2023/01/24

最近友人の影響でインスタグラムを始めてしまった。特にストーリーが面白いのなんのという機能に溢れていてあれは24時間で消えるのも良いですね。24時間で消えるのならうっかりちんぽでもあげそうになってしまうがインスタグラムにちんぽは似合わないし恐らくインスタでちんぽは「ちんぽ」でもなく「ちんこ」でもなく「ちんぽこ」と呼ぶべきであろう。noteはちんこの事を陰茎と呼ぶべき場所だがインスタはちんぽこである。ちんぽこは可愛い。

インスタの短い動画は言わばYouTubeのショート動画のようなもので無限に見てしまう。あの時間は楽しいものだが俺はあの時間が心底嫌いでショート動画に時間を費やしているとこんな事をしていないで何かしなければという焦燥感に駆られる。しかし次々と軽妙に流れる動画に逆らうことが出来ず、(学校へ行こう懐かしいな)とか(小島よしおって英語喋れるんだ)というインスタントな好奇心を埋める時間ばかりを過ごしてしまう。ショート動画という文化は悪魔の文化で、これならまだ金玉を触っていた方がマシであると思うほどだ。

インスタに限らずああいった他人のキラキラと光った部分を垣間見ることが出来るSNSではそういったキラキラに喉を焼かれて喋れなくなってしまいましたということが度々起きるのだけど、しかしSNSの本懐は他人を羨むことではなくて他人のラメのようにキラキラした部分を見て自分もこれしたいとかこの人と遊びたいといった共有のところにあってそれで言えば俺はキラキラを見たとしても「他人は他人だなぁ」というなんとも表面的なところで思考を止めてしまうのはやはり他人を羨むという浅薄な思考が根付いているに他ならない。他人を羨み過ぎると先ほどのように喉を焼かれてしまうのでその防衛手段として他人は他人である、そして俺は他人と触れ合わずとも家でシコっているだけで十分なのであるという自虐すら冬の風に当てると気持ちが良いなどと思ってしまうのだからもはや末期。自虐を心地よく感じてしまうようになったらいよいよ引き下がれないところまで来てしまっていると思っていい。

SEXをした後の賢者タイムでああこれであれば家でシコっていた方が良かったなと思ってしまうのは最早俺の性なのでどうしようもないのだが、しかし振り返ってみるとシコりとSEXは違うのであってやはりSEXにしかないものはあるのです。というようにSNSで感じる他人のキラキラを上手く吸収できるようになれたらいいなと思っている。楽しそうに過ごしている人の周りは心地よくて、それは自分を楽しんでいる人からは他人を楽しくさせる霧状のなにかが霧散している気がしてそれを俺たちは鼻から吸って心地よいと感じているのです。それでインスタではまずは共有として今日の自分のシコった動画のリンクをストーリーに公開しているのですが、なんだかんだ俺ってSNSを楽しんでると思いませんか?

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