恋と東京とエモーション

大学卒業目前の22歳の時に、このまま地元で就職してしまったら地元の閉鎖的な空間の中ではゲイとして生きていけないのではないのかと思うようになった。それにSNSを通して出会う東京在住のゲイからは決まり文句のように「東京に遊びに来たら連絡ちょうだい!」と言われ、それは地方在住者に対する死刑宣告と同義だろと思わずにいられず、要は出会いが欲しいんです、という隠しきれない恋愛欲も加勢し、僕は勤務地を東京一本に絞り就活。そして新卒というブランドを大いに活用し適当な就職先を獲得。デカすぎるキャリーケースとデカすぎるリュックで東京駅の扉を叩いたのが、2021年春。

住む場所は中野にした。家賃が安いのもあるが、中野周辺にはゲイが多いらしくそれが決め手だった。勤務地は上野なので東京の東側にしなさいと親に言われたが、鬼束ちひろがよく出没しているのは中野だからと適当な理由をつけて中野に住むことを譲らなかった。とにかく東京の東側ではなく西側に住みたかったのだ。

それにしても憧れの街、東京。
修学旅行以来の東京に僕は夢中になった。
渋谷、新宿、下北沢、吉祥寺、代官山。テレビで何度も耳にした街を自分が歩いていることに最初は驚きが多くあり、やがてその街に馴染んだと思い込み誇らしい気分になった。

眠ることのない街、東京。
などと言われているが本当にいつまでいつまでも街の明かりは消えなかった。その消えない明かりを見る度になにか不思議な、けどどこか嬉しい気持ちを東京の街を歩きながら僕は思っていた。

東京に来たら彼氏をつくろう。そう決めていた僕はあらゆる飲み屋、宅飲み、イベントに顔を出した。
就職1年目で上京したばかりの自分にお金はなかった。しかし、そこは東京という街の顔をした誰かが自分を買ってくれていた。物価の高い東京で貧乏暮らしを強いられるのだから、自分のお腹や満足感を満たすためにSNSのフォロワーを食べることに一切の躊躇はなかった。

そんな暮らしを続けているうちに僕はある一人の人と出会った。年齢は自分より9歳上の31歳。ゲイバーで初めて知り合った彼は友達に連れられてきただけと言っていた通り、お酒もほとんど飲まず飲み歌ではしゃぐこともせずにカウンターの端でなんだか居心地の悪さを感じていているようだった。
周りの人間が秋口だというのに半袖短パン中で、彼だけは季節感に合った長袖のシャツに長ズボンという服装。僕は、彼の持つ空気感に魅力を感じていた。ありきたりな言葉だが「自分を持っている姿」が、お上りさんとして街に流されている僕には眩しく感じたのだ。

僕は彼と二人で遊びに行くようになった。
ミニシアターで観る単館上映の映画、店は汚いけど美味しい中華屋、シティポップのライブ、本屋のようなカフェで読む小説、たなかみさきの個展。
誘うのはいつも僕からだったが、場所はいつも彼が決めてくれていた。僕から提案することもあったが、それはどこも"東京観光"のような場所ばかりで「そこもいいけど、ここに行きたい」とやんわり拒否をされることが多かったように感じる。

しかしそれでも良かった。
僕は彼の意見を優先させたかったし、何より彼が見せてくれる世界は僕が今まで知らなかった魅力的なもので溢れていた。僕は彼のTwitterやインスタをチェックして、雑誌のポパイの東京特集を何度も読み込んで、彼が好きそうなサブカルチャーの文化を勉強していった。彼の好きな映画、彼の好きな音楽を全て吸収しようとした。唯一彼は見ないというテレビだけは観るのをやめられなかったのだが。

そうして彼の話題に合わせていったことで、彼は徐々に素の自分というものを僕だけに見せてくれるようになった。
実はストレスがたまった時にタバコを吸う事、少し前まで14歳年上の彼氏がいたこと、無口と思われるが喋るのが好きなこと。きっと彼の友人たちはほとんど知らない、本当の彼の姿なのだろうと思った。


ある晩、下北沢の本屋で開かれたトークショーを見に行った帰りに飲み屋で僕は飲み過ぎてしまった。路上で吐いてしまう僕を彼は介抱してくれて「大丈夫?」と笑いながら背中をさすってくれた感触は今でも鮮明に覚えている。

「うち、来る?ここから近いから。」
予想外な展開。彼と何度も遊んではいるけど、まだSEXとかそういうのはしたことがなかった。正直、ゲイの二人がサシでこれだけ会っていてそういうことがないというのは珍しいと22歳の俺ですら思わずにいられなかったが、家に行くということはいよいよそういうことか、と嬉しくなった。

「はい、そうしてくれると助かります。」
少し笑いながら答える。しかし頭の中は彼の家に入った後のことばかり考えていた。変な妄想をしないようにするのに精いっぱいでこの時は既に酔いなんて醒めていたように思う。

彼の部屋に到着した時は既に夜中の1時を回ってた。彼の部屋は小さいながらもまとまっていて、余計な物がない整理された部屋だった。テレビはどこにも見当たらなくて、ほんとにテレビは見ないようだ。

「俺は床で寝るから、君はベッドで寝ていいよ」

「でも、そんなの悪いですよ。」

「気にしないでいいよ。」

そうして彼は座椅子のクッションを枕代わりにして電気を消した。
大通りから1本入っただけのところにある彼のアパートは人混みからこんなに近いのにずいぶん静かで、彼の息遣いまで聞こえてきそうだった。

何分ぐらい経っただろうか、何十分、1時間は経ったあとかもしれない。僕は意を決して上体を起こし、ベッドに背を向けて寝ている彼の横へとゆっくりとベットから下りる。僕の目の前、手を伸ばせば簡単に触れることが出来る距離に彼がいる。僕は、そっと、手を伸ばし、彼の頭を撫でてみる。

「なに?」
びっくりしたように発せられた、たった2文字の言葉。そのたった2文字の言葉だけで僕はこれ以上立ち入ってはならないと瞬間的に感じた。

「あ、いや、あの、ほんとに僕が下で寝ますよ。」
咄嗟に間を埋めるだけの言葉が出る。

「大丈夫だよ。俺が下でいいから。」

「…分かりました。」

逃げるように彼の横から飛び去り、ベッドに戻る。そこから僕は眠れなかった。なるべく静かに呼吸しながら呼吸で上下する彼の身体を一晩中見ていた。

SEX出来るものだと思っていた。今まで簡単に出来たものだから、誰でもそうだと思っていた。しかしそれは思い込みで勘違いだった。僕は東京で暮らしていることに浮足立って、恋愛やSEXの手触りも東京だけの特別なものだと思い込んでいた。

それから僕は気が引けてしまい、彼に連絡しにくくなってしまった。しかし、待っていても彼からの連絡は来なかった。恐らく一生、来ない。

僕はその状況に耐えられず、いつもの調子で彼を飲みに誘った。場所はポパイに載ってい新宿の雑居ビルの中にあるカフェバー。窓側の喫煙席だった。

いつも通りに会話をする。シティポップなどのサブカルチャーの話題を。そして会話をしながら彼がタバコに火をつけたあたりで僕は酔いに任せて口走ってしまった。

「好きです。付き合ってください。」
言うはずのない言葉で、言いたかった言葉、そしていうタイミングを失った言葉だった。
彼は動揺せずにタバコを一口吸い込み、煙を吐き出しながら灰皿にタバコを押し付ける。

「俺のことが好きだったの?」

「うん。」

彼の意図の分からない質問と僕の間抜けな返答。

「多分だけど、君が好きなのは、俺じゃないよ。というか誰でもない。」
彼はその後小さく「ごめんね。」と言い、テーブルに5千円札を置き、1人で店から出て行ってしまった。
タバコがくすぶる灰皿から昇る細い煙と5千円札と取り残された僕。

窓からは新宿の眠らない街の明かりが見える。そしてその明かりを見た時、なぜだろう、不思議だけど消えない街の明かりはこんなにも自分を惨めにさせるのか、と初めて感じた。それは新宿から帰る中央線から見える街の明かりでも同じだった。
僕は何に恋をしていたのだろうか。

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