2023/08/02
前回の日記に読書サークルに参加したと書いたのだが、そのことを思い出すと不安になってくることがあってそのサークルに自分のnoteを見てくれている人がいて「note見てます」と伝えてもらったのだが、それを言われたときの俺は一体どんな表情をしていただろうか。物凄く偉そうな表情をしていたのではないだろうか。ヘラヘラと笑って「いやぁそんなそんな…」とか適当な事を言って嫌な気持ちにさせてなかっただろうか。「見てますよ」と言われて嬉しくなってしまってヘラヘラしてしまうのは良いとして、偉そうな態度をとっていなかったか?ということだけが心配で、俺は褒められたりあなたのこと見てますよと言われた経験が無さ過ぎてそれ用の顔が未だにない。だから自分がどんな態度をとったのか覚えていないのだが、なにか偉そうな感じになっていたら本当に申し訳ございません。「見てます」と言われてひたすらに嬉しいだけです。対面で言われたら靴だって舐めますよ。今後、「note見てます」などと言われたらどういう態度をとればいいのだろうか。「そんなそんな...」などという謙虚な姿勢も見飽きている人も多いだろうからもういっそ「違いますよ」とか言おうかな。
「note見てますよ」「違います」
めちゃくちゃ面白いが結局相手のことを思っていない事は確かだろう。
SEX中に相手のことを思うなら射精をすべきなのか、という問題がある。ウケにしろタチにしろ相手にイって欲しいという欲望がありSEXというのは往々にして射精をもって終了となるのがほとんどだ。しかし、射精を目標とすると遅漏の俺は途端に緊張、顔にかけてなどと言われたらもう恐縮、そもそも他人の顔に精子をかけれるようなメンタルはどうやったら育つのだろうか。遅漏の俺が長々とシコっている時間は正に地獄の時間で、高校の頃俺だけ持久走が遅くてみんなを待たせていたことを思い出す。ところで腕がムキムキの人は他人のちんぽをシコっていても中々疲れなかったりするのか。
賛成と反対の間にもう一つの答えが生まれたらいいと言ったのはSEKAI NO OWARIだが、射精と射精しないの間にもうひとつの道が存在したらいいのにと思う。射精してもしなくてもいい、それこそが新しい時代であり、多様性の急先鋒である俺達ゲイがこの問題に一石を投じるべきではないだろうか。
射精をしなかった時に得る"この次がある"、という感覚。今目の前のことを場当たり的にこなす俺が射精をしないことで得れるまた"次"の機会に射精しようという輝かしい未来の留保。当然射精しても全然いい。射精すると気持ち良い。しかし射精しないことで未来が輝く。これこそが射精してもしなくてもいい世界の全てである。
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