2022/06/16

接待飲み会というものがあったりするのだが、その手の大人の儀式が未だに全く肌に馴染まない。接待するにしろされるにしろなぜ飲みに行く必要が...?そもそも「飲み」の文化すら俺の中では当事者意識の欠けた他人事のイベントであり、酒が好きじゃないという要因も影響しているのでしょうが酒よりもサイダー、つまみよりパフェを好む俺からしたら飲み会はキツい更にはそれが会社強制となれば俺がどこまで会社飲み会を嫌っているかは分かってもらえるでしょうか。
パリッとしたスーツにとんがったビジネスシューズ、ジェルでカチカチに固めた短髪と刈り上げで仕事する奴はもれなく全てが犯罪者、より詳しく言うなら人殺しだと言われておりますが、俺の周りには意外とそういう奴が多く人を騙してお金を稼いでる奴ばかりなのですがそういう社会の闇、怖い部分に当然のように染まれる人は一体いつからそうなのだろうか。芸能界の闇、と言うと分かりやすいでしょうがああいうあからさまな悪人に人間はどの時点でどのようになっていくんでしょうね。

そこまで言うと大げさなのだが、話は戻ってお酒を好きな人がこの世には当然のようにいてその人も生まれてからお酒が好きなわけではないと思うんですよ。いつからかどうして好きになる。会社の飲み会も楽しみになる。ある朝起きたら急に好きになってるんですかね。人の味覚とか感性がゆっくりと変わっていくとはあまり信じたくない。ある朝急に変わっていて欲しいですね。そうすれば俺の苦しい日も少なくて済むだろうし。ほんとは今の俺のままなにも変わることなく最高になりたい。なにもかも今のまま変わらずにいてくれと願うのは社会人としてダメなのは頭では分かってるんですけどね。ビートたけしの『ソナチネ』という映画に「あんまり死ぬの怖がるとな、死にたくなっちゃうんだよ。」ってセリフがあるのだが、変わらずにいることを願うといつしかほんとに変わっちゃうんでしょうね。深層心理ではそれを望んでるのかもしれないが。

俺はかなり暗い人間でそれはインターネットにこうやってシコシコと日記を公開している時点で分かってることではあるのだが、前述の通りいわゆるパリピ、陽キャのように振舞うことにそれなりの憧れがあって今日もインスタなんかを始めてみたりしちゃって暗い自分への抗いを行っている。しかもインスタはみんなが優しいらしいので。インターネット色が薄い場所はそれだけ人が温かくてそれで言ったらTwitterなんてもうインターネットの最底辺、Twitterバリバリやっている俺が言ってもという気はするがTwitterの不健康な感じはどうにかなりませんか。インターネットで他人のことをどうこう言うなんて大変気持ち悪い性質でカスですよ。
すいません、お前が言うなという話であってnoteでどうこう言っても始まりませんが他人のことを思いやれたらいいですねという話です。事情があって思いやれなくてもそれはそれでいいとは思うのだが、カスにはなって欲しくない。春には桜が咲いて、夏はクーラーがあって、秋は美味しいもの食べて、冬はコンビニで温かい飲み物が売ってるんでそれで人生は終わっていて、あとは事故に気を付けながら生活してシコって寝ていればもう十分だと思うんです。

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