2024/05/20

人が人を傷つける事に対して考える日が多い。インターネットは匿名で物が言える分、加害者が透明になり他者に傷をつけるという実体を感じにくくなってしまうからどこまでもエスカレートしていってしまうことがある。コードギアスの屈指の名言である「撃っていいのは撃たれる覚悟があるやつだけだ」の通り、自分が安全圏にいながら他者に攻撃する行為はいちばん忌避させるべき行為であるのは変わりない。しかしだからと言って顔出しをしての撃ち合いをしても見てるこっちも辛い事があるので出来るだけ人は人と争ってはいけないと思う。人が争うべきは外宇宙から来る侵略者や地底から目覚めた大怪獣などであるべきである。YouTubeでコードギアスの配信やっていましたが皆さん見ましたか?相変わらず扇がカスでした。

もし他者にとって嫌な事をしてしまったら謝って然るべきでそれで終わりにならなければもっと謝るしかない。贖罪の終わりとは結局のところ被害者と加害者の中で決められるものであって、このことを考えると加害の恐ろしさというのが身に沁みて分かってくる。もし一生許されなければ一生苦しむしかないのだ。この考えに行き着く事こそが攻撃の抑止に繋がるのだろうがあまりに果てのない話であって、俺だって誰かを傷つけて許されないまま生きてしまう事だってあるのだろうと思うと夜が苦しくなる。28年の人生の中で俺が他者を攻撃しなかったなど言い切れず、また悪意のない攻撃であってもそれが他者を苦しめたのならば俺は苦しむべきなのだろうという結論に着地するのだから、思い浮かぶのは冷たい左手、明日を知らない星、夜と月と海、滲み出す混濁の紋章、不遜なる狂気の器、以下詠唱破棄。

いずれにせよ普段の立ち振る舞いから気をつけていきましょうねという話に落ち着くのだが、自分自身がいつ誰を傷つけるか分からないという不安もある中で相当のことをしなければ大丈夫でしょうという安心感も同時にある。Twitterで悪口を書きまくるアカウントでも作らなければ相当大丈夫です。確かに目にするだけで嫌な気持ちになっていたので辞めてくれればそれが一番だが、本人が反省した後に発生する加害者を悪ふざけで批判する人たちもやめた方がいいですよ。もちろん攻撃された人間は許さないことで相手を苦しめる権利はありますが、マジで関係ない人たちが冗談めかした風に石を投げるのも見ていていい気がしないのは俺だけだろうか。それこそが今回の発端となった意識のない加害性であり、それを自覚して死ぬまでずっと自らの加害性を見つめ続けなければ大人の修学旅行はずっと馬鹿にされてしまうだろう。

ところで最近、俺のApple Watchと高い眼鏡がなくなったのですが知りませんか?俺への何かの罰だろうか。どこへいってしまったのですか。これを見たら連絡ください。

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