見出し画像

鹿子裕文『ブードゥーラウンジ』感想文

『ブードゥーラウンジ』は、福岡のライブハウスを舞台にした、ノンフィクション作品だ。先ほど読み終えて、「この本をいろんな人に読んで欲しい」と思ったのだが、本には相性がある(と思う)。わたしは買った本の9割は最後まで読めない。

なので、独断と偏見で、『ブードゥーラウンジ』が合いそうな人をまとめてみた。当てはまるひとは、ぜひ手に取ってみてほしい。そして感想を教えてほしい。

1.  『ブードゥーラウンジ』の書き出しを読んで、胸がソワソワしたひと。

ロックンロールという音楽は、どうにも屈折している。「わかってたまるか!」という気持ちを「でも、誰にもわかってもらえないってなると、それはそれで寂しいなぁ」と歌にして曲にして、いざ本番を迎えるころになると「ああ、どうにでもなれ! 矢でも鉄砲でも持ってきて俺をぶっ殺してみろ!」とステージで爆裂させるような音楽だからだ。基本的に気分はやけくそ。だから音だってでかくてうるさいのだ。


2.  いい大人なのに、「うんこ」「おしり」などの言葉で、ニヤニヤしてしまうひと。

この本のなかには、「うんこ」という言葉が何十回も出てくる。いい大人なのに小学生男子のような、くだらないことで笑ってしまう人間には 特におすすめしたい。


3. いい大人だけど、「何者かになりたい」ひと。

わたしは会社の飲み会で、酔っ払った同僚から「おまえは何者かになりたいんだろ? みててわかるよ。」と投げかけられた。「なにそれ〜」と返しながら、酔いが一瞬でふっとぶくらい、恥ずかしかった。

小学校のころには、『大人になったら167㎝のモデルになりたい』と思ってた。いまではモデル体型よりも相撲体型の方が近い。中学校の頃には、ファッションデザイナーになりたかった。何枚かデザイン画をかいて、すぐに挫折した。高校の時には、『夏木マリみたいな、かっこいい47歳になりたい』と思った。その年齢に年々近づいていっているけど、夏木マリというよりも、「平成狸合戦ぽんぽこ」のたぬきの方が近い。何者かになりたいのに、理想ははるか遠い。

この本のなかに出てくるミュージシャンたちは、『何者かになりたい』という思いに蓋をしなかった。体当たりで表現した。そうして、「ボギー」、「オクムラユウスケ」、「鮫肌尻子」、「漢方先生」、「カシミールナポレオン」という、形になっていったんだと感じた。いい大人なのに、まだ『何者かになりたい』とおもっている。ブードゥーラウンジの仲間たちは、ダサくても恥ずかしくても、笑わないだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?