おいしいはフタの中に
なんか、今日のご飯めちゃくちゃおいしいな?ということがある。
同じものを食べていても、なんだか違う。おにぎりってこんなにおいしかったっけ?このコロッケも、食べたことあるのに。
なんかおいしい、という感覚の初めては、小学生の頃の遠足だったような気がする。
小学生の頃、遠足そのものより、母に持たされるお弁当が楽しみだった。
開けるまで何が入っているかわからないドキドキ、教室ではない場所でごはんを食べるちょっとした非日常感がたまらなかった。
そんな非日常の中で食べるお弁当は、普段よりなんだかおいしい。部活帰りに台所で立ったまま食べたおにぎりと中身は同じなのに。
遠足のご飯がおいしいのは、お弁当箱に入っているからじゃないか?小学生のころは給食だったので、お弁当箱は普段使わないから、特別感がある。
対して台所のおにぎりはなんだか特別感がない。ラップに包まれて、テーブルに転がっている。中学生の頃我が家でよく見る光景だった。
遠足の休憩時間、お弁当箱のフタを開けて、中のおかずを確認して、とりあえずおにぎりを頬張る。冷たくてしかも固いのだが、なんか、おいしい。
たな著『ここからおいしいよかんがするよ』を読んでいて、フタを開けて食べるご飯で一番初めに思い出したのが小学生の頃のお弁当だったわけだが、年齢を重ねた今でも、フタを開ける瞬間というのは、なんとも言えぬワクワク感がある。
なべ焼きうどん、茶碗蒸し、ちょっと高級な和食屋さんの味噌汁、クッキー缶、お高めのチョコ。
フタを開けた時の、どれから食べよう、食べるのもったいないなあという気持ちは、いくつになっても変わらない。
絵本の中でも描かれているが、こうして思い返すと、フタがついた入れ物に入った食べ物は、人からもらうことが多いのだ。
母が作ってくれる水炊き、友人からもらうおいしいクッキー、旅行のお土産でもらったみかんジャム。
チェックのリボンで括られたきれいな瓶や、猫が描かれたピンクの缶。
自分で作ったわけでも選んだわけでもないから、中身がわからないし、お菓子等はパッケージが好みであるほど、開けるときのワクワクは増す。
逆に誰かになにか贈り物をするとき、誰かにご飯をつくるとき、自分がフタを閉めるとき、なにを考えているだろう。
おかずをきれいに並べられた。もう少し煮込んだらおいしくなるかも。誰かがフタを開けるときのこと、誰かと一緒にフタを開けるときのことを考えて、フタを閉める。開けた人は喜ぶかな?驚くかな?と想像する。
誰かのおいしいが入っているから、フタの中身はいつもよりおいしい。