がいないと生まれないものだし道徳でさえ他人を意識して生まれたものなのだから、俺が他人を意識しすぎるのは全然おかしくないことであってインスタとかTwitterとかもですが全然反応ないからって別にミュートしてるとかそんな事では決してないですからね。俺がミュートしてるのは犬や猫にセリフをアテレコして喋らせてる動物アカウントだけです。あれは本当に良くないですよ。

「他人の事を気にし過ぎるのは良くない」という言葉ってちょっとだけ本当らしく聞こえる言葉だけであって、実際はそんなことないという側面もあるから実際に何が正しいかは今を生きる我々が決めていくしかなくて、昔から言われてる言葉って本当っぽく聞こえるから俺もつい口についちゃう事だってありますが実際はそう聞こえるに過ぎないだけの言葉ってたくさんあるはずだ。

例えば「他人に迷惑をかけてはいけないよ」という言葉だって別に反論するところなんて何も無い本当の言葉っぽく聞こえるが、よく考えたら迷惑をかけていけないなんてことは全然なくて実際は迷惑をかけたりかけられたりしながらこの世は平然と進んでいる。
まったくこの世は複雑であるからもう誰にも正しさを説いて大衆を導くなんて事は出来やしないのだから、自分が思う事、他人が思う事のバランスを取って時には自分の意見の為に戦っていかなければならないのかもしれない。別にTwitterで「SEXしたい」とか好きな時に言ってもいいんですよ。誰かに自分の何かを否定されて正しいっぽい事を言われてもそれは実は全然正しくないので。

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