わたしとはっちゃんの3週間

マヂカルラブリーの野田クリスタルさんのハムハムが亡くなって思い出した出来事。

わたしは今まで、ハムスター2匹と猫1匹を看取ったことがある。


当時はまだテレワークという文化がまだなく週5できっちり会社に通って働いている中、3匹とも奇跡的にわたしの手の中で息を引き取った。
おかげで「マザーおもち」というあだ名がついたほどだ。



その猫は飼っていたわけではなく、たまたま怪我をして家の前に迷い込んできた子だった。


忘れもしない、7月8日のこと。日付が変わるくらいの時間にゴミを捨てに行こうと部屋を出て2階建てアパートの2階から階段を降りようとした時。
階段の中腹に猫がいた。

実家には弟に懐いてそのまま飼い始めた異常なまでにおっとりした元野良の黒猫がおり、猫派なわたしはすっかり虜になり猫と暮らしたい願望がMAXまで爆発していた頃だった。
あんれまぁ〜かわいい子がいるね〜!と声に出したか心の中で叫んだかはわからない。階段を降り始めても逃げようとはしないその猫をウキウキで触ろうとしたとき。

その猫は怪我をしていたようだった。喧嘩でもしたのか、顔がぼこぼこに腫れて血も出ている。びっくりしながらもとりあえず急いでゴミを出し、猫のもとへ戻る。生きてはいるが猫はぐったりして動こうとはしなかった。

その夜は大型の台風8号が来ると何度も何度も注意喚起されていた。我がアパートの階段と2階の廊下は屋根がしっかりついているタイプ、せめて雨風はしのいでほしい一心でその猫を抱え、玄関の前まで連れて行く。野良猫を部屋に入れると恐怖心で暴れて大変なことになるのは仲良くなった野良の黒猫のにゃーちゃんを無理やり連れ込んだときに経験済みだ。怪我もしているし強引なことはしたくなかった。

「もう風が強いね。台風が来るからね、そこでゆっくり雨宿りするんだよ」

ぐっと気持ちをこらえてわたしは部屋に入った。


とても眠れそうにはなかった。
びゅーびゅー聞こえる風の音、頭の中でリフレインする台風のニュース。あの子は大丈夫だろうか。まだ部屋の前にいるだろうか。

ええい!
いてもたってもいられなくなったわたしは起き上がり、狭い玄関まで走り寄り急いで玄関のドアを開けた。


いた。


わたしの部屋の前からは移動していたが、角部屋のドアの前にうずくまっている猫を見つけた。

良かった。いい子だね、ちゃんとここにいたんだね。えらいね。
声をかけながら決心したわたしはその猫を玄関に連れ込んだ。弱っているせいか意外と抵抗しなかった猫を毛布を敷いたダンボールに入れる。

明日の朝には台風が過ぎるといいね、とりあえず今夜はここにいるといいよ。台風が過ぎたらちゃんと外に出してあげるからね。

その晩は安心して眠れるわけもなく、「家の中に動物がいる!!」という興奮と明日の朝どうしよう?という気持ちで一睡もできなかった。

翌朝、起きてまず玄関の猫を確認すると弱々しいながらも壁をガリガリして外に出ようとするような仕草をしていた。
そりゃ外に出たいよね…でも血が出てるし。困った。自分が飼えたら良かったけどこの家はペット不可なんだ。どうしよう。

とりあえずスマホで調べた保護団体に電話をかけてみるが、良い返事は得られなかった。(記憶は定かではないが怪我をしてること、貰い手がいなければ保健所に連れて行くことになる、というようなことを言われた気がする)
仕方なく電話を切り、ちらりと横目で見ると外に出るのは諦めてどう考えてもしんどそうな目でこっちを見ている猫。

参った。仕事の時間もある。でももう放ってはおけない。
一旦、慌てて押し入れから出してきた新聞紙をダンボールに大量に敷き詰めて簡易トイレの代わりにした。
当時ズボラなジャニーズヲタクだったわたしは買ったスポーツ新聞をそのまま押入れにしまっていたのでストックはたくさんあったのだ。でかした、ズボラな性格。
そしてそのまま会社に出勤した。

帰宅するとそんなに動いた形跡もなく、おしっこだけはしてくれたようで新聞紙にシミがついていた。
動物は排泄をしなくなると一気に弱るし死へまっしぐらとなる。安心した。
そして翌日の土曜日、飼っていたハムスターを連れて行った事のある病院に猫を連れていくことにした。

猫用のキャリーなど持っていなかったので困ったが、弱っている猫はほとんど抵抗しない。ダンボールに入れて洋服屋のでかめの袋に入れて連れて行くことができた。バスの中でもうんともすんとも言わず不安を煽られたがなんとか到着。
動物病院とは気楽な人(トリミングとか、定期検診とか、予防接種とか)もいれば一刻を争う人もいる。これは人間の病院も同じか。
呑気勢の1人がダンボールを覗き込んできて、腫れまくった猫の顔を見てぎょっとしていた。失礼な人だった。今頃足の小指をテーブルにぶつけてもんどり打ってればいい。

その病院の先生は本当に本当に優しい人だった。
ハムスターを看て貰ったときもとても優しい言葉をかけられて、そこまで我慢していた涙が嗚咽とともに溢れて止まらなかった事を今でも思い出す。
その日も先生は開口一番、

「大変だったよね。助けてくれてありがとうって猫もきっと思ってますよ」

とジャブを入れてきた。もちろん泣いた。オエオエ言いながら泣いた。これを書いている今でも泣けてくる。動物と暮らしている全人類におすすめしたい病院だ…。(中野新橋でした)

先生の診断だと

「喧嘩して噛まれたところが膿んでいるのかもしれない。口の中まで腫れている。普通ここまで怪我をする前にお尻を向けて逃げるがお尻は怪我していない。正面から戦う相当気の強い野良ちゃん」

だった。
そうだったのか…弱ってるところしか見てないからそんなパーソナル(猫だけど)な性格まで知れるとは。

とりあえず膿みを出してもらい、注射(点滴だったかな?)も打ってもらった。
食べられそうなウエットのご飯(給餌用の注射器?スポイト?みたいなやつも)や薬も貰った。
しめて1万5000円くらい。不憫に思った父があとからカンパしてくれた。

またバスに乗り帰ってきてふと思う。飼うかどうかはとりあえずこの病状を抜け出してから考えよう。全然鳴かないしバレないだろうし。
診察券には「ねこ ちゃん」と書いてある。せっかく一緒に暮らすなら名前はあったほうがいい…どうしようか。

しばらく思案した結果、名前は「はっちゃん」にした。
台風8号が来た日に出会ったのと、その日が8日だったから。
我ながら良いセンス、ぴったりだ。
柄はサビとキジトラの中間みたいな感じだった。

その日の夜、教えて貰った方法でご飯をあげた。スポイトでウエットのご飯を取り、口元に持っていく。水も手のひらに乗せたものをちまちま飲ませる。
ほんの少しでも食べて飲んでくれたことが本当に嬉しくて泣けてきた。その時の光景は今でも忘れない。

だが、ご飯も水もまともに採ってくれたのはこの日くらいだった。
もしかしたら病院に連れて行ったから一瞬、ほんの少し元気になっただけだったのかもしれない。


ご飯もお水も毎日一生懸命口元に運んだが、ペロリともしてくれない。
無理やり食べさせたほうがいいのかも分からない。困り果てながらも毎日声をかけて、
「拭くシャンプー」
みたいなペット用のウエットシートで拭いてあげた。
立ち上がってオリジナルトイレに行くことももうままならなかったので、毎朝毎晩キレイに拭くのがルーチンになったのだ。


はっちゃん、偉いね。
今日も偉いね。かわいいね。
きっと良くなるよ。良くなったらちゃんとはっちゃんと暮らせるようにするからね。
頑張ろうね。


ある日、帰宅するとリビングに置いていたはずのはっちゃんが玄関にいて、そこは血の海になっていた。

傷から出た血なのか、吐血したのかはわからなかった。
とにかく血の海。こんなにもってくらい血だらけだった。
その頃には夜中にはっちゃんの呼吸が苦しそうで苦しそうで、とても眠れない毎日を過ごしていたときのことだった。

もう一度病院に連れて行くと、

「この傷は怪我ではなくて腫瘍の可能性が高い。膿を出したのにどんどん腫れて、腫れがひどすぎて呼吸も圧迫している。詳しく調べたらわかるけど、飼い猫でない上にここまでもう末期になっていて治すとしても高額だし一時的にしかもたないかもしれない。正直おすすめしない」

というようなことを言われた。
そしてゴッド(先生)おなじみの、

「この子は今まで外で大変な暮らしをしてきたけど最後にこんなに優しい人に出会って、涼しい室内と柔らかい寝床で愛されて最後まで看取って貰えるなんてとても幸せだと思うよ」

と最後の一撃を食らった。
もちろん泣いた。嗚咽混じりに泣いた。診察室を出てお会計までの待合室でも涙が止まらなかった。当然、書いている今も号泣している。(デジャブ)

よし、わたしは最期までこの子の面倒を見よう。
あとどれくらいなのかはわからない。ものすごく長く頑張るかもしれない。
とにかく、この子をわたしは看取るんだ。
一生懸命可愛がるんだ。
心に決めた。

毎朝仕事の前にダンボールを確認し、トイレシートチェック。
仕事が終われば猛ダッシュで帰宅。まずはシャンプーシートで体を拭きながらゆっくり声をかける。
今思うと不思議だがシャンプーシートのおかげだったのか、ノミはいなかった。

それからはスポイトでご飯を口元に持っていき食べさせる。実際は食べてはくれなかったが…。(水もしかり)

わたしは、できる限り声をかけたり体を撫でて愛情を注ぎ、とにかく安心させてやりたかった。
そんなに遠くない死期、動物なら自分でもきっとわかってるはずだ。
ここは安全だと、大丈夫だと感じて欲しかった。必死だった。
猫に感情があるかはわからないが、

「まぁここならいいか」

とせめて思って欲しかった。


それでもその日はあっさりとやってきた。


病院に行ってから1週間ほど経った金曜の朝。
出社前のはっちゃんがそれまでにないくらいとてもとても苦しそうで、
「これは今日帰ってくるまで持たないかも」
と思った。
会社を休むか本気で悩むほどだった。

集中できない仕事を定時で終わらせてダッシュで帰宅し、恐る恐る中に入る。


生きてた!
はっちゃんまだ生きてた!
息してる!

喜びの舞を繰り広げつつ、日課になったウエットシートで体を拭く。


はっちゃん偉いねぇ。
待っててくれたんだね。
綺麗にしようね。
可愛いね。
いい子だね。


丁寧に拭いて撫でながら声をかける。
何度も何度も。
そしていつものルーティーン。帰宅したのは18時半頃。たっぷり時間をかけてしばらく愛でた。
土日、もつかなぁ…ちょっと嫌な事を考えた。
相変わらず苦しそうに息をしていた。

忘れもしない、その後19時半頃。
撫でているとはっちゃんが突然

「うっうっ、」

と言いながら2、3回ビクビクっと肩を震わせて動かなくなった。
息を引き取ったのだ。
わたしの手に撫でられながら。

あまりにも呆気ない最期だった。ずっとずっと苦しそうだったけど、最期はとても穏やかで過剰に苦しそうな姿を見ることなく旅立っていった。

まるで帰ってくるわたしを本当に待っていてくれたように、金曜の夜、はっちゃんは何年だったのかもわからない短いその生涯をわたしの手の中で終えていったのだ。

はっちゃんは最後まで本当にいい子だった。
金曜の夜に旅立ってくれたから、会社にも急な休みを取るなどの迷惑をかけずに土曜には区役所に連絡して合同火葬に引き取ってもらえた。
引き取ってもらう際に箱には買ってきた可愛らしいピンクのお花と、食べてもらえなかった缶詰と、手紙を入れた。

正直、毎晩毎晩あまりに苦しそうに呼吸していたので、
「やっと楽になれてよかったね」
という気持ちが大きかった。

はっちゃんはお医者様が言ったように少しでもここに来れてわたしの手の中で可愛がられてよかったのだろうか。それははっちゃんにしかわからない。

でもわたしははっちゃんから大切な事をたくさん教わったし、こうして生き物に責任感を持って向き合うことができるんだと知ることができた。
今でも泣けるくらい、胸が熱くなるくらい動物を愛せる事を知った。

その時の自信もあって、あれから何年も経った今では縁のあったやんちゃで面白い猫と暮らすことができている。
間違いなく今の暮らしがあるのははっちゃんのおかげだ。

わたしはずーっと、はっちゃんの事を忘れることはないだろう。
たった3週間だったがはっちゃんは確かにわたしの大事な大事な猫だった。
きっとその前にわたしの手の中で生涯を終えたハムスター2匹と仲良くやってくれているはずだ。

いつか遠い未来、そこに今の相棒も向かいます。
ふたりでわたしの悪口でも言って楽しんでください。


ありがとね、はっちゃん。

今の相棒。
主の鞄が好きなようです

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