2022/09/09

仕事終わりの金曜である。
散漫と仕事し、散漫とアフター5を過ごしていたらいつのまにか辿り着いていた1週間の岸辺がこの金曜の仕事終わりという瞬間である。今週もなにも決断する事なく終わった。俺が人生でなにか決断したことなどあるのだろうか。ゲイになることさえ別に選んだのではなくなんとなくなっていた。ゲイとノンケの間を反復横跳びしていた時期もあったが、特にこっちと決めた覚えもなく俺は他人のちんぽをしゃぶれるようになっている。自分がゲイである事の葛藤とかめちゃくちゃ書きたいんですけどね、葛藤は全くないので何も書けない。なぜなら特に選んだ覚えもないから。

おおよその人間のライフスタイルを構成すると思われる、家具、服や音楽に俺はなんらこだわりという要素を持つことなく、向こうからやってくるものを自分の前を過ぎ去る前に抜き取りそれで選んだことにしてきた。Amazonで「ソファ」と検索して1番上に表示されたものをそのままカートに入れ決済をしたらそれが家に届くので、それを受け入れ続ける人生である。大変良い時代ですね。

明日になり土曜日になっても、俺は土日をただ家の中で過ごす肉の塊である。肉の塊なので呼吸と食事とシコることしかすることはないのだが、それでもこの土日が大変待ち遠しいのはなぜなんだろうか。この休日の過ごし方に悲しみや胸を締め付ける思いもない、むしろただの肉の塊であることに喜びを感じている。屋根があって良かったな、とすら思うこともありますよ。なぜなら俺は屋根の下でだらだらする肉の塊なので。

歴史を大河と表現するが如く、俺たちの過ごす日々が水の流れにあるとするならば流れゆく水のうねりや一瞬の小波に意味を見出す事をしないと水という日々は一瞬で流れていく。俺がアホみたいにシコっているだけの週末にも水は流れ続けていて、世間は動き、きっと自分の周りにも水のうねりがあるはずなのにそれらが俺の脳に皺を刻むことはまるでない。俺は考えないし、決断しない。夜空に光る星に意味を見出し、あれは蛇だの琴だの射手だのと神話を重ねて決めつける事ができた人間のなんと豊かな物の捉え方でしょうか。川辺に生える葦が何かを考えるからこそ人間になるのなら、俺は水の流れをただ眺めるだけのただの葦。俺は考えない、決断しない方の人間で川にたくさん生えている葦の一本。俺って勃起以外に何ができるんですか?

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