日常#60

九月が終わりましたね。
相変わらずののんびり屋かつ筆が遅いかつ試験勉強で遠のいてしまい、もう十月も中頃に差し掛かっていますね。
九月はなぜか本当に悪いこと続きの厄月でここに書けるものから書けないものまで大中小さまざまの嫌なことがあり、本当に気が滅入ってしまい、誰か抱きしめてよ。といった具合でフリーハグの看板を持って目隠しをして新宿南口のアーティストに混ざってやろうと考えたのですが、フリーハグは例えば、日本人差別の多いところで日本人がするから政治的なメッセージを持つというようなものであって、ただ自身の寂しさを埋めるためにハグを求めても集まるのは奇異なものをみる冷たい視線と見知らぬ人からハグされたとて、大して埋まることのない自分の心ですね。

10月に入れば良くなるなんてはずもなく、暦など所詮人間の取り決めに過ぎません。
他店舗のヘルプのバイトを大量に入れられ、満員の西武池袋線に揺られ、石神井公園に向かっている中で書いています。なんだよ石神井って。これ所見で読める人どれくらいいるんだ。しゃくじいって読むらしいです。しゃくじいってなんですか? ナイモンにたまにいる若い人のちんぽをしゃぶり抜いてあげたいなどと抜かす尺爺のことですか?
その文脈でいうと上石神井とは神尺爺になりますかね。総入れ歯を取れば歯が当たることが100%ない上位版尺爺のことでしょうか?
それは、ちょっと、興味がある。

悪態ばかりついていても良いことはないので、気分のいいことを書きます。
と言いつつ自分の頭の中では少しいい匂いのする失恋の思い出が浮かんでいるのですが、まぁ悪くはないので、それを書きます。まぁどうせその人はこれを読んでいないので。
浮かんでしまったのは乗っている電車と気温と金木犀のせいです。


匂いと記憶ってとても強く結びついていて、例えば、自分の同性に対する性愛の萌芽は今思うと小6のときの家庭教師のおじさんだったのですが、その人はいつもチェーン店の揚げ物の匂いがしました。
今自分が働いている飲食チェーン店で揚げ物を作るときたまにふんわり思い出して当時の恋情を一緒に揚げるような気分になる。

今から書こうとしている失恋の話はその揚げ物おじさんの話ではなく、街に金木犀の匂いがする頃、ちょうど一年前の今頃の話です。

いつかの日記で恋をしたら一年に一時期咲く花の香水を買おうと思うということを書いて、それを実行したのが去年の今頃だったのですが、選んだのが金木犀の香水でした。
今考えたら金木犀の咲く頃に金木犀の香水をつけて何になるのさと思うのだけれど、当時はそれよりも香水をつけるということに意味がありました。
一年に一時期咲く花の香水を買おうというのは一年に一回くらい思い出させてやろうかなという気持ちだったのですが、それが自分にも返ってくるということは想定していませんでした。
金木犀が咲くたびに、その匂いと等しく、その人のことを自分もふわりと強烈に思い出してしまいます。
きっと彼は自分のことなど微塵も思い出していないでしょうが。

一回り半も歳が上なのに童顔だから二十代にすら見える人でした。
そのあどけなさと反対に年相応に刻まれた目尻の皺が印象的な人でした。その皺の深さが語るようにとてもよく笑い、笑顔の似合う人でした。
顔と体型が死ぬほどタイプだったのに、やるなぁ自分の理性。といった具合で五回ほどデートを重ねるまで体のコミュニケーションを取ることはなく、散歩駄弁り昼ごはんカフェ夜ご飯、帰り際はドコモタワーの見える新宿バスタの広場で取り留めのない話をしていました。

自分の中であれは恋だったのか、はたまたただの性欲だったのかと考えることがあって、それはなぜかというと彼と付き合うという選択肢は自分の中にはなかったからです。
正確に言うと、あったけれども諦めざるを得なかったでしょうか。
話すテンション、温度感、雰囲気はぴったりだったのですが、恋愛に求めるものが悉く合わなくて、関係を続けてこの先に何があるのかがうまくイメージできなくて、おそらくそれを彼も感じていたのでしょう。

秋晴れの10月も終わりそうな頃、六回目のデートで二人で上野に出掛け、動物園に行き、夕飯を食べ、そろそろ上野を出ようという時間になって、この後どうするかを話し合うことなく満員電車に乗りました。
目の前の席が一つ空いたので、疲れて眠たそうな彼を座るよう促し、眼の前の彼に「このあとどうする?」とLINEをしました。
すると返信はなく、彼の最寄りに乗り換えのできる池袋駅に着いたときに「行くよ」と手を引いてもらって、その後の会話はよく覚えていません。
何をしたのかは想像通りです。

覚えているのは最寄り駅の名前と西武池袋線なんてものがあるんだなと思ったことと今日が最後かもしれないなという予感と金木犀の匂いとのんびりとした彼の歩幅です。

いつかのnoteで「歩幅から彼の匂いがする」というものがたりのようなものを書いたことがあって、ようなと書いたのは少し実体験を混ぜ込んだからです。

初めから最後まで僕らは二人で一つではなく、自立した一人と一人であり続けた。それが心地よかった。恋人に影響されたりしない、そう思っていたのに、長く隣を歩いたせいで、歩幅から彼の匂いがした。自分はこんなにゆっくり歩く人じゃなかったのに。

疲れるじゃんとのんびり歩く人だった。急かす理由はないから合わせて歩くと違った世界が見えた。せかせか歩いてたときは意識しなかった葉擦れの音や塗装の剥げた標識や西日に伸ばされた長い影がよく見えた。彼の歩幅から見える景色が好きになっていた。
彼と会う前の自分の歩幅に戻そうと思ったが、もう戻せなかった。

最初の一文は自分の恋愛の理想の形で、彼のそれとは正反対のものでした。
今はすっかり自分の歩幅に戻っていますが、今思ってもあの歩幅から見える景色は良かったなと思います。
歩幅からした彼の匂いを明記するのはあまりに野暮ですよね。


嫌な予想は当たるというジンクス通りに彼との連絡はまばらになり、自分が時折連絡してはまた今度ご飯行こうね! と歯の数の違う歯車を無理に回そうにも無理なものは無理で、だんだんと尻すぼみになることを幾度か繰り返し、最近連絡を取ったときに彼が「彼氏できた!!!」と嬉々(笑)として教えてくれました。
そのときに純粋にあーおめでとうねー合う人が見つかったんやねーと思えたから余計にあの気持ちの名前がなんだったのかわからなくなってしまいました。それとも自覚できていないだけでただ強がっているのでしょうか。
恋を失う、または恋が失せると書いて失恋ですが、失えるだけの恋をしていたのか、と分からなくなります。

といっても特に悩んでるわけでもないし、まぁいいやってなっちゃうんですけどね。

また書きます。

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