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機能不全家庭で育った

私は自分の親がものすごく苦手だ。という話を、勇気を出して書いてみたいと思う。
年齢を重ねて友人たちのライフステージが変化していくのを見届けるうちに、自分の中でこのテーマを整理する必要がある、と感じたからだ。
ある意味人生最大のコンプレックスというか、親しい友人にも極力話してこなかった話なので、公開する期間は短いかもしれない。もしかしたら非公開にするかも。

でも必要なことだと思ったのだ。だから時間をかけて、自分のために、書いてみる。


どんな家庭だったか

家は、おそらく経済的には恵まれていた。養ってもらったこと、それも教育に惜しまずお金を注いでくれたことには本当に感謝している。

ただ、家庭内のコミュニケーションはてんでだめだった。
専業主婦の母と、朝から晩まで黙々と働く父。二人が談笑している姿は、母の思い出話以外で見聞きすることはなかった。
もちろん、姉と私を含めて家族全員で笑い合うなんてこともなかった。いわゆる普通の家庭で、どのくらい笑いが起こるものなのか、どんな風に会話が広がるものなのか、私は未だにわからない。
人に話す時は笑い話としてネタにしてるけど(するしかないけど)、虚しすぎるやろ、これ。

母は父のことが好きで、父が母のことをどう思っているかはよくわからなかった。とにかく表現しない人だった。でもなぜか会社では出世していった。
ますます仕事にのめり込んで、家庭からは遠のいていった。機能不全家庭が出来上がった。

父がそんな感じだったので、母の感情は子どもである姉と私に向いていった。
それはまあよくある構図なのかもしれない。過干渉な母親と無関心な父親。
カジュアルな言い回しにすると、母は私たち娘を愛しすぎるメンヘラになってしまっていた。もちろん病名がつき、通院もしていたようだ。
ただあまりに不安定で過剰な愛情だったので、思春期の私たちは猛烈に反抗した。小学生中学生の私たちにはコロコロ切り替わる母の感情の扱い方がわからず、最低なことをたくさん言ったと思う。おそらく症状を悪化させる一つの要因になってしまっていた。

泣かれたり、叫ばれたり、殴られたり、蹴られたりした。蹴りが始まると母の気が済むまで続くので、背中を丸めて無になっていた。
今思えばそういうことが起きるのは、父がいない時だけだったかもしれない。父がいる時の母は「いい奥さん」でいようとするので、幼い私はその態度の違いにも心底むかついていた。
祖母が母のサポートに入っていたが、私たち姉妹には「お母さんは病気になっちゃったから、あんたたちは自分のことは自分でやりなさい」と言っていた。自分でやるにもやり方を教わったことがないんですが・・・と思ったが、何も言わなかった。言ったところでどうにもならなかった。
色々、本当に色々あったが、私が高校生になる頃には母の症状はかなり落ち着いた。小学生〜中学生の頃がヤバさのピークだった。

ヤバかった当時のことはもう断片的にしか覚えてないけれど、ふとした時に思い出すことがある。
包丁を向けられて「○ね!!!」と叫ばれたことのある人は、世間にはあまりいないのだと、大人になってから知った。
(補足すると、流血沙汰になったことは全くなくて、ただ私が揚げ足を取って母の逆鱗に触れるとそういう状態になってしまうことがあった。というだけ。)

一応書いておきたいのが、母は私たち娘の自尊心を本気で傷つけるようなことは言わなかったと思う。誰かを痛めつけたり口撃するというよりは、感情のコントロールがきかなくなって子どものように癇癪を起こす人だった。
まあ、なんというか、明らかに異常な状態というのは見てとれるので、こちらは逆に冷静になるというか。
根が悪い人ではなくても、精神的なバランスを崩すとこうなってしまうのだな、と子どもながらにわかっていた。

能天気 かつ 負けん気が強い私の気質も、良い方に作用したのかもしれない。私はこんな大人にはならんぞ、という負けん気。あとオタクだったので、つらくなるとすぐ趣味に逃避する癖がついていた。
そういうわけで、幸いにも自己肯定感は殺されずに育った、と思う。希死念慮を抱いたことも、今のところない。
美味しいごはんとか、好きな人たちと過ごす時間とか、キラキラしている推しの姿とか、ふかふかのぬいぐるみとかで幸せを感じられる良コスパ人間に育った。幸運だった。(運なのか・・・?)
そんな自分のことが嫌いではなかったりする。

うちの愛してやまないふわふわ。かわいいね~~~


ただステレオタイプな毒親じゃないことが対外的な説明を難しくさせているところもある。実際、この記事も探り探りで書いている。
人によっては全然大したことないやん、と思われてしまうかもしれない。
けどそんなことは知らん!少なくとも当時の私はつらかったんや!!!の気持ちで筆を進めます。私のブログだし。


未だに落ち込む

中学高校時代は友達のおかげで楽しく過ごせていた。アラサーになった今でもサシで遊ぶ友人が何人もいる。ありがたいことだ。
しかし実家はやはり居心地が悪くて、でも当時は誰かに相談するという選択肢は浮かばず、ただSNSに愚痴を垂れ流していた。
今こうして書いていてもなかなか整理できないので、子どもだった私が人に相談するのはやはり難しかったと思う。というか、大人に相談するという発想が浮かばなかった。
一番身近な大人が子どもみたいに暴れ回っていたし、祖母は「自分のことは自分でやりなさい」だったので・・・
そんな環境で育ったせいか、人を頼ったり何かを相談するのは未だに苦手だ。家庭内でやってこなかったことをいきなり他人に対してすることに躊躇してしまう。
これはチームで仕事をする上で支障でしかないので、改善したいなあと常々思っているところである。

今でも、実家に帰省すると蕁麻疹が出たり、夜中に涙が止まらなくなったりする。
特にお正月なんかは多くの人が家族で過ごすので、嫌が応にも自分の家庭の機能不全っぷりを思い知らされて、気持ちが沈む。この記事を書くことにしたのも、お正月の帰省で封印していた記憶を思い返したからだ。

大人になった今思い返すと、母には母のつらさがあって、本当にどうしようもなかったのだとわかる。わかるけれども、自分の核が出来上がっていく小学生〜中学生の時期に言われたこと・されたことをゼロにするのは難しい。どうしても許せないことの方が多い。
たまに許せない自分が許せなくなって落ち込んでしまう時期もある。でも、根っこでは別に許さなくていいよな、とも思っている。

毒親、というワードで検索すると書籍はたくさん出ていて、なんか落ち込みすぎて苦しくなったら読もうと思って積んでいる。

毒親持ちなら一読されたし、というレビューがたくさん並んでいて不謹慎ながらおもろい。境遇は違えど、似たような悩みを持っている人がたくさんいるというだけでなんだか救われた気持ちになる。



一人暮らしはいいぞ

就職を機に実家を出て、今は一人暮らしをしている。物理的に距離を置いたことで、母と喧嘩をすることは殆どなくなった。
一人暮らしを始めてからは日常のストレスの99%が取り除かれたような感覚がある。本気で楽しい。快適過ぎる。一人暮らしはいいぞ〜〜〜!!!

遠方に実家があると、いつか地元に戻りたいのでは?と聞かれることがよくあるが、全くない。断じてない。
実家を離れて良いことしかなかった。
日常で多少むかつくことがあっても「まあ実家にいた頃よりはましだな〜」と思えることが、今の私を強くしている気がする。
あと対人ストレスも「まあどうせ血繋がってない他人だしな〜」という感じ。
実家で喜怒哀楽の「怒」を出し切ってしまったのかもしれない、と思うぐらい、怒ることがなくなった。(それはそれで不健康かも?と思ったりはする)

上京を決めた時に親族や友人からは「親御さんは心配するんちゃう?」「親元にいた方が親孝行になるよ」等などありがたい助言をもらったけれど、100%出て良かったと思う。これだけは自信を持って言える!
どんな状況であれ実家にいることがつらいなら、どうにか物理的に距離を置く、というのは強くお勧めしたい。


理解してもらうことの難しさ

話は少し逸れるが、昨年高校の友だちが結婚し、式をあげた。もちろん参加して、新婦への手紙まで読ませてもらった。
披露宴には友人や職場の同僚だけが呼ばれていて、親御さんはいなかった。きっと何か事情があるのだなと思った。でも、和やかでとっっっても楽しい時間だった。
新郎は話に聞いていた以上に優しくてかっこよくて愉快な人だった。月並みすぎる表現だが、友だちがたくさん笑っていて幸せそうで大変よかった。

披露宴でもらってきたお花

後々その友だちとごはんに行った時に、親族を披露宴に呼ばなかった理由を告白してくれた。詳しい事情は割愛するが、学生の頃までは円満に見えた彼女の家も色々あったようだった。

大変やったね、と声をかけると、「学生の頃、も子に無神経なこといっぱい言ってたかもしれん。今さらやけどごめん。」と、謝られた。
家で色々あったことで、過去に私が家の愚痴をこぼしていたのを思い出してくれたようだった。

実はこの友だちは、私が上京するときに「親元にいた方が親孝行になるよ」を100%善意で言ってくれた子だった。当時は事情を話しても理解してもらえないだろうなあ、と思って笑って受け流していた。
友だちの親はとても厳しくて、一人暮らしは許されなかったと聞いている。「親元にいた方が親孝行になるよ」は、もしかしたら当時のその子の中では正しい(と、思いたい)価値観だったのかもしれない。

その子に限らず、家庭や家族について人と話す時に「きっとわかってもらえないだろうなあ」と気持ちに蓋をすることは本当に多かった。何なら今もそういった場面はよくある。だからといって、相手に嫌悪感を抱くことはなかった。
もちろん幼い頃に“友だちのお家”が羨ましい、ずるい、なんでうちは・・・と何度も思ったけれど、物心ついた頃に羨むことをやめた。産まれてくる家は自分の力では変えられない。違いとして受け入れるしかなかった。
ただ友だちに理解してもらえないという溝が確かにあって、どんなに仲良くなってもこの心理的な溝が埋められないことがいつも少し悲しかった。

だから面と向かって謝られた時、びっくりして泣きそうになってしまった。(韓国料理屋で石焼きビビンバを混ぜていたのでがんばってこらえた)
謝ってもらったことが嬉しいわけではなくて、確かにあると思っていた溝を壊すこともできるんだ、この子は自分でそのことに気付いて私に伝えようとしてくれたんだ、というのが嬉しくて。
当時の私は「どうせ理解してもらえない」とすぐ諦めてしまって、伝える努力をしていなかっただけなのかもしれない、とも思った。
自分がどんな言葉を返したか覚えていないが、一生理解してもらえないと思ってたから嬉しい、というようなことを話したと思う。
過去に傷つけていたかもしれないと気付いた時に、時が経ってもなあなあにせず謝ってくれる友だちがすごいと思った。本当に良い友人をもった。

梅田阪急で涙ぐみながら食べたビビンバ

あと別に家庭に関する話題でなくとも、何気ない一言が(善意であったとしても)相手を傷つけるかもしれない、という視点・感度をもった人でありたいなと思う。他人である限り持っているものはそれぞれ違うので。
この話もビビンバを食べながら件の友だちと語らった。良い時間だった。

出会ってから十年経ってもお互い何も変わらんね、とよく言っているものの、こういう話が出来るようになったのはお互い大人になったってことかな・・・としみじみした。



離れてみて

実家を出て5年ほど経ち、今は親との関係は落ち着いている。
母から来る連絡はたまに返し、父とは上司と部下のような敬語で2年に1度くらいメッセージをやりとりしている。姉とも年に数回やりとりしている。
高校生までは縁を切ろうとさえ思っていたのにここまで落ち着いたので、やはり距離を置くことは大事だと思う。母との会話は相変わらず噛み合わないけれど。

「母とは性格が合わないので、別々に暮らした方がいい思います」と母の日作文に書いた10歳の私に、花丸をあげたい。賢すぎる。
これ、担任の先生を大いに困らせたと思う。ごめんなさい!でもこういう子どももおるねん!せめて任意でテーマを変えられるようにしてほしかったな!
学校での母の日キャンペーンには毎年悩まされていたので、今は配慮されてるといいなあと思う。

ちなみに、今は父も実家を出て暮らしている。電車で20分以内の別居状態。週末だけ帰ってくるらしい。
なんで離婚しないかというと、やはり私たち娘がいるからなんだろうか。子は鎹(かすがい)、ってやつ?
社会的地位とか利害関係者の目の方がデカいストッパーなのかもしれん。私に彼の考えていることはさっぱりわからない。
でも組織で働く人間としては、いつか仕事の話を聞いてみたいとも思う。普通に働いていてもなかなか接することの出来ない地位にいる人なので。まあ実現するにはもう少し・・・だいぶ・・・勇気がいるかな・・・

母は、昔のことはあまり覚えていないらしい。もう社会に出て複雑なことは出来ないけれど、その日その日を楽しんでくれたらそれでいいと思う。不幸になってほしいとは思わない。
しかし、少なくとも私は過去に嫌な思いをしてきたし、なかったことにはしたくない。ので、忘れないためにもこうして書き連ねている。
今後も程よく距離を置きつつ、自分の精神的健康を第一に接するようにしたい。

正直、心から和解することはないと思っている。けれど、あのまま同じ家に暮らし続けるよりはずっと良い方向に進められたんじゃないだろうか。
今後もしかしたら考えが変わるかもしれないが、先のことはわからない。
普段考えないようにしている親のことを考え出すと、母にとって、父にとっての幸せってなんだろう・・・というところまで行き着いてしまって、疲れる。
だから私は、身勝手にも私の人生を楽しませてもらうことにする。
(なんかこの話もビビンバ食べながらしたな・・・あの日の会話にめちゃくちゃ支えられていることに、この記事を書いて気付くことができた。感謝・・・)

初詣は成田山に行きました。
自分で稼いだ金で食べる飯はうまい!



おわりに

カミングアウト、というと少し大袈裟だが、機能不全家庭で育った人はそのことを周りに打ち明けることに抵抗があると思う。
私も社会人になってから出会った人たちには、なかなか打ち明けられないでいた。皆で旅行に行ったり同じ鍋をつつく仲であるにもかかわらず、だ。

それが最近ようやく少しずつ話せるようになってきた。
別に今さら自分が可哀想だというアピールがしたいわけではなくて、ただ自分をつくりあげてきたルーツとして、なかったことにしたくない、という思いが強い。
色んな経験を経て今の自分があるし、つらいこともあったけれど恵まれていたことも多々あったと思っている。

今のところこんな感じで克服?というか、うまく距離を置いて保っている。
ただ今後バランスを失いそうになったら、カウンセリングも受けてみようと思う。
困った時は専門家を頼ろう。もう自分だけで何とかしなくて良いのだ。

私と全く同じ境遇という人は少ないかもしれないが、親や家庭に関することで悩んでいる人が少しでも前向きになれればいいなと思う。
私自身も、年末年始に実家の布団で泣かなくて済むようになりたい。


# このnoteはゆるーい内容でいこうと思っていたのに、年明けから激重記事を書いてしまい、どうしたものか・・・になっている。
普段はアイドルを愛でたりぬいぐるみをモチモチしたりして楽しい日々を過ごしています!
あと、読む人が読むと身バレ必至なくらい赤裸々に書いてしまったのでちょっと恥ずかしい。
Tちゃん、結婚本当におめでとう!

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