Michelangelo merisi da Caravaggio
感情を大きく揺さぶられる作品が好きだ。本で言えばミステリーが好きだし、映画はLes Misérablesが好き。絵画においても迫力満点の歴史画や、寓意をふんだんに使った宗教画が大好物。カラヴァッジョ宗教画は、光と闇を巧みに使い、劇的なシーンを作り出す。光と闇の画家とはよく言ったものだ。光と闇は、彼の画風に限った話ではない。
Michelangelo merisi da Caravaggio(1571-1610)
光と影の画家と呼ばれ、そのコントラストは見事としか言えない。彼を象徴している。しかし、彼は花と果実などの静物画においても、その才能を発揮した。
彼は、ミラノよりやや東、カラヴァッジョ市で生まれる(諸説あり)。父は領主の執事兼建築士を務めていた。(これがのちに画家の人生を支えることとなる。)
ペストで父親を亡くすと、彼は家を出て工房を転々としながら、住み込みで働くようになる。転機を迎える1600年まで、各所で静物画を任されてきた。
カラヴァッジョ≪果物籠≫1596、アンブロジアーナ絵画館
カラヴァッジョは母を亡くすと、一文なし状態でローマへと旅立った。工房を転々としている中で、一つ目の転機が訪れる。彼の作品≪いかさま師≫がヴァランタン(画商)によって、デル=モンテ枢機卿に売られたのだ。
この時のローマは、教皇シクトゥス5世が、財政を立て直し、バロック都市の再生に向けて、全地方から芸術家を呼び寄せて、建設ラッシュの真っ最中だった。
≪いかさま師≫によってデル=モンテ枢機卿に気に入られたことで、枢機卿の絵画愛好家仲間に紹介してもらい、どんどん大きな仕事が舞い込むようになる。
最初の大きな仕事は、1600年に描いた≪聖マタイの殉教≫と≪聖マタイの召命≫だ。光と影を巧みに使い、日常風景を聖書中のシーンへと変えた。この作品により、一夜にして彼は人気を博した。
カラヴァッジョ≪聖マタイの召命≫1600、サン・ルイージ・ディ・フランチェージ
この年を堺に画家の生活が荒くなる。誹謗中傷や、武器の不法所持、夜道で人を襲ったり、家に大量の石を投げ入れたり、仕舞いには殺人を犯した。
殺人を犯したことで、画家はローマにおいて死刑宣告を受ける。彼は逃げるために絵を描き、売って生活をしていた。
ローマでの逃亡生活は、かつて父が勤めた公爵家夫人が支えた。潜伏先や仕事を斡旋し、デル=モンテ枢機卿や、ボルゲーゼ枢機卿らが逃走資金を援助した。行く先々で描く彼の絵は、多くの人に愛された。
そんな彼は1606年にナポリを経由し、マルタ島へ。
ローマ教皇による刑の赦免を望み、熱が冷めるいっときの間を南イタリア〜シチリアで過ごす。マルタ島では、マルタ騎士団に入ることが目的であった。修行を積み、作品を贈ることで晴れて入団に成功。
入団の鍵となったのは、洗礼者ヨハネをテーマとした作品。(守護聖人が聖ヨハネだから)
カラヴァッジョ≪洗礼者ヨハネの斬首≫1608、サン・ジョヴァンニ大聖堂
せっかく入団を果たしたにも関わらず、団員と揉め事を起こし、一時は騎士団の牢に閉じ込められるも、パトロンたちの助けを受け、脱出に成功。そのままシチリアのシラクーザへと逃亡した。
シラクーザでは、かつて工房生活を共にした友達、マリオ=ミンニーティの助けを受け、仕事の斡旋をしてもらうなどした。(この2人は同性愛説もある)
犯罪者である彼を支えようと、いろいろな人が彼を匿い、資金を援助し、ローマにおける死刑宣告を赦免してもらおうと動いた。
ただ、彼にはマルタ騎士団の追っ手が迫っていた。シチリアや、ナポリでは、その追っ手によって大怪我を負ったりなどし、命からがら逃げる日々が続いた。
今いる場所が、次の瞬間には安全ではなくなるかもしれない。それでも作品を作らねば、資金は底を尽きる。そんな焦りの気持ちは彼の絵にも反映されるようになった。
背景の闇は広がり、劇的で動きのある人物表現は、怖いほどに静かになった。悲しみや後悔の色を濃く宿した作品が増えた。
カラヴァッジョ≪聖ルチアの埋葬≫1608、聖ルチア教会
啜り泣く声と、穴を掘る音だけがそこにある感じ。1600年初期は動きのあるドラマチックな印象だったけど、晩年はとにかく静か。
1610年、ついに彼はローマで赦されることなく、ポルト=エルコレにてのたれ死んだ。一説によれば熱病、もう一説によれば鉛中毒。マラリア説まであるんだとか。
彼が最後まで手元に置いていた作品は≪法悦のマグダラのマリア≫
カラヴァッジョ≪法悦のマグダラのマリア≫1610〜1610、個人蔵
マリアが体で受ける光は、画家自身も求める救いの光では…と思えるほど。赦されたいのは誰だろうね。結局、彼が死んだあと、ローマにて彼の罪が軽くなった。皮肉だな〜〜。死刑宣告に対して、死にたくなくてイタリア中を逃げ回ったのに、赦されるためにローマを目指す途中に没し、そのあと許されるなんて。
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彼がカンバスの上で表現した光と闇。
彼の人生そのものだな。多くの人に愛された光あふれる画家人生と、人を傷つけ、殺め、逃げ続けた心の闇。彼自身が堕ちれば堕ちるほど、輝きを増す作品たち。光と闇の画家とはよく言ったものだわ。
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