記憶の記録。

記憶の記録。

最近の記事

ぼんやり過ぎていく夏

 4日も外に出てないと、体が鈍る鈍る。 今日は待つのも嫌になる暑さだったので、すぐ出発しそうな空いてるバスに乗って帰路に着いた。 最寄でないバス停で降りて、15分くらいの道のりをぼんやり歩く。こっちに来てから、よく歩くようになった。川縁は空が高く爽快で、暑くても気分転換になる。

    • 10年分の祈り

      私には、10歳年下の妹がいる。 妹が生まれたのは小学生の時で、当時1番身近で新鮮な純度100%の"かがやくいのち"だった。 父母と一緒に名前を考えたり、抱っこして寝かせたり、絵本を読んであげたり、時には喧嘩したり……。思い返すと、母親が自分の子どもを可愛がるように接していた。 そんな彼女と、先日初めて酒を飲んだ。 誕生日を迎え、すでに酒慣れし始めている彼女に新たな新鮮さを感じながら、どうしてか何かに祈らずにはいられなかった。 健康でいられますように。美味しいものをた

      • クラゲの秘密 *ショートショート*

        僕の学校は、夏休みの宿題が少し変わっている。 その年担当になった先生が、好きな課題を1つだけ出す。それだけなのだ。漢字も、計算も、読書感想文もやらなくていい。 そんな夏があるなんて。 入学したての春、その事実を知って喜びに胸が熱くなった。しかし新生活にも慣れてきた5月、上級生から聞かされた話に、僕の期待は容赦なく打ち砕かれた。 その出される課題というのが、かなり曲者らしい。ある年には、泣きながら先生に助けを求めたり、文字通り机にかじりついたりする生徒もいたという。ほのかな不

        • 先生になりきれなかった私へ。

          今年の3月まで、「先生」と呼ばれる立場として生きていた。今は、働かず静かな毎日を過ごしている。 そうすることは、もともと自分で決めていたことだったが、コロナ禍によって思っていたよりも早く訪れた。様々なことが日々変化していく忙しなさとは裏腹に、気持ちは穏やかだった。数々の「もう、しなくていい」に、心が弾んだ。 そう感じた時、先生になりきれなかった私は死んだ。こんな人間でごめんね、と心の中で謝りながら、残りの日々を過ごした。 どこにも所属せず、ただ生きていく日々は案外難しい

        ぼんやり過ぎていく夏

          私のあごは、しゃくれてる。

          そう気づかされたのは、中学2年生のときだった。当時教室にいると、近くにいる男子達の会話から頻繁に聞こえてくる言葉があった。それが、「しゃくれ」。私はその時、まだ言葉の意味を知らなかった。ただそのグループの発する雰囲気から、いい意味の言葉ではないのだと感じてはいた。 ある時、「お前、しゃくれてね?」と、話したこともない男子に言われた。私は、突然のことに驚いて、無視してその場を逃れた。 家に帰ってインターネットで「しゃくれ」について調べると、上顎よりも下顎が出た受け口の状態の

          私のあごは、しゃくれてる。