2023/07/14

ちんちんを触ってくれる人を探す為にナイモンを見ているとえらく長い文章で「こんな人は俺には合わないからダメ」を書き連ねて最後には「いいねいりません。メッセージ下さい」と締めているプロフィールの人がいてこんなものを長々と読むことがSEX活動の一つとして必要であるならばなんと虚しいことかと思わずにはいられない。「いいねいらないです」なんて突っぱねられるとせっかくのシコる手も止まってしまって代わりに拳銃へと手が伸びこいつが死ぬか俺が死ぬかだ、という暗澹とした思考の路地に迷い込んでしまいそうになるがKO-VIDEOの7月新作がかなり豊作でなんとかシコる手を止めずに済んだ。

やはり若い子がSEX-VIDEOに出ている事実は俺を元気にしてくれる。おじさんの魅力もそれなりにあることは理解していてそれでいえば俺は汚いおじさんは大好きなのだがやはり若者の肌を見るとハッとするものだしその驚きと単純に若者のSEX大好きですよというような仕上がった表情で俺はシコっていると言っても過言ではない。おじさんがSEX大好きですよ、という表情や振舞いをしていても驚きはない。だっておじさんはSEXが大好きなので。
俺がもしSEX-VIDEOに出たならばこのような振舞いはきっと出来ずに結局周りを取り囲む大人が全て敵にでも見えてしまって俺のSEXなどでお金が頂けるはずがないというそれはお前が判断することではないだろ、という無意味な思考に囚われシコってもらっても緊張で射精出来ずに人様に俺の足ピンを見せることへの嫌悪が突然襲ってきてその場でSEX-HOUSE、若しくはSEX-HOTELに火を放ってしまうと思う。

若者がSEX-VIDEOに出るべきではない、という言説があり、出るべきか?と言われたらそれは出るべきではないのだが好きにさせてやれよとしか思えない俺は他者への思いやりという点では何か欠如しているかもしれない。善く生きる為にSEX-VIDEOへの出演は必須ではないがSEX-VIDEOに出ることが善く生きることへの妨げになるかというと別にそんなこともないのではないか、という他人だからこそ言える意見しか出て来ないがSEXを他人に見せることは狂っていると言われればそれまでだし、まぁ確かに狂ってますわな、くらいの温度感を持ち続けることが逆に他者に寛容になれるのではないかとすら思う。

煙草は百害あって一利なしと言われ、あんなものを吸い続ける人は狂っていると言われたら恐らく喫煙者もまぁ狂ってますが...くらいにしか思わない。善く生きる為の哲学を俺は学ばずにここまできてしまって哲学を学ばなくても別に死にはしないがSEX-VIDEOが無かったら俺は確実に死んでいると思う。先ほども拳銃に手をかけ死にそうになったが『エロい、デカい、うまい。六尺丼』のサンプル画像で死なずに済んだのだ。そういう意味でも俺はSEX-VIDEO、引いてはSEX-VIDEOに出演してくれるガッツ溢れる人に大変感謝していて俺がきっと40代になって思い出すのは行ったこともない冬の海の美しさとSEX-VIDEOのエロいパッケージである。そう考えると他者を思いやりと言う名の槍で貫く前に海へ行くべきなのだ。今から江ノ電に乗って海を見に行けば俺が40歳になって人生に絶望した時も後からきっと海の美しさと『エロい、デカい、うまい。六尺丼』の美しさを思い出すだろう。

善は急げとさっそく海に行くために電車に乗ったが思えば今は冬ではなく夏、夏の海など臭くて汚いだけなのだから行っても意味なしであった。SEX-VIDEOのモザイク無いバージョンを個人的に売ってもらえないだろうか、3倍の値段で買うのに。そんなことを思って電車に揺られていると臭い汚い海が車窓から見えてきてそれでもやはり海だからちょっと良く見えてしまって別に夏の海もそんなに悪くないなと思ったのだった。

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