2023/10/20

今月から仕事が忙しくなってきていてこの日記についても1時間くらい空き時間があれば書こうと思っていたのが仕事中に1時間空くということもなくて、そもそも仕事中に書くなという話だがそんなのは言いっこなしである。
自分の仕事量を自分で調整できればいいのだが、俺にそんな裁量・実力はなく右から流れてくる仕事にふわっと触り左へ流す、この作業の量が果てしなく多いだけで果たしてこの右から流れてくる仕事はどこから流れてくるのか左へ流した仕事はどこへ向かうのか、何もわからないまま働いているから何も分からない。当然の話である。

仕事の忙しさを何もしないことの理由に書いてはいるが、結局はそれもめんどくさいという理由の隠れ蓑に過ぎず本当に俺は怠惰であって好きなことばかりやって見たいものしか見ないような都合のいい人間ではないのだろうか、ということを最近よく考える。
ベッドの上でちんちんを上下させてる時が俺の一番楽で好きなことをやってる時であって、仕事は生きるために仕方なくやりますがそれ以外はずっとベッドの上にいたい。時間がないと言いつつもシコってる時間だけは確かにあり続けていて、ならば全ての"やらない"言い訳は更に根元にある怠惰が言わせている言い訳であって、ほんとそんなんじゃダメだよという一種のまともな思考だって俺にはありますが、結局シコっていることはやめないのだから俺はいつだってベッドの上を諦めきれていないのである。

今日のご飯なにがいい?と聞かれてなんでもいいよ、君の食べたいものをと答えることやこれとこれどっちが似合うと思う?と聞かれて両方、君はなんでもよく似合うなんて言うことは寛容である振りをしているだけで根っこにはやはり怠惰が隠れていて、俺はこういうことが非常に多いんですがどうしたらいいでしょうか。シコらないでおこうと思っても絶対シコってしまう。例え両腕がもがれたとしても俺はなんとか自分の口を使ってシコるだろう。ならば俺はちんぽのない存在になるしかなくて例えば、口笛、うどん、海老、ガイドビーコン、夕日、優待券、スーパーボール、さようなら、などです。

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