2022/02/21

自分の人生の目標として「余裕」であることを良しとしてるんですけど、常に余裕でいることはやはり難しくて下らないことでも腹を立ててしまうことが多々ある。そもそも、なぜ「余裕」が良いかと言うと、その方が生きやすいんですよね。俺みたいな怠惰なムッソリーニはとにかく生きやすくしようと努力する。余計な苦労は間引き、しなくていい活動は避ける。これが俺の人生の得であり徳なのだ。なににおいてもこんな活動目標を持っているので、社会生活とかは結構絶望的なんですけどそれでもまぁなんとかやっている。
しかし、やっぱり人と接する際に生じる摩擦にだけはまだ余裕を持てない。というか他者が余裕を持たないことに憤り、自らの余裕を失くすなんていう昔話のオチみたいになる状況も多々あって。やっぱなんでも他者に強要するのは良くないですよね。「そのくらいのことで怒るなよ...」って言ってる人って大抵腹立つ顔してますもんね。自分が余裕であるために他人が余裕である必要は全くないんだと心に刻んでおきます。というか、物事にちゃんと怒っている人の方が魅力的に映るのが現代じゃないですか。同調圧力とか意味の分からない社会規範に支配された世の中で突出してくるのはやはり物事にちゃんと怒れる人だろう。YouTuberとか正にそうだ。インターネットで金を稼ぎたい人はある程度人間性見せた方が儲かるかもしれない。ゲイのみんなもSNSでちんこ出すより人間性出した方がモテるかもしれない。


SNSとか見てると分かるが、最近の若い子たちってセルフプロデュースが上手ですよね。どこでなにを誰とどのようにしたかをパッケージングしてSNSにきちんと出す。情報にリボンなんかつけちゃったりしてよ。そういう情報の取り扱いはアプリケーションの進化も相まって若い子の方が圧倒的に上手い。Z世代って言うんですか。ポケモンみたいだな。俺もまだ26歳なんで若いことは若いんですけど、20代前半とか10代達とどうしても自分を比べてしまいます。

ゲイが若い子を見たときに「平成〇〇生まれ!?若い~!私たちなんてもうおじさんだわあ~」って言う手垢のつきまくった言い回しがあるのだが、俺も形は違えど同じことを思ってしまっている。やだやだ。若い世代を羨むなんて馬鹿のやることと分かってはいるんですが、俺は羨みを超えて恐怖を感じている。俺がもう少し年を取った時、つまり今の俺にある若さを終ぞ失ってしまったとき、俺はゆっくりとおじさんになりながら世界を眺めることができるのだろうか。おじさんになりたくねぇ~。俺は正直今の状態から何も失いたくない。大人になれない僕らの強がりを一つ聞いてくれって俺のことかもしれない。

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