2022/12/07

12月に入り殊更に寒い日が続いており俺の外着はもう冬の最終装備になっていてアクションゲームでいう装備可能箇所を全て埋めた状態。つまり一番嬉しい状態であるのだが、そんなことより日記を天気の話で書き始めるのはありふれすぎていてなんだかなぁと思いませんか?
職場の人間と雑談をする場に追いやられると思うことだが、話すことが天気の話しかない。なんでも話していいですよという雑談の場において俺の頭に浮かぶのはいつも今日は寒いっすね〜などという天気及び気温の話ばかり。仕事の場であれば最低限の仕事の話しかしないのだが、雑談という自由な広場に追い込まれた俺の手に握られているのは天気の話という一枚のカードのみ。全く嫌になってしまいます。

そうでなくても俺がする話など金玉の話かアニメの話しかないというのに一体どうしてこうなってしまったのか。どうして金玉に毛が生えるというのか。
高校生の頃通りすがりのクラスメイトの女子に「あなたって漫画とアニメの話しかしないよね」と言われたのは今でも大層覚えていますが、別に俺だってそんなに漫画とアニメばかりしていた訳ではなく当時から流行りのドラマなどは見ていないし放課後は部活と田んぼと田んぼの間の畦道を歩く生活だけがあったので、頻度や絶対量の話ではなく単純に俺が持っていた雑談の手札が毎週のジャンプと兄に見ろと言われて見た涼宮ハルヒの話しかなかったのだ。
悲しい話ですが、漫画やアニメ以外に何もしていなかったので漫画やアニメの話をするしかない。今だって仕事かエロい事考えるか涼宮ハルヒを見ているかしかないのでその話しかできない。砂漠に囲まれた民族が人間と愛のことを多く語るように、海で囲まれた小さな島で生まれた哲学が星と波のことばかり論ずるように、コンクリートに囲まれた小さな人間から発せられた意識は決してこの小さい部屋から出る事はなく、狭いところを堂々巡りしながら結局同じことばかりを発信するのは当然のことなのかもしれない。

自由に話せと言われただけでこんなに思考の空転をみせるのだから俺ちゃんってば一体どれだけ自由が身に余ってるのかと思わずにいられない。仕事の中では仕事の事しか喋らないから楽なのにそういった仕切りがなくなった瞬間に自らの想像力の小ささを思い知らされている。
世間話って一体何を話せばいいのか。俺はゲイなので週末はゲイの出会い系アプリを使ってゲイとピクニックに行ってきましたよ楽しかったですなんて言えるわけもなし。話せることに制約のある俺たちが過ぎた自由に曝された時に生み出せるのはそれ聞いたことあるよといった手垢のついた話題ばかり。ゲームキューブのスティックばりに手垢だらけの天気の話。

ルールで縛ってあげること、生活に仕切りを与えることは人間には過ぎた代物である自由を感じさせない為の人間の弱さに立脚した優しさに他ならない。
「休日は何してるの?」という質問に対して何をしてもいい休日にあなたに言えることは何もしていなかったとなるのだから、つまり何もしていない、有り余る自由の中で何もしないという事は人間の弱さに向き合うことに他ならないのであってじゃあ「休日は人間の弱さに向き合っています」と言えるわけもなし。であるならば俺がこの質問に言えることは「休日はアニメを見ています」これしかないのである。

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