日常#16

なんかこう、春〜春〜夏〜秋ー!!!真夏ー!!!みたいな気温、どうにかならないんすかね
オシャレどうこう以前に過ごしやすい服装を選ぶのがムズいんすよね
この時期の街並みは色んな季節の服装が混ざっていて見てて楽しい
まだパーカーの人がいたり、3トンはありそうな厚底の靴(どこで買うんすかね、あれ)をはいた人がいたり、ガチムチ単発で痴女丈のカーキのハーフパンツにCHUMSの半袖をきた、見るからにホモの格好した人がいたり、クソ暑いのにスーツを着ている人がいてお疲れ様ですと思ったり
ちなみに、夏サンダルを履くのマジでオススメです、涼しさの桁がマジで1個変わる


最近、気のせいではない気がする、人身事故が多いと思う
人身事故にも種類はあるだろうが、数時間運転を見合わせるようなものは十中八九、血肉の通った、悩みを抱えた、抱えきれなくなった人の死だろう

時に、5月。4月からの新しい環境や新しい人間関係にようやく慣れてきて、前の生活を省みる余裕が出てきて、センチメンタルになる時期である。
4月からこの悔しさを絶対に返上してやる!とガリガリ勉強をしていた浪人生がダレる時期である。
4月からTwitterを始めたホモのうち、脱いだ方は1000フォロワーを達成し、脱がなかった方は50フォロワーを達成するか否かといった頃合である、あの5月である


もちろん、電車で自殺をするというのは迷惑な話だ
運転見合わせで予定が狂うし、死ぬなら他でやってくれよと思ってしまうこともある
ちなみに死ぬなら首吊りが一番いいですよ
ぼく一回死んでるんでレビュー星5つでおすすめしておきます

ただ自殺ってのは絶対に自己完結する行為ではない
何か他人との関わり合いのなかで生まれた軋轢に悩んだり、他人との差異に耐えられなくなったり、他人というものが存在しなければありえないことだ
孤独を感じるのは他人と一緒にいる温もりを知っているからだみたいなあれだ


数ヶ月前、山手線の乗っている電車の前の電車で人身事故が起きて、立ち往生するということがあった
そのときは18時くらいで帰る人たちなのか、電車もなかなか混んでいた
自分も大学の入学試験が終わって、明日も試験や、疲れたなーというときで勘弁してくれ〜と思っていたのだが、ものの15分ほどで運転を再開してしまった

衝撃だった
人の死が15分である、15分でなかったこと、いつも通りにされたのだ
その死を生んだのは紛れもなくこの社会であるはずなのに

人身事故という文字を見る度に悲しい気持ちになる
これに関わらずコロナの重傷者であったり、なんかしらの事件の死傷者であったり、無機質な文字や数字は全て人なのである
人という意識が希薄になって、交換可能なモノみたいな感覚になっているような気がしてしまう

「自殺なんてしてはいけない」なんてことは言えない
死にたいなら死ねばいいと思う
もちろん死ねと言っているわけではない
自殺だとか売春だとかなんの倫理だか知らないが、世間一般的に倫理的によくないとされていることを無責任に止めてはいけないのだ
自殺をしないからといって誰も死にたい辛さから救ってはくれない、売春をやめたからといって経済状況は解決しない

一歩踏み出して、落ちるだけで、辛い日常から解放してくれる電車というのは鎌を振りかぶるタナトスではなく、救いの女神に見えるに違いない
けれど、ただそれ以上でもそれ以下でもなく、名前も知らないあなたに対して、死なないでほしいなあと思うだけなのだ

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