2022/10/18

この前の日曜に友人と富士急ハイランドに行く約束があり、朝一の6時半ごろにバスタ新宿から出ている直行バスに飛び乗りその道すがら前回投稿した短編の作文を書いていた。この作文がありがたいことに今まで書いた文章の中では一番のPVを頂き、閲覧数だけでシコってしまえるほど嬉しかったです。
ここ最近の自信作は木場そーやとの共作である『裏筋帝国ゴールデンボール騎士団 第四団長 カウパー・トロリア』であるのだが、あの手のふざけた作品は一部に大うけ(主に俺と木場そーや)して、大多数からは冷めた目で見られるというところまでが一つの作品であると思うのでウケなくても当然であるとは思っているのだが恋愛を描いた文章はここまで見てもらえますか、という驚きも感じている。確かに恋を知らずに老衰するのは現代では不可能で人間は生まれてから一度は誰かに恋をする時代ではあるので、「恋愛」が人類共通の"あるある"になっているのだろう。最近は意識的に恋愛小説を読むようにして恋愛小説のいろはを掴もうと勉強している。次もまた恋愛テーマの作文をしようと思ってますよ。良かったらまた読んでくださいね。

日曜に行った富士急の思い出を書きます。
富士急、というか観光地には絶対あるものとして「顔ハメパネル」がありますよね。俺は顔ハメパネルが好きでして、顔ハメパネルを見たからには「恥ずかしいですけどね、こんな歳でね。」という思いのもとハメたりハメなかったりする。顔ハメパネルなんて絶対ハメた方が良いのに、なぜか恥ずかしい。そしていざハメようものなら「普段クールな俺でもこういうはしゃぎ方見せちゃいますよ」といった顔でSNSで画像をアップする。
こういった心の機微。たまらないのである。喜んでやったらいいのにイマイチ素直になれない瞬間、顔ハメパネルはそれを思い出させてくれる。

この心の機微は、例えば駅前でモンスターエナジーを配っているお姉さんに近づくときも感じる。「騒がしいなぁ」という顔をしながらもモンスターエナジー貰いたい…この感情は顔ハメパネルに顔をハメたい時の感情と同じ。
あと、欲しいものをAmazonで注文してそれがやっと届いた時。配達員から品物を受け取る時は「あれ?こんなの頼んだっけな?」という顔をする。しかし内心は「やったー!届いたぞー!フゥー!!」という気持ち。これも顔ハメパネルを前にした人間の感情の揺らぎと同じ。

顔ハメパネルは人にハメられるだけの存在で、皆一様に顔ハメなんてしたいに決まっている。だって顔をハメられる物なんて顔ハメパネル以外無いのだから。
最近はマルチメディアやマルチデバイス、マルチバースなど何かとマルチに注目されがちだが、顔ハメパネルはマルチとは程遠い存在。
音楽は聴くもの、映画は観るもの、顔ハメパネルはハメるもの。こういった直線的な運動の中にしか存在しないエモーションは言語化できない液体のような感情の中で確かに感じる。"なんか良い"存在としてこれからも顔ハメパネルは観光地に佇んでいて欲しい。

ちなみに、富士急ハイランドで一番面白かったアトラクションは「リサとガスパールのミラーメイズ」でした。これは逆張りとかではなく、本当にあのアトラクションは創意工夫が詰め込まれていて感動します。一度体験してみて下さい。

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