苦虫を嚙み潰したような思い出

ハイラックスサーフ

私の地元はそこまで車も通っていなければ人も歩いておらず、飲食店は徒歩10分以内の範囲で3軒しかないし、家から歩いて15分ほどでコンビニにたどり着き、40分も歩けば最寄りの駅に到着できる、程よく穏やかで落ち着いていて退屈で殺風景な、まあまあな田舎である。

そんな地元の道を歩いていると、向こう側から1台の車が走ってくる。知り合いが乗っているトヨタのハイラックスサーフだ。知り合いかと思って私は無邪気に手を振ったが、運転手は〝おーい〟と手を振る私の顔を一瞥して走らせる車のスピードを下げることなく通り過ぎていった。本当にただの知らないおじさんだった。

約10年前の出来事だ。不定期にこのような記憶がぶわっと蘇りうわっとなる。この教訓により、待ち合わせをする際に車を見て手を振るのではなく、しっかりと車に乗っている人を見て手を振るよう心がけている。


スピッツのベストアルバム

中学2年生の頃、親に「祖母の知り合いが塾長してるみたいで月謝も割引してくれるっぽいから通ってみる?」と言われ、何の気なしに塾へ通い始めた。
やがて、同じ塾に通っている他校の女の子と人生初めてのデート(男女が日時を決めて会うこと)をした。

映画館が隣町にあったので、電車に乗って隣町に向かいクレープを食べて映画を見て、映画館に併設しているゲームセンターでダンスダンスレボリューションをして汗をかいたりプリクラを撮ったりとそれなりに楽しみ、大人になった今、クレープを食べるとその子のことを思い出す。

その次の週、「あの女の子と私が付き合っている」とクラス中に流布されていた。私は、「実際には付き合っていなくてただ一緒に遊んだだけだ」という弁明を繰り返していた。
塾でも同様の噂が出回っていたので遊んだ女の子に問うたところ、その子自身は私と付き合っていて、彼女には私という彼氏ができたという認識でいたようだったので、認識の齟齬を伝えたところその女の子は大泣きしてしまい、塾の中でも学校のクラスの中でも私は悪者とされてしまったことがある。
一部同情の声もあったが、〝めんどくせ~!!〟となり、私は勉強に明け暮れるようになった。

学校から帰り塾に行き、休みの日も朝から家で勉強をして、夕方から夜10時まで勉強をする。
その時に聞いていた音楽が、レコード会社が勝手に発売したと言われていたスピッツのベストアルバムであった。ひたすらそのベストアルバムだけを繰り返し聞いて夢中で一心不乱に勉強をした。
塾講には「お前ならできるだろうと思って、解いてみなさい」と出された数学の難しそうな図形問題も次第に解けるようになり、結果、学校の中間テストで学年2位まで登りつめることができた。

社会科の先生が答案用紙を配る時、80点以上の場合は「〇〇(生徒の名前)、GOOD!」と言い、90点以上の場合は「〇〇(生徒の名前)、VERY GOOD!」を言われ返される。
今まで80点すら出したことがなかった私の名前の後にVERY GOODを付けられたとき、クラス中から「おお~!」と拍手をされ、ヒエラルキー上位の文武両道グループからよく話しかけられるようになった。
担任からも「お前は何も勉強しなくてもここまでの高校には行けるし、ちょっと勉強すれば隣町の偏差値高い高校も行けるぞ」と太鼓判を押され、両親からも「あんた頑張ってたからね」と、それなりに勉強のことが好きになっていった。

スピッツ当人らの不本意ながら発売されてしまったと言われているベストアルバムの中で、〝スパイダー〟と〝涙がキラリ☆〟が好きで、シャッフルで流れてくると、書いては消してを繰り返して汚れた参考書のことを思い出し、懐かしさと少しの気重さがよみがえってきて、散歩している時や電車に乗っている時に流れてくると違う曲を聞くようにしている。


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