俺達の人生の正解

「菅原、俺大学辞めるから」
と宮本は言った。

「え?なんで?」

「悪いけど、これほんとだから。」

「だからなんでだよ。」

「東京に住んでる彼氏のとこ行く。」

「はぁ?いつ?」

「すぐ。来週には行くよ。」

「なんで。」

「別に。理由はないけど向こうも来ていいよって言ってたし。」

「一緒に住むのか?」

「最初はね。向こうで仕事見つけたら俺は俺で一人暮らしするけど。」

「彼氏もそれがいいって?」

「彼氏がその方がいいって。なにがあるか分からんしって。」

「なにがあるか分からんって…」

「なんだよ。」

「いや、なんでもないよ。」

お前それ彼氏の熱量確認した方がいいよ、そんな事を言おうと思ったがそれは余計なお世話かと思い直し口を噤んだ。

宮本と俺は同じ大学の同級生でお互いがゲイだと知っている。知り合って2年で俺たちは今年の春から3年生になった。周りは就活の為の準備だ、資格取得だなんだと言ってるのに宮本からファミレスで持ちかけられた相談はまさかの東京の彼氏と同棲するから学校を辞めるときた。愛知から東京なんて通える距離じゃないから大学は辞めるしかないのだけどこいつマジか。前から愛に生きているような人間だったがついにいくとこまでいってしまった感がある。

「そうか。まぁ向こうが良いって言ってるんならいいんじゃねーの。」

「良い人なんだよ。ほんとに。俺には勿体無いくらいの。」

「引越しのお金とかはどうすんのよ。出してもらえるの?」

「それは流石に申し訳ないよ。」

「けどお前金ないじゃん。」

「それはどうにかするよ。」

「どうにかってどうすんのよ。」

「人から借りるとか。」

宮本は本当に救いがたい馬鹿。こいつの事なかれ主義は極まるところまで極まっており東京行く為だけに人から金借りてどうすんだっつーの。誰から借りるんだどうやって借りるんだいつ返せるんだ、まずそこんとこどうするんだ。

「借りるなら彼氏さんから借りろよ。変な人に借り作るもんじゃないぞ。」

「いやだからそれは無理だって。いいだろ、そこらへんはどうにかなるよ。」

そもそも宮本の彼氏は宮本が東京に来る事をどう思ってるんだ。来ていい、なんて言い方をしてたがそれは"来てくれ"なのか本当に"来てもいい"なのかでまるで違う。そして彼氏は現役大学生である宮本が学びの道を断ってまで同棲を求める事をどう捉えているのか。そりゃ普段の宮本を見てれば同棲をする為に大学を辞める事はこいつの独断専行なのだろうが、それを含めてもこいつの行動には危なっかしいところがありすぎやしないか。

俺は友人として宮本が心配とかそういう気持ちは少しだけある。しかしそれ以上に俺は大学を辞めてまで愛に生きるこいつの余りにもリアリティのない話にも興味があった。考えなしとかそういうことはあるけれど、大学卒業して就職して普通の人生を歩もうってやつばかりの中で宮本は馬鹿みたいに愛に生きようとしている。周りの目ばかりを気にしてゲイとしての恋愛も出来ないでいる自分と宮本は大きく違うのだ。おいおい、なに大胆に生きてようとしてんだよ、宮本。
お金とかあっちでの生活とかいろいろと細かいとこに言及はするけれど、結局俺が最後に宮本に言うことは決まっていた。愛に生きた人生がどういう帰着を見せるか、俺に見せてくれよ。

「まぁ、それでもお前が思ったように行動すればいいんじゃね。人生一度きりなんだしさ。」

人生一度きり、他人事においてこんなに無責任な言葉もないがそれでいてこの言葉はそれ以上の甘美と便利がある。宮本が東京に旅立つ前にした会話はこの言葉で全て万事OKになってしまった。


それから1年。宮本との会話はLINEで続いていた。宮本は東京で彼氏と同棲しながらバイトをしてなんとか生きているようだ。ゆくゆくは今バイトしているところで社員登用してもらおうと思っているらしい。彼氏との仲は何度か危ない時期はありつつもなんとか続いているとのことだ。

俺は俺で普通に生きる為に就活に大忙しで愛に生きる宮本と違って現実の嫌なところばかり見つめさせられているが、宮本との連絡は欠かさないようにしていた。友達、という関係もあるがそれ以上に宮本は言わば「あり得たかもしれないもう一人の自分」なのだ。

ゲイとして愛に生きるというリアリティを選択した一つの仮定の人生が宮本でそれは俺がなっていたかもしれない人生だ。宮本は彼氏の許に行く為に多くのものを捨てた。大学とか親との関係とか地元の友達とかそういうものをかなぐり捨てて愛を手に入れようとした。俺も時々それらを全部捨ててしまおうかと思うことがある。だってゲイだし。それを社会にも親にも隠して生きようとする俺にこの先残るものはなにもなくて、俺が得るものは社会的に見たら限りなく少ない。じゃあ好きなように生きようって思ってしまう。そしてそれをした宮本。それをしなかった俺。俺は宮本が選ばなかった人生を生きた先になにがあるか見届けねばならないし、宮本も俺が選ばなかった人生の先に何があるのかを見せてくれなければいけない。

それにしても宮本は少し愛を信じすぎるきらいがあって、彼氏と四六時中一緒にいるはずなのに本当に四六時中いないとダメなようでそのことをLINEでよく愚痴ってくる。

「この前もさ、会社の人と飲みに行ってくるって言って帰ってきたの次の日だよ?どんだけ飲んでんだよって感じ。絶対なんかあるよね?」

「向こうが会社の人と飲んでくるって言ったならそうなんだろうよ。そこは信じてあげたらどうだ。」

「でも最近なんか冷たい気がするんだよな〜。一緒に住み始めた時はそんな事無かったのにさ。」

「落ち着いてきたってことだろ。恋は一瞬で燃え上がってあとはその火種を維持していくのが愛なんだから今はゆったりと揺れる火を楽しんだら良い。」

「それでもあまりにもかまってくれないのはこっちとしても付き合っている意味ある?って思っちゃうんだよ。」

宮本は愛に飢えている。それも恒久的な飢えだ。宮本は愛情をかなりの一定量、かつ超長期的に注がれることが恋愛の条件だと定めておりこれはこいつの家庭環境とかが関係していそうだがそういう事は考え過ぎない方がいいだろう。とにかく宮本は彼氏とのラブラブチュッチュやセクースが定期的にないとすぐ不貞腐れてしまう。立ち止まり、愛情の意味を考えてしまう。泳ぎ続けないといけないマグロのように宮本の愛情に落ち着きとか妥協とかはないのだ。

そんな宮本に愛情を注ぐと約束した、またはしてしまった彼氏は宮本とは愛情の捉え方が違うようでその齟齬が昨今のもっぱらの愚痴の種だ。こればかりは彼氏が悪いとしか言いようがない。宮本に愛を渡すということは宮本と常に全力で走り続けることを意味しているのだし、それが出来ないのならそれを約束するべきではなかった。
その日の気分で浮浪者にこれでご飯でも食べてくださいと1000円を渡してそれで自分は良い事をしたと陶酔するのは自由だが、ならばその浮浪者の明日の飯はどうなるのか。明後日は明々後日は。一度周りの人間に手を差し伸ばしたのならその善意には責任を持たなくてはいけない。これはつまりそういう話なのだ。

「とりあえずちゃんと話し合ったらいいんじゃないのか。そっちの不満とか不安とかを言ってあげれば、向こうも言われれば直してくれると思うよ。」

「う~ん、そうかな。最近色々あってさ、そろそろ彼氏の家からは出て別々に住もうとは思ってるんだけど別々に住んだらもっと彼の事よく分かんなくなっちゃいそうで。」

宮本の言う事も勿論だが彼氏の言動にも別に何らおかしいことはなくて、彼は恐らく愛情に一旦飽きたのだ。愛情に一生懸命だった時期に少し疲れて、言わば愛のブームが終わり今は別のブームが来ているのだ。それはよくあることできっとただそれだけで、また愛のブームが来ることもあるだろう。春夏秋冬で愛のブーム真っ盛りの宮本とそれが噛み合っていないだけで、いや噛み合っていないからこそすれ違いが起きてこれもまた世の中にはありふれた話でそして俺にはなんら関係ない話で愛の行く先など言ってしまえばこの二人以外の誰にも関係ない話ではあるのだ。
俺は宮本の人生に過度に接触しないようにしなければいけない。要所で話を聞いてあげることはあっても全ては宮本や当事者の決断でなければいけない。それを横から話に突っ込みかき回すことなど、宮本のもう一人の俺でさえやってはいけないのだ。

そうして二人の人生を生ききり、いつか俺は宮本と俺の人生を比べる。あり得たかもしれない宮本という俺のもう一つの可能性とそうではない俺が生きた世界、その二つを比べて勝ち負けを決めるのだ。
人生には善も悪も正解も間違いも勝ちも負けも明確には存在しない。人生はスポーツやゲームではない。負けてないことが勝っていることではなく、それで言えば人生は大きな引き分け試合だ。しかしそれぞれの局面において勝ち負けは確かに存在し、勝ち負けは負けた時にしかそれを実感できない。そうして俺は愛に生きた宮本とそれをしなかった俺の人生を比べ、ああやはり愛に生きた宮本が正しかったのだ、俺達の人生の正解とは愛に生きることでそれでいて自分の好きなように生きることなのだと宮本は俺に突きつけなければいけない。俺は明確に負けなければいけない。だってそうじゃないと俺達ってあんまりじゃないか?

俺は1年前、宮本と最後に会った時と同じ言葉を言う。

「まぁ、それでもお前が思ったように行動すればいいんじゃね。人生一度きりなんだしさ。」

俺はまた無責任で甘美で便利な言葉を使う。ぼんやりと宮本には幸せになって欲しいという思いを込めながら。
俺は俺の周りの人間には幸せになって欲しいよ、それだけはなんだか正しく、正解な気がしている。

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