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愛は階級の差を超える?

この間、Twitter上でこんなやり取りをした。

その後、やり取りは続いたけれどリプをくれた彼の言いたい事と私の意見が上手く噛み合わずなんだかずっと考えてしまっていた。

1ヶ月経って久しぶりにSATCを見返していたら「愛は階級の差を超える?」というエピソードがあった。内容はまぁタイトル通りで登場人物達がそれぞれ階級の違う相手との恋愛模様が描かれる。主軸になるのは主人公であるキャリーが彼氏に思わず言ってしまった「愛してる」の返事が貰えないという話だ。

このエピソードで最終的に語られる回答は「人として中身が無ければいくら収入面やら社会的地位としてカースト上位でも価値はない。例えば、愛してると言ってくれた相手に対して誠実に対応できないような男はダメだよね」だと思う。

なるほど、と納得して例のツイートを思い出した。

一見、カーストの中で「こんなもんか」と相手を選ぶのは妥協のような、何なら相手にも失礼なのでは?と私はネガティブなイメージがあったのだ。

そこで、ふっと考える。
ではその逆はなんだろう?

「こんなもんか」の逆は「もっと素敵な理想的な相手がいるかも」だと思った。

あーなるほどなっと思った…極端な二択だけれど、今の時代、後者は分かりやすく地獄な気がしてならない。もちろん、何処をゴールにするかで選択は変わってくると思う。

もぅ一つ参考にしたい作品で四畳半神話大系の樋口師匠がこんな名言を残している。

可能性と言葉を無限定に使ってはいけない

 (中略)

今ここにある君以外、ほかの何者にもなれない自分を認めなくてはいけない。
四畳半神話大系より

答えは出揃った感があるけれど、少し組み立ててみよう。

見えないカースト

自分の可能性を盲目的に信じて「もっと素敵な人がいるかも」と突き進んでしまうと少し危ないかも…そんな気持ちは持ちつつ「ここにある自分」を受け入れ、そんな自分を好いてくれる相手に誠実になろう。が今回の学びで、その姿勢を持つ事こそがカースト上位なのではないか?が今回の件で私が見えてきた事だった。

彼の意見はもぅ少し複雑な気もするし「一周回って」の辺りをもぅ少し掘りたい気もするので機会があればまた話したい。

まぁ、こんな事を考えたり話したりする事に何の意味があるのか?とか言われればそうだけれど、そこは「もしかしたらこの先、私がドラマの脚本を書く事になるかもしれない」とかそんな「可能性」を一周回って考えてもいいじゃない

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