ちんぽがデカすぎる像

「撤去…ですか?」


市役所からやってきた緑川という男は申し訳なさそうにおずおずと駅前の作品の撤去を命じてきた。2月の終わり、梅が咲き始める冬の終わりと春の始まりの曖昧な日の事だった。


「ええ、大変申し訳ございません。理由については大変申し上げにくいのですが、あの像があると風紀、秩序が乱れると住民の方から声が挙がっておりまして…」


「そんなことを言われましても、こちらからデザイン原案をお持ちした時にはそちらから了承も頂いたではありませんか」


「はい…。こちらとしましても先生の背景や昨今の流れから考えても価値のある芸術作品として先生の作品は素晴らしいと判断したのですが…。その…やはりちんぽがデカすぎるのが問題だと…」


「ちんぽがデカすぎるのが問題?なんですか、それは。それは緑川さんの意見ですか?」


「いえ、滅相もございません。私の意見ではなく住民の方からの苦情にそのような意見が多くてですね…」


「ふぅむ。うちの先生がゲイだからそうやって難癖つけて作品を批判する輩じゃないんですか?その手の輩から先生を、引いては芸術を守るのも行政の仕事じゃないですか?うちの先生だってあなたのとこの市民ですよ」


「いえ、一部から声が挙がっているわけではなく全体からですね。具体的な数値を出すと3千件ほど、その、様々な方からちんぽがデカすぎて卑猥だ、と」


安田は緑川の意見に押し黙ってしまう。安田は今まで長く先生のマネージャーをしてきたが、先生の作品は性的マイノリティの立場から繰り出される作品も多く、一部の性的マイノリティそのものに批判思想を持つ人たちから槍玉に上げられることもあった。しかし今回の豊中市から正式に依頼され少路駅前に設置した裸体像への市民からの批判は3千件。一部の人間から寄せられる批判の数ではないことを緑川も安田も認識できてしまう数値であった。


「つまり…エロ過ぎる…ということですか?」


緑川はかけている眼鏡をクイッと上げ直しながら発言をする。


「単刀直入な言い方をすればそうです」


しかし安田も引き下がるわけにはいかなかった。先生の作品を撤去するということは作品の芸術性が猥褻を下回ったということになる。それは芸術家のマネージャーとして絶対に認めるわけにはいかなかった。


「しかしそうは言ってもですね。そもそもちんぽに議論のフォーカスが当たっている時点で芸術のなんたるかをそちらが理解していないと言わざるを得ませんよ。ダビデ像を見てちんぽが小ぶりすぎると嘆くのが行政の仕事ですか?裸体像の本質とは肉体の美しさ、及び人間の骨格やプロポーションを忠実に再現した姿にあると僕は思いますよ」


「確かに我が市の町おこしとして豊中市出身である先生に観光資源としての芸術作品を依頼したのは我々です。そして先生や安田さんとの打ち合わせも入念に行い、男性の裸体像のデザインも我々が確認、これでいきましょうという許可を出しました。しかし、こうも批判があっては市民の方の意見を聞かざるを得ないのも我々の立場としてはあるのです…」


緑川は残念な胸中を吐露するように言葉をこぼした。安田もそれを感じ取っていた。緑川にも緑川の立場があり、我々の敵ではない。仕事の責任という大きな吊り天井がはるか上から迫ってきているのだ。


「どうしても…ですか?」


「申し訳ございません。これは決定事項です」


緑川は出されたお茶をグイっと飲み干し、そろそろ…と身支度を始める。これ以上緑川と議論を重ねたところで先生の作品が芸術作品として再び輝くことはないのだろう。安田もそれを理解し、先生に何と言ってこの事実を伝えようか…という後の事に頭が回り始めていた。



大きな音を立ててシャッターが開き、豊中市と楷書体でトラックの荷台横の部分に印字されたトラックが倉庫の中にバックで入ってくる。差し込んだ光によって倉庫内の埃がキラキラと光り、荷台部分にブルーシートをかけられロープでしっかりと固定されている件の裸体像がまるで不思議な神秘性を持っているかのように見える。


「こちらに下ろしてください」


市が用意した配送業者が丁寧な仕事で裸体像を荷台から下ろしていく。像の全長2mほど、台座部分を除くと裸体像自体は1.6m程になる。4人がかりで下ろされた像はとりあえず先生の作品倉庫に仕舞い込まれることになった。ブルーシートが取り払われ像が露わになる。男性の裸体像、両腕は自然な形で体の側面に沿うように形作られ、足は片膝が少し曲がりバランスを取って物憂げに立ち尽くしているように見える。当然、陰部を隠すものはなくデカすぎると言われたちんぽが堂々と真正面を向いている。仮性包茎だ。台座部分には先生の名前と作品名『Urban & Sexy』が掘られている。


「かえってきたかー」


「先生」


振り向くと倉庫の裏の扉から先生が尻をかきながらこちらに歩いてきていた。”かえってきたか”が果たして帰ってきたか、なのか返ってきたかなのかは安田の中では判断がつかなかった。先生は刈り揃えられた顎髭をしげしげと触りながら裸体像を見上げる。


「いやー、やっぱ駅前に裸体像はまずかったかなー。ちょっと勃起しながら作りすぎたね」


先生には「裸体像が撤去される」ということだけを伝えてなぜ撤去されるかは伝えていない。丹精込めた作品が受け入れられなかったというだけで先生としてはショックだろうに、緑川の言った「ちんぽがデカすぎる」などという意味不明な理由はより混乱を与えるだけだろうと控えていた。
倉庫の中は日が差し明るいが、特に今の時間帯は裸体像に集中的に日が当たりまるで光を放っているように見えた。


「ちんぽがデカすぎたようです」


「え、なにそれ」


「市の職員が言っていました。市民の方から、ちんぽがデカすぎる、という苦情が挙がったと。」


「そんなにデカいかな?豊中に住む人たちにとってはデカいのかも。堺とかだったら受け入れられるデカさだよ」


「そういうものなんですか?」


「安田くんはこっちの生まれじゃないから分からないだろうけど、そういうものだよ。そっか。よく考えたら豊中の人にはデカすぎたかも。あそこの駅前、ロータリーくらいしかないしな」


うんうん、と納得したように自分の作品を見まわす先生。どうやら先生は作品の撤去にそこまでショックを受けていないようだ。作品の設置の式典に出向いたのが1月の中旬のことで今は3月の中旬だから僅か2か月余りで作品は先生のもとにかえってきたことになる。外ではそこかしこで梅が咲き始め春の気配が色濃くなってきていた。


「そもそもちんぽがデカすぎて何の問題あるのか、って話だよね。デカいのは良い事じゃん。デカいって言ったらケツの方がデカいよ、これ。むしろ作ってる途中はケツの方に勃起してたもん。ケツに欲情して卑猥だと言われるなら納得できるけど、ちんぽがデカくてなんなんだよって話だよ。他人のちんぽがデカくてどう不快なんだよ。自分に理解できないものを不快だ、嫌いだ、なんて言ってたら楽だろうけどそれじゃ他人を傷つけるだけだよってなんで分かんないだろうね」


前言撤回。先生はそれなりに怒りを覚えているようだ。


「どうなんでしょうね。劣等感というものを覚えてしまうのでしょうか。男性から批判があったのか女性から批判があったのかは定かではないのですが」


「絶対男から苦情が来てると思うけどね。劣等感というのは現代においては毒なんだから。聞いておいてよ、苦情の男女比率。それくらい製作者として聞く権利はあるんじゃないかな。」


「聞いておきます。それで先生。この作品、どうします?ここに置いておきますか?」


「えぇ~、邪魔だなぁ。いる? 安田くん」


「いりませんよ。こんな等身大の像が自宅にあるのおかしいでしょう」


「確かにおかしいねぇ。芸術が日常にあるのはおかしいとは僕も思うよ」


「そういうことではなくてですね」


「まぁ市から報酬はもらってるんだし、捨てちゃってもいいんだけどさ。それじゃこいつがかわいそうだよね。なにか日常に溶け込む以外の方法でこいつに華を持たせてあげたいよ。折角エロい尻もしてんだしさ」


うーん、と頭を振りながら思案する先生。先生のマネージャーとなってもう5年ほどが経つ。性的マイノリティとして表現活動をする芸術家はこの時代少なくないが、先生のように奔放に、言ってしまえば子どものように躍動する芸術家は珍しく付き合っていて退屈しない。今までになぜ俺はこんな仕事を、と思うようなことは一度だってなかった。マネージャーの仕事として先生の創作活動の支援とクライアントの要望を端的に伝える仕事として今回の作品の撤去は自分にも責任があると当然思っていた。


そうだ!と先生は声を張り上げる。


「ここは岡本太郎先生の思想に則って派手にやっちゃおう。元々こいつはモノレール駅前にあるようなものじゃなかったってことだよ。ローリングストーンってやつが僕の芸術の信念なんだ」


先生の創作活動の支援、その為に自分が出来ることはなんでもやろうと思った。



「爆破…ですか?」


緑川は2月の終わりに座っていた席とまったく同じ席の上でおずおずと言葉を吐き出した。4月初め。桜がそろそろ散りゆくころだった。


「ええ、そうです。少路駅前から撤去した裸体像、あれを爆破します」


「何故でしょうか?」


「何故?先生がそう決めたからです。なので差し当たってあれは市の物でもあるので爆破の許可を頂きたいのです」


「一度持ち帰らせてもらってもいいですか?私個人では判断できかねますので…」


緑川は明らかに戸惑っている。それはそうだ。しかし先生のマネージャーとしてこの案件はなんとしても通さないといけない。これは社会の責任に押しつぶされてする仕事ではなく、名誉のための仕事なのだ。一本のデカいちんぽを心の中に屹立させなければならない。


「緑川さん、調べたところ関東に個人で爆破が出来る場所があるそうです。この爆破にいたっては先生が市からもらった報酬を使って行います。ですから市の方から手出ししてもらうものはありません。撤去された像の爆破許可だけが欲しいのです」


「…なぜ爆破されるのですか?」


「先生曰く、日常に残るものは芸術足り得ないと。ローリングストーンだと。つまり私たちにはもう爆破しか残されていないんです」


市の像を爆破する、これは市民の苦情に圧された仕事でも上司からの命令でもない。役所の人間として板挟みが日常であろう緑川から仕事の楽しさというのを引き出してやらねばならない。そのための爆破でもあるのだ。


「緑川さん、あなたはあの裸体像についてどう思いましたか?」


「それは、我が市の観光名所になるに十分の、」


「緑川さん個人の見解で答えてください。市役所職員の緑川さんではなく一豊中市民であるただの緑川さんとして」


「女性の裸体像だったらもっと良かったな、と思いました」


「そうでしょう!私もそう思っていました!だからこその爆破なんですよ、緑川さん。私たちで先生の芸術をまた別の芸術に昇華させるのです。それは普段の日常にはない新たな刺激です。見たくないですか?裸体像が木端微塵に爆破されるところを」


大げさに抑揚をもって緑川に語りかける。乗ってこい、緑川。市役所職員という保守的な日常を破壊するのは文字通り爆破しかない。というよりもこれに賭けるしか安田には方法がなかった。


「…分かりました。上にかけあってみます」


使命感のみが人を奮い立たせるのかもしれない。


「ありがとうございます。あ、緑川さん。あと、像への苦情は男性が多かったか女性が多かったか調べておいてくれませんか?」



豊中市と楷書体でトラックの荷台横の部分に印字されたトラックがブルーシートとロープでしっかりと固定された裸体像を荷台に乗せて運んでいる。そのトラックに先導されながら安田はレンタカーで借りてきたカローラで先生を助手席に乗せながら高速道路を走っている。時刻は朝の8時。5月の子どもの日であった。


「まさか緑川さんが直々に運んでくれるとはね。しかも市のトラックまで借りてきてもらってさ」


「なんでも上長に直談判してくれたらしいですよ。しかも休日返上で栃木まで付き合ってくれるんですから、嬉しい限りですね」


「ちんぽがデカい像を爆破するところをそんなに見たいのかね。担当者として最後まで見届けるという真面目なお役所人らしさからかもしれないけど」


緑川に像の爆破を伝えた翌週、「爆破の許可をもらいました。爆破できる栃木の採石場まで私が像を運ばせてもらいます」と電話を返してきた時は緑川の手際の良さには驚いたものだ。電話の声は努めていつもの調子だったが緑川が爆破に乗り気なのは手に取るように分かった。緑川の仕事を褒めたたえたい。


「そういえば、男性の方が多かったらしいですよ。ちんぽが大きすぎるという苦情」


「そうだと思ってた」


「なぜそう思ったんですか?」


「僕はゲイを公表して芸術活動をしているけどさ、別にゲイだってヘテロだって本来は芸術にそんな要素は関係ないと思うんだよ。ただ、善いと思ったものを作るだけだしね。けどそれでもゲイだって公表してるのは、僕と同じような人がいたとして標のような存在になりたかったからなんだ。世の中は普通に生きてたら狂ってしまうようなことで溢れてるよ。仕事が上手くいかない、プライベートが充実していない、それこそ駅前の裸体像のちんぽがデカすぎるってだけで劣等感を感じてしまう人もいるんだよ。僕はそうならないようにこれを作ったけど世の中思ったより厳しいみたいね」


爪の間を眺めながら先生は訥々と話した。これはゲイの人にしか分からない、そういう感覚なのだろうと安田は判断した。5月の強風が車体を少しだけ揺らしている。


「先生はなぜ裸体像を作られたのですか?」


少し考えてから先生は口を開いた。


「古今東西、裸体像を作る目的は一つ。美しさの追求だよ」



吹きすさぶ砂埃の中、つい3か月前まで少路駅前で人々の衆目にさらされていた裸体像は体に爆薬をつけられ立ち尽くしていた。像はまるで砂埃など意に返していないように感じる立ち姿でまるでそこだけまるっきり別の空間であるかのような違和感が切り崩された岩山の中央にぽつんと立つ裸体像にはあった。そろそろ日が沈みかける17時頃、スタッフからナパーム爆薬の起爆スイッチが渡された。


「ここまで運んでくれてありがとうね、緑川くん」


「いえ、こちらこそこんな場面に立ち会わせてもらって幸せです」


緑川は勃起していた。


「安田くんもありがとう。君がいなきゃ僕はなにも出来ないよ」


「いえ、私も先生の創作のお手伝いが出来て幸せです」


安田もまた勃起していた。


「誰が押す?緑川くん押す?」


「それはもう先生が…!」


「ええ、先生が押すべきです」


「分かったよ。僕の作品だしね。こいつがいつまでも心に残るように押させてもらうよ」


先生の顔に特に表情はなかった。いつものように世の中なんでもない、というような顔をしている。しかし先生も勃起しているのだろう。わざわざ視線は落とさないが安田にはその直感があった。


「じゃあ押します!えい!」


カチッ


BOMB!!


裸体像は木端微塵に吹き飛ぶ。デカすぎるちんぽの部分だけが綺麗に残って空を舞っているのが遠目に見えた。


おわり


本短編作成にあたり大阪府内で駅前にちんぽのデカい像が置かれたら苦情がきそうな市区町村について、やっす【X(旧Twitter) @mogmog0409】氏に監修していただいた。御礼を申し上げたい。なお、作品内の表現については全て筆者の一存であり、不備があれば全て筆者の責である。

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