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2月22日の日記


 先日、職場のひとと電話をした。今後のことを上司の上司に相談した。そして今の職場の状況(色々変わったことがあった)を聞いた。

 話したあとはすごく、汗をかいてた。これは割といつものこと。学生の就活のときからこれは同じで、そしておそらく多くの人もそうじゃなかろうか。でも毎回「緊張とかって本当に身体に出るんだな〜〜」と、少し嬉しい。生きてるなと感じるし、ストレスって本当にあるんだ、と思う。

 ストレス反応としてはやっぱり何かコンテンツに触れたくなった。今はドラマを流してる、なにも買わないけどZOZOTOWNをひらいて眺めた、Gmailのメールフォルダを眺めた。

 仕事に戻ったらこういうことが山ほどあるんだろうな。帰りの電車で死んだ目でスマホを眺めるのかな、嫌だな。

 そうならないように、なにか良いリフレッシュ方法を引き続き模索しよう。とりあえず今してる寝る前のストレッチやほんのりヨガ、散歩は継続したい。


 復職はおそらく、もう遠くない。普段通りの生活ができてる。朝も最近は7時に起きてる。目標は6時。結局リワークには通わなそうだけど、有名なリワークの施設がだしてる『メンタル不調者のための 書くだけ30日ワーク』という本に取り組み始めた。

 ワークのなかには、つらかったことを振り返ってみる(そしてその時の感情を分析してみたり)ものもあって、取り組みながら号泣することもある。

 でもその時の涙は、休職前の涙とは違う感じがする。つらかったねつらかったね、頑張ったよ、の自分自身への共感の涙のような。

 最近は人生にはいろんな選択肢があるな、ということを考える。実家に戻るかもしれない、夫の実家のある土地に移り住むかもしれない、はたまた縁もゆかりもない場所で暮らす可能性だってゼロじゃない。

 とか、そんなことを考えると「よく言われてるけどそういったって、ねぇ、」と今まで感じていた「辞めればいいじゃん」の言葉が本当の本当にそのように思えて、休職して復職して迷惑かけるんだからそのあと長く努めなきゃ、とか安定した福利厚生大事(まぁ、大事と思うこころは私のなかではそらとても強いわな、これはなんでなんだろうね)とか、そういったものも吹き飛ばす準備はできてるぞ、と思う。

 最近は少しずつ運動量を増やすべく、散歩をするようにしている。近所の緑豊かなお寺に散歩中立ち寄って、とてもとても気持ちが良かった。ずっとこの感じに浸っていたいと思った。
 
 日差しが強くて、緑豊かで、空を遮るものがなにもない。とても明るく開けた場所なんだけど、死というものをなんだか身近に感じる。なんだろうこの感じ、この感じわたし知ってる……この感じにくるまれて過ごしていたような……と、ぱっと思い出したのが学生時代に旅行をしたタイ・バンコクだった。

 もしも復職してさ、仕事がつらくなったらさ、どうしても続けられないと思ったらさ、また倒れると思ったなら、そのときはもう辞めようよ。1ヶ月ならビザ無しで滞在できるらしい、タイだよ、タイに行こう。

 少しずつ元気になってきています。人生はまだまだ長いし私が死んだらそこでおわってしまうから、好きなことをしよう。そのためのお金を、嫌いではない類の仕事(内容というか、組織自体の存在意義に強く心惹かれて私はこの職場で働きたいと思ったし、それは今も同じで、だからなかなか辞める決心ができない)で得られるのだから、それは私にとってわりと幸福なことよ、とりあえずまたしばらくやってみよう。

 上司の上司との電話のあとはやっぱり少し調子が狂ってしまい、翌朝なかなか起きられなかった。ゆっくりお風呂に入ってよく寝て(そして継続しているストレッチ)、苦しさは70→50くらいに減ったような。6:00にアラームをかけたけど起きたのは8:40。1時間でごはんを食べてストレッチと、身支度。そのあとは1時間ほど散歩。

 あとは最近久しぶりに実家に電話をして、笑いながら母と話した。私の母親は優しくて強くてそして面白い。ばりばりのキャリアウーマンだった母の言葉には、「わたしはそんなふうにはできない」と反発してしまうことも以前は多かったけど、最近は素直に受け入れられる。

 お互いが変わったからなんだろうな。母はより柔らかくなったし、私は働くひとの怖さや残酷さに(そのほんの一部かもしれないけど)触れた。同時に優しさにも触れて、その優しさの表れかたは決してひとつじゃないこともわかった。

 つらかった私に優しくしてくれた人がやっぱり職場にもいて、私もそうありたい。それが今の職場でも、そうでなくても。働いていても、働いていなくても。優しくて、その優しさや心の美しさが外側に滲み出るようなひとになりたい。

 少し話は変わるけれど、つい最近そんな同年代、むしろ少し私よりも若いくらいの男性を見かけて、背筋がすっと伸びた。大きな病院のなかのエレベーターでその男性と乗りあわせて、途中階でとまったドアの前には車椅子にのった男性とそのご家族たちが。どうやっても全員は乗れない。

 どうしよ、となにもできずに突っ立ってたらその男性は瞬時に「乗ってください〜!」とドアをガバっと押さえたあと颯爽と階段へ向かった。

私も追うようにエレベーターを降りたけどすぐには階段に向かえず、あ〜〜〜私はなにをやってるんだ!と少し落ち込んだ。

 あぁ、私やっぱりこういう人になりたい、こういう人でありたい、とね。なんか大事なことを忘れてた。普段の考えとか、行動に出していない気遣いとかは、咄嗟の場面で表面に出てくるものだよね。

 

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