見出し画像

断捨離と、拾い集め

2023年も終わろうとしている。

仕事をきっかけに、昨年12月からまた書き始めた手帳を開いて、1年の振り返りをしてみた。

今年の後半は、ほとんど断捨離に時間を費やしていた。

逆に、改めて拾い集めたものもある。

🗑断捨離したもの

仕事

まず、今年1月に始めたばかりの、まあまあ自分が大きく関わっていた仕事を辞めた。

途中までは、やりたいことができていたし、賃金が安くても楽しかったからよかった。(先に断っておくが、「仕事」として依頼されていたので、雇用契約書も交わしていたし、賃金を支払う前提での契約だった)

「みんな金なんやな、さみし。」
「金にならんことにお金出してあげてる。時給1000円の価値発揮して欲しい。」
「強い言葉でまくし立てられて傷つきました。」

私の名前を勝手に使って無償ボランティアをSNSで募集し、私の友人にまで無償ボランティアを一方的に求めようとしたので、やんわりと有償にすることを勧めた時に吐き捨てられた言葉たちである。

それまでにも、報酬を実質下げるような話を一方的かつ確実に進められそうになっていた。

私に来ていたテレビ局の取材を自己判断で断っていたり(その上で自分を取材するように先方に営業していた)、取材を受けたくない友人の断りも私への連絡もなく、記者だけ送り込んできて面食らったこともある。もちろん、取材を申し込んだ当人はいない。

ここまで自他の境界が侵食されると、こっちがおかしいのかと錯覚する。

本当に洗脳されるかと思った。
私が私である時間が少なかった。
完全に小間使い、奴隷、所有物だった。

最終的には直接話し合うことなく、一方的に切った。

「時給発生してない時間、特に夜や休日まで、四六時中連絡してこないでください」
やんわり嫌だと伝えても伝わらなかったので、意を決して言ったこうした「強めのおねがい」は、どうやら「強い言葉でまくし立てた」と思われる原因になったらしい。

もちろん、何度も「こういう仕事やからしゃーない」で流された。そもそも、時給換算されない仕事がめちゃくちゃあったしな。

対話が必要、わかりあうことが大切、これが本当に綺麗事だと思った。どれだけ疲弊して、洗脳されそうになる危うさから逃れるのが難しいか。

話し合う=言い負かして自分の思い通りにする

という思考の人間と話すのがどれだけ無意味か。
ディベートかよ。会話のドッヂボールかよ。

その後、全てのSNSを駆使してコンタクトをとろうとしてきたから、全部ブロックした。

そしたら別の職場のオーナーにまで「急に精神がやられたからって一方的に辞めるのおかしい!会って話すべき!」って連絡してた。

別の職場も、実家も今住んでいるところも全て割れているので、押しかけてこなかったことだけが救いである。未だに私は怯えている。

Facebookに、「近頃の地元の若者は精神的に弱い」と堂々とボヤいていたらしい。

メールアドレスを勝手に登録されていたらしき団体のサービスから、未だに定期的にメールが届く。

未だに、ごめんなさいと謝られたことは唯一、「インスタにタグ付けしたアカウント、プライベートアカウントだったのまずかったよね、ごめん」である。

未だに、ヤバいところが多すぎて、「ヤバい」以上の言葉の因数分解をする気力がない。

私の知らないところで幸せに生きて欲しい。

人間関係

これはさっきの話とも通ずるが、その仕事関連の人たちとの縁がぱったりと切れた。

もちろん、個のつながりとして残っている人は多い。

でも、ずっとなんとなく感じていた「私の友達とか親戚とか、身近なところには絶対いない『えっ』ていう振る舞いを平気でするなぁ〜…」という人たちとは離れた。

私はめちゃくちゃ育ちがいいわけではないし、お金が本当にない時、メンタルがやられている時に、甘えて迷惑をかけたこともある。逆に自分が気づかないところで「えっ」と思われているところも絶対あるし。

だから、人のことを言えないにしても、「うーんちょっと感覚違いすぎるなあ〜近いところではしんどいかも」みたいなのが積み重なるとしんどいので、距離を置けてかなりホッとしている。

あとは、私が非正規労働で不定休なことを利用して、暇な時に連絡してきてはマウントをとってくる人とも距離をとった。

相談してきてる風の、「自分は正規雇用だから」「親に甘えてないから」「あなたと違って忙しいから」アピールは逆に可哀想になってくる。

みんな疲れてるんだなー。
人には人の地獄があるんだろな。

所有物

5月に祖母宅に引っ越した(実家を飛び出してそのまま正式にパラサイトしている)ことにより、大規模な断捨離をした。

小学生頃から高校卒業に至るまで置いていた大量の服、本、書類、雑貨、あらゆるものを捨て、売り、譲った。

なんていらないものばかり持っていたんだろうと思った。あったことを忘れているものもたくさんあった。10年前のものが平気で出てきて、時が経つことのおそろしさを感じた。あんなに必要だったものが、不必要になっていることの不可思議さもあった。

断捨離をしたおかげか、とにかくものを買う時に慎重になった。

安物ではなく、長く使えそうなものを
欲しいものではなく、必要なものを

デザインや使いやすさに少し拘って、価格最重視はやめた。

お気に入りのものにだけ囲まれている生活は楽しい。

体重

これはなんかもれなく減った。
めちゃくちゃ痩せた!体重が落ちた!というより、ブヨブヨの贅肉が取れて、必要な筋肉が戻ってきた感じである。
とくに意識して何かをしていたわけではない。

SNS

私はなんと10年以上ツイ廃をやっているので、Twitterのアカウントは7つあったが、4つ削除した。
おすすめ機能に出てくるニュースたちで、無駄に精神すり減らしているのがバカバカしくなった。
病んでいた頃のツイートと共に、さよなら。
3つはまだまだ使う(1つは使ってない)から、ミュートワードを増やして心の平穏を保ちたい。

🎁拾い集めたもの

気の置けない友人

高校同期や、中学の同級生、大学生の1番おかしかった頃に世話になった人たちなど、改めて私を「消費」しない人とまた巡り会った。

私が行きたいカフェをプレゼンして一緒に行ったり、私が旅行に行く時に泊めてくれたり、長話にも付き合ってくれたり…これだけ書くと確実に私が相手を消費しているように見える。

ただ、これらを一緒に楽しんでくれるし、お金以上のやりとりができる人たちだから、気持ちよくいられる。

あとは、会うことは少なくてもSNSで様子を気にかけてくれて連絡をくれたり、付かず離れずでつながり続けてくれている人たちの存在が大きい。

私は本当に余計なことを喋ってしまうタチなので、傷つけてしまうようなことを無神経に言ってしまうこともある。グイグイいきすぎることもある。それでもうまく距離を保ってくれている皆に心から感謝している。

健康

病院で3月にようやく双極性障害と強迫性障害の診断がおりたので、適切な投薬治療を受けることができている。

まあ生理前の情緒は荒れるし体調も悪くなって寝込むし、完全に元気になることなんて私の人生においてはないのだと思う。

それでも、何度も職場の鍵を閉めたか確認しに行くことはなくなった。

上司からお怒りのメールがきているのではないか、返信がこないのは怒っているからだ、という思いから抜け出せず、ずっとメールボックスを更新してしまうこともなくなった。

突然上司や家族にブチギレることもなくなった。
今冷静に考えると、家を飛び出して祖母宅に来たのも、完全にまだ薬に慣れてなくて理不尽にブチギレてた頃の話だったなあ、と思う。

祖母との暮らしが、良い生活リズムをつくり、祖母という私にとってストレスを与えることのない存在がいることで孤独にもならないという最高の環境をつくりあげてくれている。

鬱や不安でどうしようもない時は必ずやってくるものの、(家や職場で)人に迷惑をかけることなくやり過ごせるようになってきたのは成長の証である。

自分の時間、自分の人生

地元に帰ってくる前から、ずっと犠牲にしていたものがようやく取り戻せてきたような感覚がある。

常に病気や親など、周りのせいにしないとやっていられなかった。
仕事でも四六時中連絡が来るから、仕事のことばかり考えざるを得なかった。

ただ、今年は少し暇になった。
弟の大学進学、母親の体調安定、祖母宅にいることによる家事負担の軽減、辞職…

自分のために使える時間が増えた。
だから、たくさん働いて、たくさん旅行した。
色んな場所に行って、会いたい人に会って、美味しいものを食べた。

少しずつ、自分で出来ることが増えて、自信がついた。地元や家に執着せず、次のステップに進みたいという気持ちが生まれてきた。

一人暮らし、結婚、バリバリ働くことなど、「絶対無理!」だったことが「まあチャンスがあるなら…」くらいの感覚になってきた。

人はやがて死ぬので。これは親も私も祖母も同様である。それぞれの人生なのだ。

やっと、自分を自分の呪縛から解き放つ鍵を見つけたような気がする。

何か生産的な趣味を、と思った時に目に入った荒地。
再生させた。ほぼ完全に。
毎朝、祖母と野菜の成長についての話をする。
これは、確実に私が拾い集めた幸せのひとつだ。

総括

2023年とは、私にとって「断捨離」の1年だった。そうするための下地を整えるところから頑張った。

鬱と診断されてからグチャグチャになっていたものの優先順位をつけて、いらないものを捨てて、大切なものを改めて目につくところに飾り直した。更にこれから必要なものをリストアップした。

さあ、2024年はどんな1年になるのだろうか。
取り戻すのか、進むのか。止まったままなのか。はたまた、思い描きもしない方向に飛んでいく、埋まっていく、沈んでいくのだろうか。

ここまで読んでくれた方は、きっと2023年もかなりお世話になってきた人たちだと思う。
2023年、本当にありがとうございました。
2024年も、どうぞよろしくお願い致します。
良いお年を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?