これまでの36歳ゲイ丁寧な生活

10月の割にはしっかりと熱をもった太陽光がベランダの網戸を通して自分の顔を照らしている。先ほどまで洗濯機の中でジャブジャブと洗われていた洗濯物も暖かい陽気の中でゆらゆらと揺れているのが視界の端に映る。部屋には何度聞いたか分からないお気に入りのゆったりとした調子の洋楽が流れていて、洗濯物たちはまるでその音楽に合わせて踊っているようだ、と自分には似合わない可愛い思考をしてしまう。

顔に当たる太陽光を嫌い立ち上がってから冷蔵庫を開ける。ビール、レモンサワー、日本酒、水、炭酸水。独り身には少し大きい冷蔵庫の中で綺麗に並んでいるのは飲み物ばかりで、この冷蔵庫の持ち主はちゃんとご飯を食べているのか、と心配になってしまう並びだがこの冷蔵庫は当然自分の冷蔵庫なのでこれも見慣れてしまった。十年以上これなのだから当然だろう。
土曜日の朝から2回も洗濯機を回した自分へのご褒美に冷蔵庫から生ビール黒ラベルを取り出す。その勢いのままご飯を作るため棚からカップラーメンを取り出し、やかんでお湯を沸かす。やかんの底部の黒い汚れが気になったので後で重曹で磨かなきゃ、とぼんやりと思いながらお湯が沸くのを待つ。
料理が出来ないわけじゃない。むしろ見た目の良い料理を作るのはかなり得意な方だ。けどそういう料理は家にやってくる友達の為に作るのであって自分の為に作ることは決してない。誰に言うわけでもない言葉をカップ麺を食べる気後れの為に懐から取り出して反芻する。
ご飯を食べたら先週キャンプで使った道具にまだ土がついているのでそれも落とさないと。ベッドのシーツも洗ってしまおうか。今日は天気もいいし全てが乾くまでベランダで本を読んでもいい。夕方に洗濯物を取り込んだらジムに行ってそれから銭湯に行って帰りはスーパーカップとビールを追加で買ってこよう。ご飯を作る気にもならないから夕飯はピザでも取ってそれを食べながら眠くなるまでネトフリで映画でも見ようか。眠くならなかったらポケモンのように酒で自分にダメージを与えてから寝てもいいし、むしろ全然寝なくてもいい。それで誰かに怒られることもない。土曜日だし一人暮らしだし明日の予定も特にないし...

カップラーメンを食べ終わり一旦ソファに寝転がる。読みかけの本を開くがいまいち目が文字を追っていかない。あー、シーツ洗わなきゃ。やかんも、キャンプ用品も後で綺麗にしなきゃ、と思った端から瞼が重くなる。そして重力に従うように瞼を閉じた。

今年で36歳になった。36という数字の字面の破壊力は重くのしかかり、その重さで「おっさん」という領域に片足どころか胸元あたりまで浸かっていることを自覚させられる。気持ちだけはいつまでも若いつもりだが、体型、肌、体力、そして感覚は今の若い子と対比することで自らのおっさん具合を感じずにはいられない。

10代の頃に想像した30代後半は既に結婚して子どももいるのかな、なんて考えていた。しかし描いた未来予想図は大きく外れ、自分は20代のころにゲイになり大小様々な男同士の恋愛を何度か繰り返して今に至る。中学の同級生の子どもはもう中学生になるらしい。自分が通った中学に自分の子どもを通わせる気分はどうなんだろうか。本当に一切想像がつかない。結婚して子どもをもうけることが一般の幸せと定義されるなら自分は幸せから一番遠い位置にいることになる。

普通に仕事して普通に生きていれば結婚できるだろうという舐めた考えが染み付いて、結婚どころかゲイとして一人の彼氏もいないというのが今のところの自分の結果であり、そんな時代は終わったよと誰も教えてくれなかったせいでこうなっていると他責の感情が首をもたげてきたりして、それは違うだろと自己否定している間に季節が変わっている。別にゲイにしろノンケにしろ"独身男性"という呪いは抜け出しにくいもので、今の独りの生活を楽しんでしまったら楽しい楽しいと思っている間に1年が経っている。それの延長線上に今の自分がいて自分が描いた線の上から別の誰かの延長線に飛び乗ることはなど、余程のことがない限りないのだ。

ゲイとしてそれなりの人数と付き合い同じだけの別れを繰り返してきて分かったことがある。それは恋愛や人生のことなど何も分からないということだ。なにも分からないということが36年生きてきて分かりました。そしてここからが一番の問題だが、この正解というやつは誰も知らないらしい。正解を誰も知らない時代に自分たちは生まれてきてしまった。みんな迷って、みんな手探り状態。現代は大航海時代とそんなに大差がない。

何時に帰ろうと、何を食べようと、誰と寝ようと全ての生活の決定権が自分にある状態が続くと無性に誰かに頼りたくなったり、甘えたくなったりしてしまう。甘える相手は今までに何人かいたが何か違うと思って結局別れることになってしまった。20代の時に出来た恋人を運命の人として一生添い遂げる覚悟をすればよかった。そうすれば今頃は...今頃はどうなっていただろうか。他人の子どもを想うくらいに幸せな自分が想像できなくなってしまった。しかし誰かを選ばなかったことに不思議と後悔はない。後悔はないからこそ自分の人生が分からなくなってしまった。どうしましょうか、この人生。どう思います?

窓に叩きつけられる雨音で目を覚ました。時間は午後6時。眠る前はあんなに踊っていた洗濯物も今や雨に濡れてしょんぼりしているようだ。洗濯物もジムも銭湯も、なにもかも自分の思い通りにいかなかった。

「どうしましょうか...」夢の続きの言葉を呟く。結局なにが正解か分からなかったが、「雨だしいいか...」と誰に言うわけでもない言葉を反芻してから自分はピザを頼むことにした。

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