2023/06/07

1カ月に1本は作文を書こうと思っているのでさっきも少し暇な時間に1000文字くらい書いたところでオチが思いつかなくて止めてしまった。思えばこういうオチが思いつかなくて止めるという作業を俺は何度も繰り返していて創作において一番偉い人は面白いものを書ける人ではなく書ききることが出来る人だというのが身に染みて分かる。いけるかもと走り出してみて少し走ったところであこれ無理ですやっぱやめますとなったことが俺の人生で何度あるか。俺の人生っていつもこんなんですよという諦念を今日も得てしまい手軽な希死念慮が沸いてくる。非常に良くないのですが。

自己肯定感が低い故に人間は誠実に生きねばならないとか俺は頭を殴打されて死ぬべきであるなどとめんどくさいことを言うのだが、自己肯定感というのがいつ生まれるのかというと恐らくそれは15歳くらいまでの環境が大きいと思っていて、俺の小学生・中学生時代は他人の視線を気にして生きていた時代で(別に今もですが)他人に嫌われることを極端に恐れ他人に迷惑をかけないことを第一としてきた。とにかく学校社会一般社会人間社会に馴染むように生きてきてしまいそんな俺に自分を愛す時間などあるはずもなくそんな時間があったとしても俺はCoDにハマっていたのでとにかくインターネットで他人を殺すか現実で自分を殺すかしかなかったのです。子どものうちに社会に慣れさせるというのもきっと大事な事でしょうが子どもは15歳までは他人のいない自然の中で育てたほうが良いかもしれない。自然派ママみたいなことを言っていますが。

俺は自己肯定感が低いと宣っていますが結局は自分中心のケツ穴野郎ですし最初に書いた通り自分の書いた文章は恥ずかしげもなくインターネットに公開している。ケツの穴をインターネットに公開できる人間もいるので価値観も人それぞれですねとしか言いようがないのかもしれないが、人によっては自分の書いた文章をインターネットに公開するのはちんぽを見せるより恥ずかしいと思うかもしれない。しかし俺がそれを易々と行ってしまえるのは自分の文章に多少の自己肯定をしているのだからだと思うし、なぜそうなったのかは分からないですが恐らく外に出ずに本ばっか読んでたからですね。人に会わないとダメですね。

俺の脳は年々しわが減り瑞々しさを失っているが、その分多少人間的成長もしていて。この前久しぶりの友人と街ですれ違ってお互い驚いて「今度飲みにでも行こうよ」と誘われたので「じゃあ○○(共通の友人)と一緒にでも行こう」と返したら「いやそれもいいけど二人でも行きたいよ」って言ってくれて、昔なら人付き合い自体を嫌っていた俺ですがこの時はああほんとにうれしいねとなったのです。他人に何か思われることを警戒しすぎていた俺ですがやはり他人の中で躍動している俺も良くて、これから先の人生大事なのはやはり友人です。俺を救ってくれるのは犬と猫と友人です。あとエロい恋人です。
これを読んでくれてる人もいつか俺の友人になってくれる人がいるかもしれません。こんにちは。俺は朗らかですので宜しくお願いします。

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