2021/11/09

読書の秋だからってこういう時にだけこぞって読書感想文をnoteに投下するのはどうなの?と思っているそこのあなた、投下します。
しかもどうせネタバレは嫌なので実際読んでみてください!で締めるんでしょ?と思っているあなた、締めます。

読みました、窪美澄の『水やりはいつも深夜だけど』。

そもそも俺は恥ずかしながら窪美澄という作者の方自体知らなかったのだが、この『水やりはいつも深夜だけど』という小説の一編を原作とした映画が最近公開されてそれが良かったという感想をSNSで見たので原作の方を読んでみた。その映画は「劇場版ソードアートオンライン~プログレッシブ~星なき夜のアリア』 らしいです。はい、嘘。

この窪美澄という作者の方の代表作は『ふがいない僕は空を見た』という作品でこれはR-18文学賞を受賞しているとのこと。R-18文学賞?俺が目指すべきところはここかもしれない。作風としては現代の歪な愛を表現しているらしく、なんといってもその多種多様な愛情表現が注目されているそう。(wiki調べ)なんかコスプレSEXとかするらしいです。俄然興味が出てきました。

実際読んでみるとそれぞれの短編の主人公たちは一癖も二癖もある環境に置かれていて、例えば映画原作となった一編『かそけきサンカヨウ』は父の再婚により突然やってきた義母に戸惑う高校1年生の女の子が主人公になっている。複雑な家庭環境や正しいとは言えない愛情を抱いてしまう不器用な人たちに焦点を当てて、それぞれの人生をリアルにそれでいて希望のある世界観で描いていて、おいおいこれは掛け値なしにいい作品だなと思った。


物語の設定としてはかなり特殊な状況設定がされているのだが、小説としてこういう人たちを描くほうがリアルだなと思ってしまうのは何故だろうか。俺がゲイというそれなりに特殊で歪な状況を抱えているからだろうか。というかこういう小説を読んでも学びとして健全な恋愛をしようという気が起きないのは不思議だ。作者は人生が思い通りにいかない不満を持つ人たちを救おうとしてこの作品を書いたのだろうから今のままでいいんだよと思うのは当然と言えば当然なのだが、俺は人生を通して健全な恋愛なんてなんだか恥ずかしいと思ってしまうなと小説を読みながら感じる。好きだよ、愛してるよと言い合う甘い恋愛を懐疑的なものとして見る癖が既に俺にはついていて、むしろその手の恋愛形態をみると、へへへ、健全ですねぇ、いいですねぇ旦那...と卑屈になってしまうほどである。もっと不健康で自堕落、迎合と妥協に塗れた恋愛が真の恋愛だろうと囁く自分がいる。しかしこれは世間一般に拡大できないし、するべきではないことも知っている。
だからと言ってこの考えが間違いだと断ずることはしたくない。世間を斜めに見て自分を暗がりの立場に置くこと自体を甘美なものとして酔っている節はあるが、この感情はどうしたって自分と不可分な領域だし切り離すことなんてできやしないだろう。じゃあ、誰がこの考えを肯定してくれるのだろうか?
なーんて思っている人にとってぴったりな小説がこの『水やりはいつも深夜だけど』でした。小説が人を救うってことは本当に難しいことだけど、窪美澄さんはそれに挑戦しているなと感じられる作品でした。

今まさにこの小説を原作とした映画が上映中なので中身に触れることは控えた。なのでふわっとした感想になってしまったが、刺さる人には刺さる作品なので読んでみてほしい。映画の方も公開中らしいので自分も見に行ってみようと思う。そう思って映画情報調べたら監督が今泉力哉監督らしい。『アイネクライネナハトムジーク』や『愛がなんだ』の監督だ。この監督は女性の描き方が魅力的なのでほんとに良いです。あと単館上映系の作品ばかりなのでキャストもあまり知られてない実力派の役者が知られるのでそこも良いです。単館上映系の作品の良いところってそういうところもあって、このメンツの中にウェントワース・ミラー?!絶対重要キャラじゃん?!っていうのが起こりにくい。CV櫻井孝宏?!絶対裏切るじゃん!がないです。そしてみんな一体となって作品のゴールを目指してる感じが伝わって最高です。映画は監督のものってどっかの誰かも言ってました。

何はともあれ本のあらすじってのは物語の核ではなくただの装丁の一部なんで気になった人は実際に読んでみてください!神は細部に宿るともいいますし。

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