2024/06/16

Twitterのいいね欄が見れなくなってもう幾日経つが、やはりエロいコンテンツを漁る時に源義経八艘飛びのようにエロい人のいいね欄からいいね欄へ夏の川で飛び石を渡るかのようにそうやってハメ撮りなどを探していたから少しだけ困ってしまったが逆に言えばそれだけが弊害である。いいねしたツイートが見られないからエロいコンテンツでもなんでもいいね出来るようになったとも言われているが元々大人になってから面の皮が厚くなったのかエロいものに対しても動じずに「興味があります」「是非見せてください」と言えているから俺なりの素直な美徳として数えてもいいかもしれない。
いいね欄が見れなくなったからTwitterでしか交流がなかった人が久しくツイートしてないとどこで生存確認していいか分からない、なんて話も聞こえるが怖がらずにDMをしたらいいと思う。「生きていますか?」と。「生きていますか?」「生きています。そちらは近ごろどうですか?」素敵な会話だ。まるで文明が衰退した未来かのよう。そして森は新緑を湛え海は煌めきだす。夏が始まろうとしている...

変化と言えばニコニコ動画がサイバー攻撃を受けサービスを7月末まで停止するらしい。ニコニコはオワコンと言われて久しいが、未だにニコニコ動画有料会員である人間擬きの俺はふとした時にニコニコを開いて、あ、開けないんだった、という動作をこの1週間で何度かしてしまった。
ニコニコと同じようにTwitterもその内オワコンと言われ、終わりが近づいていくのだろうかと考えるとインターネットコンテンツという狭い世界の話だが時代の変遷を感じずにはいられない。全てのものには明確な終わりがある。例えそれが自分に馴染み深いものであってもそれは変わらず、結局俺たちは参った参った...と言いながら新しいものに鞍替えをするか古いものにしがみついて、これは終わったんだ、という感慨すら終わって忘れていってしまう。平成から令和になりこれからも俺は多くの文化に触れ合うのだろうが、その道中で一体幾つの終わりを見ることになるのだろうか。人が死ぬこともそうだが、終わるものに対して俺がなにかしてやれることはないのだろう。むしろ、終わりへの加担をするだけなのだと思う。本当に終わりを阻止したいと心から願うものは俺の中に余りにも少ない。悲しい人間である。

昼も相当暑くなってきて、もう半袖短パンでいることが多いが、"男の短パンはアリか?"みたいな話題に対して世間の半数程度の人間はナシと言っているらしい。ゲイにとって半袖短パンなんて正装みたいなものだが、世の中は長ズボンを履けよ、臭い足を見せるなと憤っている。ゲイの中でも戦わなければならない話題は多いのに世間とも戦わなければならない時もある。とにかく、暑いからしょうがない。あと1年前に買ったTシャツはなぜかダサく見える。仕事の悩みが尽きない。背中の肌荒れが気になる。食費が高い。苦手な人はずっと苦手なまま。楽しい場所に大抵俺はいない。しかし全てを知らなくてもいい。幸福は網羅しなくてもいい。あの日には戻れない。二度と来ない2024年の夏が、始まる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?