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十字架に架かりたくなかったイエス 〜あのときイエスを殺したのは私だった〜

コニツワ〜
おそらくこれを読まれてる方はインスタのコミック読んでいただけたってことかなと思いまするワーイ

昨日2022/04/10は、棕櫚の日曜といって、復活祭(いわゆるイースター)の1週間前の日曜日でした。棕櫚の日曜から復活祭の前日の土曜までを受難週といって、イエスが辿った喝采(棕櫚の日曜)から土曜(イエスの死による深い悲しみ)まで、復活祭の前にゆっくりと静まりの時を持つクリスチャンの方が多いはずです(我が家はそれぞれ食物やSNSの断食を行い、主イエスに向き合う時間や聖書を読む時間を増やし過ごします)。

クリスチャンではない方でも「イースター=キリストの復活の祭り」とご理解ある方は少なくないと思うのですが、まさかこんなにも前準備があるとは(!)(笑)ご存じない方が多いはずです。そしてその前準備は全て6000年以上前、イエスの誕生の約4000年も前からユダヤの人々の中で語り継がれてきた預言通りの出来事というのですから驚きです。

ここではコミックよりちょーっとディープな、もちマ個人の聖書解説といいますか、日々思っていることの垂れ流しではあるのですが、今や聖書大好き人間の私がちょーっこしディープに書いていきましょね。

1週間で人はこーんなに変わる 〜私も民衆のひとりだった〜

棕櫚の日曜、イエスは大勢の群衆に歓迎され、「救い主」「ユダヤの王の王」として迎え入れられます。それはもう、ユダヤ人にとって父や母から伝え聞いた「待ち望んだ救い主」が預言通りロバに乗って現れたらそりゃもう大興奮ですよね。ウオオって笑。当時SNSがあったら完全に秒でバズっていたでしょう。

ですがその週のたった数日後の金曜日の朝、イエスは民衆によって捕らえられ、今まで行った奇跡やしるし、教えの数々を逆手に取られ、罵られ唾を浴びせられます。時の皇帝ポンテオ・ピラトはイエスを39たび鞭で打ち、「ユダヤの王」とからかいの意味を込めた看板を掲げた十字架にイエスを架け、じわじわと苦しみのうちに殺しました。

日曜には「我がキリストに祝福あれ、ホサナ救い主!」(ホサナはヘブライ語由来の言葉で「救ってください」)とほめたたえた人物を、たった数日しか経っていないにも関わらず、民衆は日曜ほめたたえた同じ口で罵り、神のひとり子を、イエスキリストを死にまで追いやったのです。

「なんてひどいことするんだろう」私は聖書を読んでは、まるで他人事のようにユダヤの人々がしてしまった過ちを責めていました。しかしある日聖書を読んだとき(おそらく去年のパームサンデー: 棕櫚の日曜)に、『イエスを十字架に架けたのは、私だ。あの日、その民衆たちと一緒にイエスをほめたたえ、その口でイエスをけなし辱め、愛する主イエスを十字架に磔にしたのは私だった』と突然思いました。なにがきっかけだったかはわかりません。ただ、聖書を読んでいるとき急に、私が民衆の一人としてその場所にいた記憶のようなものが蘇ってきたのです。(私は輪廻転生を信じていないので魂の記憶だとは思わないのですが)これはきっと、聖書理解のために神が私に与えてくださった啓示だと信じます。

私たちの口は神を賛美し、美しい言葉を発するために与えられました。決して誰かを罵ったり、貶したりするために用いてはいけません。愚痴を言ったりするなんて以ての外です。当時のユダヤの民衆は、たった一週間のうちに祝福と呪いの両方を発するためにその口を用いました。

それはとても人間の性質らしく、私は全く他人事とは思えないのです。私もその罪の性質ゆえに、イエスを磔の刑に処した張本人であると告白します。

十字架の死をできる限り避けたくて祈ったイエス 〜神でありガッツリ人間だったイエス〜

さて、クリスチャンは全て、イエスキリストは神のひとり子であると信じていると思いますが、簡単にノンクリスチャンの方に説明をすると、「イエスは神であり、人間」なのです。『ハ?』と思われた方、大丈夫。私も大学生のとき初めてそれを聞いて、大学の先生に「Huh?それって意味わからなくない?そんなこと信じてんの?」と質問していたので笑

神のひとり子であるイエスは、幼少期からその信仰や聡明さで頭角を現し、数々の逸話を残し、弟子とともに行った宣教の旅では数々の奇跡を起こしました。彼の一生涯には一点の穢れもなく、一つも罪がありませんでした。全くの純粋な子羊と同じだったのです。彼は33歳で十字架に磔にされて死ぬことになりますが、それは神の子イエスにとって全くの未知ではなく『神から与えられたミッション』として全て把握していました(私だったらそんなこと知った瞬間逃げたくて舌かんでどうにかしちゃいそう)。

イエスは罪がなく完全な唯一の人間ですが、それでも十字架に架かることだけは、『どうにかしてやめたい。代わりの方法はないのですか』と父なる神に祈ったほどです。なんとも人間らしいですね。

ではイエスはなぜ、そんなにも避けたかった十字架の刑を自ら知りながら民衆に捕らえられ、辱められ殺されたのでしょうか。

それはまた、今週中にnoteで書けたらいいなと思います。「なぜイエスは天命に従い死にまで従ったのか」 :)

God bless! - もちマ


なぜイエスは死にまで従ったのか↓もちマの考察


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