2023/02/19

好きなように生きなさいとテレビやTwitterは鼻を膨らませながら言ってはきますが俺が本当に好きなように生きるとしたら働きたくない生活をしたくない出来るだけ楽して良い思いをしたいといった考えが浮かんできて結局それは当人に能力がないと出来ない願いではあるので俺が好きなように生きてどうにか出来ることなどたかが知れており、あんまり好きなように生きろと吹聴する事はどこかで悲劇を生むのではないかと思っていたりする。
「この世の不利益は全て当人の能力不足」と東京喰種のキャラが言っていましたが、逆を取れば能力さえあればこの世は如何様にも出来るという事ですがその能力は一体全体何のことなのか、俺はただ生活がしたくない、誰もいないマンションの屋上で冬の朝に温かいミルクティーを飲みたい、暖炉に薪を焚べながら本を読みたい、涼しい部屋の中で夏の日差しを触っていたいと思うだけでしかし現実は使った食器を洗って棚に仕舞わないといけない、部屋までのキツイ階段を登らないといけないというのだから俺にこんな事をさせるなよと思ってみてもそんな感情は地面にポトリと落ち風雨に晒されるのみでありとりあえず俺の好きなように生きたい想いを書いてみましたが書いてみただけです。

俺は繰り返しの生活を抜け出す為に旅に出たいとはここに何度も書いていますが別にそれは大それた旅というわけではなく例えば平日の真っ昼間からよくも知らない駅、例えば高幡不動とかですよそういった駅に降り立ち周りを見渡してみるとあるのはよく見るチェーン店と安いカラオケ屋くらいなもので東京の駅はどこも同じような造りをしているなと思いながらも駅近くのスーパーを覗いてみると同じような街のスーパーにもレジには行列が出来ていてああやはりそれぞれの街には俺の知らない人生があるんですなぁ〜と当たり前のことを思ったりするのですがこういう感覚に俺は旅情を感じるのであって別にインドに行きたいとかそういうことではないのだけど、俺はインドにも行きたいです。

真っ昼間という言葉の"ぴるま"の部分が可愛い。深夜という文字で夜を深さで表した人は天才だと思う。それで言えば巨根もちんぽのことを"根"と表したのは味わい深い。ちんぽは確かに根である。
巨根の人がよく「デカいと挿入しようとした時に断られる事があるから丁度いい大きさが一番だよ」と言うがそれは勝者の理論であり、ちんちんなど大きいのが良いに決まっている。勝者が敗者を慮る必要などなく上に立つ者はただ早く俺のところまで上がってこいと下の者を奮起させる振舞いをしておけばいいのである。しかしちんぽが大きいのはどうしたって羨ましい。羨むならば俺も上を目指すべくスイカを食べたりしてちんぽを大きくすべきなのだが俺はもうちんぽを大きくすることに疲れてしまいました。俺は地に落ちた鳥でそれこそもう地面に小さな根を張って時々ちんぽを勃たせて空を仰ぎ見ることしかしなくなってしまいました。誰か楽してちんぽを大きくする方法を教えてください。

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