新月と観覧車と赤いピンキーリング4〜もうちょっともうちょっと(最終)

2023年あけおめ

新しい年がやって来た。
同時に妊娠16週つまりしっかりと安定期に突入した。

同じくらいの週数の赤ちゃんを亡くした方の体験談を読んで不安になったり泣きそうになる事もありながら。

昨年のクリスマスから年末から今回のお正月から、ハラハラしながらもお腹の中の赤ちゃんつまりおキョウちゃんと過ごす初めての冬だった。

先述の出血や悪阻の名残があり、大掃除や正月準備は通常時の半分も出来ただろうか?

かなり家族にも手伝ってもらったのだ。

ウォーキングも外に出ると気持ちが悪くなった。
冬が苦手なのもあり、喋れなくなるレベルだ。

主人と一緒にウォーキングをしたが、何も無い所で転びそうになったのだ。
主人がその時は守ってくれた。

3週間に1回の妊婦健診も、何かあったらどうしようとドキドキして泣きそうになりながら行けなくなり、無理に主人に車で連れて行ってもらった事もある。

猛ダッシュで走って逃げないといけない状況に陥ったり、思い切りこけて焦る夢もよく見た。
起きたらホッとするのだが。

1月の終わりに近づくと、自然に悪阻もおさまり、1人でもウォーキングが可能になってきたのだ。
2月に入り、空が何となく明るくなり、希望を見た気がした。

趣味の音楽と鬼○の刃の映画

そしてFMQ(エフエムキュー)という、地元のミュージックバーにて結成された4人組アマチュア音楽ユニットに私は入っているが、次の2/5(日)のライブを最後に卒業し、産休に入る事に決めたのだ。
またまた何かが動き出す運命を感じた。


ただ昨年11月と12月はほとんど寝ていたし、練習は全く出来ておらず、本番直前の半月くらい前に練習を始めたのだ。

カラオケも行かず、声も出ず。

しかも私は緊張やストレスが喉に来て、喉が不快になり、声が出なくなるのだ。過呼吸のような状態になる事も。

ピアノは大の苦手だから本当は歌と簡単なダンスで攻めたいのだが、今は我慢だ。おキョウちゃんのためにも動き回るのは良くないだろうから。

それにライブの直前に「鬼○の刃」の映画があるというではないか。練習が出来ていなければ行かないようにしようと思っていた。

しかしながら2年前に煉○杏寿郎さんと映画「無限列車」で初めて出会ったあの映画館で見れるようだ。
運命を感じた。

これは何としても練習を頑張って、絶対行こうと決心した。

何とか音楽もまとまり、映画も行く事が出来、元気がもらえて行って良かった。
冒頭のスペシャルアバンを中心に煉○さんに会えたり。

おキョウちゃんも動くようになり、私のお腹をしっかり蹴っていた。

おキョウちゃんが本当に、煉○さんみたいに強くて愛情深い子になってくれますように。
そして誰よりも幸せに笑って、お爺ちゃんになるまで健康で生きてくれますように。
(1/16の検診におキョウちゃんは男の子と判明。2/6の検診でも同じ結果だった)

2/5にライブ当日を迎え、一旦ユニットを卒業するからバチッと決めたかったのだ。

ところが当日朝は起きられないし、衣装の都合で白い靴を履いて来るようにと再三の話があったにも関わらず、私はいつもの靴で出かけてしまったのだ。

道中で自宅に引き返し、靴を履き替えて再出発し、遅刻してしまったのだ。
良い歳して何やってるんだ。

緊張が酷すぎるし、明らかに身体も心も調子が悪かったのだ。
本番が終わってから倒れたかったのだが。


ミュージックバーのママさんの配慮で、私はトップバッターにしていただいたのだ。

いつもならピアノの前に座ればもう嫌でも落ち着いてくるのだが、今回は全くだった。

だがグダグダでもとりあえずやるしか無かった。
出来るならすぐに寝込みたかったが。

やはり一番今まででグダグダになってしまい、止まりながら、水を飲みながらの演奏になってしまったのだ。

何度も諦めかけた。
「ごめんなさい。これ以上無理です。」

その言葉は喉元まで来ていた。

歌も、気持ちが悪くなった時は休みながら歌った。

今回のこの物語の歌バージョンも披露したが、また後日ちゃんと発表し直したいし、動画サイトにも載せたいので改めて録画しようと思う。

ただ、ユニットメンバーの皆さんやお客様達やママさん、マスターさん、スタッフさんは皆凄く優しく、温かく見守って下さった。誰1人怒る方はいらっしゃらなかった。

ママさんも、
「途中でやめずに最後までやってくれて良かった。」
と仰って下さった。

もっと厳しい環境に居たら、確実に怒られていたはずだ。
「体調管理、ちゃんとして来い!」
と。芸能界でプロとしてやっていたら確実にそうだし、下手したらクビになっていただろう。

家族に
「グダグダやったな。」
と笑われたが、嫌味は無かったように感じた。

ユニットメンバーも、私がユニットを卒業するので、卒業の歌や、童神の歌など、1曲ずつ歌ってくれ、私は幸せに包まれた。

必ずカムバックするようにと言われたが、先の事は分からない。
しかしながら折角ご縁があり、ユニット仲間とは3回ご一緒したのだからこのまま終わるのはもったいない気がしている。

ユニットの残りのメンバーは今後、3人でワルツという名前で活動されるようだ。
良ければ皆様、応援お願い致します。私ももちろん体調が良ければ応援しにライブを観に行くつもりだ。


結婚生活とこれまでの人生と仕事の占いとこれからの人生について(最終章)


占いが仕事になって来たのは今から5年前。

初めて勉強を始めたのは2014年つまり9年前の春だ。大変だった時に行った占いの館でサイキックタロットのお師匠さんに出会ったのだ。

私は当時一般の会社員だった。それまでも派遣社員やパート、職業訓練で簿記の勉強をさせていただいたりいろいろあった。

前にも書いたが2013年に私は結婚し、すぐに退職したら何か逃げたみたいで嫌だったのだ。
元来物凄く負けず嫌いなので。

ただ新婚旅行から帰って来たら新しい部署に飛ばされ、仕事を増やされたり厳しい先輩に怒鳴られたりが続き、精神的に参ってしまったのだ。そして2014年の夏前に退職した。私は31歳だった。

そもそも私は人間関係に不器用だし理解も良くない。

もしこのままあまり人と接する事なく、専業主婦として生きていけたら、夫婦2人で気楽に暮らしていけたらと思った。もう絶対働かない。

退職してからしばらくは超マイペースに、主人を送り出したらゴミ出しの時間ギリギリまで寝直したり、3食もガッツリ食べていた。

昼寝もして夕方は好きなアニメを見て、占いの練習をして。
炊事や洗濯など家事をしながら。

もう会社に行かなくて良いんだ…。

と思ったあの幸せ感は一生忘れない。

のんびりだらだらと過ごしていた。

ただ現実はそんなに甘くなかった。

「このままじゃ自分がダメになるよ」
という声が聞こえて来たのだ。

私はみるみるうちに太っていったのだ。
お腹も出て顔も変わり、友人、知人、家族に驚かれたのだ。
嫌味を言う人も居た。

結婚生活も1年近くなり、実家に帰った時に
「子どもはまだか。病院に行け。」
と母親や姉から言われたのだ。


実家は帰るたびに太っただの子どもの事など嫌味を言われ、ついに私は34歳の時
「もう帰りません」
宣言をメールでし、3年ほど冷戦状態になったのだ。

占い活動も同じ年くらいから、商業施設のスペースに出させていただけたり本格化していったが、実家には知らせず引き続き専業主婦をしていると伝えた。

しかしながら「働け」と以前うるさかったので、派遣社員をしていると誤魔化していた時もあった。
ただ姉から鋭い質問攻めに遭い、誤魔化しが効かなくなった。

占いはバレなかったが。

実家は厳しく、何事も普通じゃないと、それ以外は嫌う家庭だったのだ。昔私は芸能人つまり歌手や声優になりたかったが、
「うちの家には合わない」
と言われ、断固反対だった。

本当に大した事のない普通の家庭なのにプライドが高く、人を見下したり差別するような家風に私は苛立ちを感じていた。口を開けば勉強の話ばかりで、姉は優秀だったが私は勉強が嫌いだったのだ。試験でも60点あったら良い方だった。

「こうでないといけない」
という考えや世間体を凄く重視する家で、そこからドロップアウトしかけていた私にとったら針の筵だった。

完全にドロップアウトするときっと精神を病んでしまう。何度も人生を諦めかけた。

テレビゲームが生命線で心の居場所だったがそれに関しても「逃げだ。」「時間、電気代の無駄だ。」などマイナスの事をたくさん言われた。

一方義理の実家も、極力一般職について欲しいと考える家だが、占いは主人が賛成している範囲で活動してくれたら良いという考えだそうだ。
ほぼ全ての事に関して、義理の実家にお世話になっているのだ。まるで実の娘のように大切にして下さった。

結婚から3年が経ち子どもの事は意思確認と、2人で考えたら良いけど後悔しないようにと少しだけ主人だけに話があったようだ。

その辺りから私は重い腰を上げ、不妊治療に踏み込んだのだ。

加えて35歳から流産を繰り返していたのは私の親との関係やこれまでの人生が問題だったのではないかとカウンセリングでも言われたし、実家とも仲直りするように友人に言われたのだ。

中には流産の原因は占いではないかという人も何人かいた。
悪いものをもらっていたり、まだ若く?人生経験もそこまで多くない私が「変な事言ってはいけない」と神経を遣っているから、それが良くないと。

もし占いが本当に原因なら今回のおキョウちゃんもここまで育たなかったはずだ。体外受精をしたとはいえ。

占いでの成功と赤ちゃんを授かる事と両方は無理だと言われた事もあったが何を根拠にそんな事言うんだか。

やはり私は占いが好き。カウンセリングが好き。将来は店を持ちたい。
占いを使って、不妊を含めて悩みの根源を見つけ、本来の自分になり、願いを叶えるお手伝いをしたいのだ。

そして3度目の流産が終わった後、37歳の時、フルボッコ覚悟で1人で実家に帰ってみると両親は喜んでくれたのだ。とりあえずだが和解したと私は思っている。それまでは絶対に1人では帰らず、主人と2人で帰っていた。

両親は以前、赤ちゃんが産まれる時、自分たちの年齢で出来る範囲でするから、里帰りをしに帰りなさいと言っていた。当時両親は70歳前後。

そして両親は今75歳が近づき、父親はもう80歳近い。
流石に里帰りは無理だと言われてしまったのだ。

義実家にお願いし、援護を受けて、我が家で赤ちゃんを育てる事に決まった。

すっかり私の実家とは疎遠になってしまったようだった。

きっとそれだけ嫁ぎ先や結婚生活が合っていたという事だ。

実家では事あるごとに
「家に入れない」
と言われ、本当に小学校低学年の時に締め出されて泣いていた事がある。気が遠くなった事を覚えている。

その反面主人は、「どんな事があってもお前はうちの子だ。」
と大切に育てられたそうだ。

加えて、「高校なんてどこを卒業しても良いんだ。」
という考えを聞き、何だか安心した。

大切なのは学歴ではなく、そのままのその子の良さだし、最終的に社会で居場所を見つけて働ければそれで良いという事だよね。きっと。

ちなみに煉○さんのお母様は本当に優しく、凛々しく、正義感の強さと深い愛情を感じる人だ。加えて美しい。「もの○け姫」の大好きなエボ○御前を思い出した。似ている気がする。
私は煉○さんのお母様のように素晴らしいお母さんにはなれないかも知れない。

だけど家族だけの心休まる場所は絶対に作る。

私はそのままのおキョウちゃんを大事にし、陽だまりのような家庭を作りたいのだ。

2月で妊婦生活も折り返し点。
2月末で占いの対面の仕事も産休というか、一度退職するのだ。また時間がかかっても絶対に復帰したい。

妊婦健診はまだまだ怖い。
だけど、周りからは「もう大丈夫だ」と言われている。
ただ前にも書いたが、産まれる直前に赤ちゃんが亡くなった話は人から聞いたりインターネットでも見るのだ。

絶対にこけてはいけないし、極力冷やさないように、生物(なまもの)は控える。
異変や気になる事があればすぐに病院に相談する事。

「妊婦健診を怖がる時期は過ぎているよ。出産準備をしないと。」
と主人に言われる。

そうだね。前を向いて歩かないと。

今回はやっと家族が増える、そんな予感が確かにしているから。
それも大好きな煉○さんが我が家に仲間入りしてくれるなんて幸せだから。


私は神社に通いながらも無事安産を願った。おキョウちゃんの部屋を空けたり、隣のリビングの模様替えも家族みんなでやりだした所だ。

4月には「鬼○の刃」の新章のアニメが始まる。そこまで来たらもう絶対に無事におキョウちゃんが産まれるだろう。

科学的根拠は無い理由だが、昨年観覧車に乗りに行った時と同じではないか。

きっときっと大丈夫
強く強く信じている。願いと愛を込めて








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