クラゲの秘密 *ショートショート*
僕の学校は、夏休みの宿題が少し変わっている。
その年担当になった先生が、好きな課題を1つだけ出す。それだけなのだ。漢字も、計算も、読書感想文もやらなくていい。
そんな夏があるなんて。
入学したての春、その事実を知って喜びに胸が熱くなった。しかし新生活にも慣れてきた5月、上級生から聞かされた話に、僕の期待は容赦なく打ち砕かれた。
その出される課題というのが、かなり曲者らしい。ある年には、泣きながら先生に助けを求めたり、文字通り机にかじりついたりする生徒もいたという。ほのかな不安とは裏腹に、周りの生徒たちは夏休みが近づくと、事あるごとに今年の担当は誰か先生から聞き出そうとしたり、課題を予想し合ったりして、それなりに楽しんでいた。
そしてついに訪れた終業式。
課題を発表するために壇上に登ったのは、なんと校長先生だった。軽い挨拶を済ませ、長く白い髭を触りながら、先生は笑顔で言った。
「読んだ人を好きにさせる作文を書いてきてください」
その言葉に、体育館はすぐに騒然となった。
周りにいるクラスメイトは、近くの友達と顔を見合わせて、言われた言葉を繰り返す。
好きにさせる?なにそれ、どうやって?なかなか治まらないざわめきの中、僕は今にも走り出したい気持ちだった。
*
蝉しぐれが火照った脳みそに響く。
夏休みも後半にかかろうとする頃、僕はどうしても海に行きたくて、泣けなしの小銭を握りしめバスへと乗った。
どうしても欲しいものがあるのだ。
ある日の放課後、図書室であの子は、海洋図鑑をじっと眺めていた。
「ねぇ、知ってる?ミズクラゲって死んだら海に溶けて消えちゃうんだって」
そう友達に楽しそうに話かけていた。
しかし友達は興味なさげに、ふぅんとだけ呟くと、すぐに隣のおしゃべりに加わっていた。
あの子は、ほんの少し俯いて、またクラゲの世界へと戻っていく。
僕はクラゲの秘密は、世界の秘密だと思った。
あの子が僕に話しかけてくれていたら、きっと僕らは良き秘密の共有者になれただろうに。
ーーそんな訳で僕はクラゲの秘密を確かめに、ここにやってきたのだった。
海岸沿いを注意深く眺めながら歩いていると、すぐに打ち上げられたクラゲを見つけた。
僕は波打ち際の海水を、持ってきていた空のジャム瓶にすくい取った。念の為に、適当な枝でクラゲをつついてみる。
反応はなく、生きているのか死んでいるのかはわからなかった。ここは海の中じゃないから、当然か。
仕方ないので、なるべく端の方を指でつまんで瓶の海水に入れた。
指の先のクラゲはまだひんやりしていた。
蓋を閉じて太陽にかざしてみると、海水に透けて、窮屈そうにふわふわとクラゲの体が漂っている。
僕は無事に目的の物を手に入れることができて、ほっとした。
提出した課題は、秋の文化祭で全校生徒が見られるように、展示される。きっとこの研究成果をあの子が見てくれれば。
僕の未来は明るいだろう。
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