2023/06/29

ナルシストの語源であるギリシャ神話に登場する美少年・ナルキッソスは水面に映る自分の顔を美しいと感じ恋までしたらしいが、俺も果てしない血脈の末にナルキッソスの血を受け継いでいるのか風呂上がりの自分を鏡で見た時に今日の俺はカッコいい…と思った。風呂上がりに自分の顔がいくらかよく見えるのはかなりあるあるであり、こんなことを俺は死んだ方が良いと普段から言っている自分が言うのはかなり滑稽ではあるのだがそれくらい風呂上がりの魔力というのは恐ろしい。
休日、半袖短パンで歩いている俺はたまさかに街角のウィンドウに自分が映るとひぃ!ゴブリンがこんな街中にも!と驚いてしまうがよく見るとその姿は俺であり冒険者ギルドのDランク任務で討伐証拠としてゴブリンの耳を10個持ってこいと言われるがあれは俺の耳を持って行ってもゴブリンの耳として認識される。だからこそ俺は姿を隠すためにサイズのデカい服を着てゴブリンと間違われないようにしているのだがサイズのデカい服は最近流行っているらしいのでおススメです。

あるあると言えば、風呂上がりの自分はカッコよく見えるというあるあるは最早使い古されたあるあるとして機能しているが、使い古される前に生まれてそれを感じていたらかなりのセンスの持ち主である。例えば、"母親は電話の時に声がワントーン上がる"という使い古されたあるあるがあるがこれを初めて感じた人はかなりのセンスを持っていると思う。ん?うちの母親、電話の時なんか声の調子が上がるな?と感じそれをネタとして昇華することは正に日常の機微を感じられる人間で、既に存在するあるあるを言うことは別に大したことではないが全くあるあるを認識しないままあるあるを感じたのであればそれは0から1を生み出した事でありクリエイターである。ウケ寄りリバってバリウケだよね、って最初に言い出した人に会ってみたい。あとぱいぱいデカ美の名付け親にも会ってみたい。

クリエイターと言えば、先日C3さんの「グッバイローデイション」という作品を初めて見て素敵な作品だなと思った。まずこの作品は名古屋を舞台にしているのだが、名古屋の素敵な地方都市としての描き方が非常に上手い。俺は伊坂幸太郎の影響で仙台を日本最高の地方都市と捉えているのだが、その描写にかなり近い名古屋の描き方をしていて岐阜出身で愛知の大学に通っていた俺からしたら嬉しい限りだった。そしてこの作品は「自己肯定感が低い」ということをテーマの一つとして持っていて、これがどういう結末を迎えるかまだ分かりませんが日々を自己肯定感低く生きている人からしたらかなり親近感のあるいい作品になるのではないでしょうか。ジジくんが可愛い。自己肯定感低い同士で傷とちんぽの舐め合いをするラストを希望していますが、ジジくんはどういう結論を出すのかはたまた出さないのか。気になってしまいます。

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