コーヒーで良くない
私はコーヒーが好きじゃない。
10代の頃、コーヒーをブラックで飲んでいる友達がやけに大人に見えて、マネして自分も飲んでみた。苦くて美味しくなくて、砂糖を少し入れても飲めなかった。ブラックなんて夢のまた夢だ。
お酒と同じで、大人になれば自然と美味しくなるのだろうと思っていたけど、25歳になった今でも、私はコーヒーを好きになれないでいる。
駅前の商店街を抜けて、交差点を右に曲がると、美奈の住むマンションが見えてきた。交差点を曲がったらすぐわかる、と言っていた通り、薄青の色の壁は、そばに立つ何棟かのマンションのなかで一番存在感がある。
赤と茶でできたレンガの道を歩いていると、お土産に買ったシュークリームの袋がガサガサ鳴る。エコバックは持ってきていたけど、なんとなく貰った袋。3円損した気持ちになるのは私がケチだからなのかな。
白いエレベーターに乗り8階の一番角の部屋。廊下を歩いていると、ドアの前に着く前に、美奈がドアを開けて中に入れてくれた。
「久しぶりだね~座って座って」
「ありがと」
シュークリームを渡すと、気なんか使わなくて良いのに、と美奈が笑ってキッチンの奥へ消える。
きれいに掃除されたリビングには、2年前の結婚式の写真が飾ってある。私も呼ばれたなあ。
中学の友達で呼ばれたのは私だけで、テーブルは会ったこともない美奈の高校の友達がほとんどだったから、話しかけられてもずっと愛想笑いしてたっけ。あんまり思い出したくない思い出。
「瀬尾ちゃん、コーヒーで良いよね?」
美奈が持つて来た花柄のお盆には、コーヒーカップと、私が持ってきたシュークリーム。良いも何も、もうコーヒー入れてんじゃんとは言えなかった。ありがと、大丈夫、と答える。
「結婚生活どう?」
美奈が座ったところで話を振る。
正直、この話題にそんなに興味はない。だって、中学の時の友達とはいえ、1年に一度、明けましておめでとうのメッセージを送るくらいの仲だ。旦那の顔も結婚式で一度見ただけ。さっきみた結婚式の写真で思い出したくらいなのだ。
「うーん、そんなにいいものでもないよ。毎日早起きして家事してさ~靴下とか、何度言っても裏返しのまま洗濯出すし」
そっか、と返すと、
「お皿もね、食べた後流しに持ってこないの!自分で洗わないのに」
うんうん、とうなずく。
「この前一緒に買い物行ったときなんかさ、何も言わないでどっか行くし」
私にその感覚はわからないけど、あ~と同調のような相槌入れておこう。
「結婚早まったかな」
美奈がこちらを見る。言ってほしいんだよね、わかってるよ。
「でも、楽しそうじゃん」
ああ、言いたくなかったなあんまり。そうかな、なんて、私のこの言葉を待ってたくせに、恥ずかしそうに笑うのやめてよ。
「瀬尾ちゃんも、結婚は慎重にしたほうが良いよ」
そうだね、とか、ありがとう、とかは言いたくなかったので、うん、とだけ答えて、飲めないコーヒーを一口すすった。
結局、昨日は美奈の愚痴という名目ののろけをうんうん頷いて聞くだけの訪問になってしまった。
行く前からわかってたけど、断る理由もないからしょうがない。しょうがないけど、次の日も引きずるなら、なにか理由をつけて断ってしまえば良かった。
頻繁に会う訳でもない友達を家に呼ぶくらいだ。本当に仲の良い友達には自慢しつくしたんだろう。私なら、いいな、とか言ってくれそうと思ったのかな。美奈の中での私って、マウントとりやすい自分より不幸な友達、という位置なのだろうか。なんて、考えてしまう自分が嫌だ。
「瀬尾、この書類、お願いできるかな」
後ろから聞こえたリーダーの声で我に返る。そうだ、今は仕事中。
書類を受け取ると、先日納期を間違えてちょっともめた取引先へ送る、新しいプランの提案。まあまあ時間がかかりそうな内容だ。まあ、リーダーがお願いできるかな、と言ってくる時は大抵面倒な仕事のときだしな。
「瀬尾にしかお願いできないんだよ、申し訳ないんだけど」
今受けてしまえば、確実に定時には帰れない。周りをちら、と見ると、誰とも目が合わない。こういうときばかり、みんな顔伏せるよね。わかるけど。
「はい。今日中で良いですか?」
ああ、今日見たいテレビあったのにな。でも断る理由にならないのだからしょうがない。
助かるよ!とリーダーに肩を叩かれる。リーダーのことは嫌いではないが、微妙に多いボディタッチはちょっと嫌だ。一瞬嫌な顔をしそうになったけど、なんとか笑顔を作った。
たぶん、会社内での私の立ち位置は、面倒な仕事を頼みやすい、おとなしい社員。それは先輩や上司に限らず、後輩もそう思っているだろう。後輩から、手に余る仕事を回されることもよくあるからだ。
しょうがない、まだ終わってない自分の仕事もあるし、終わりそうなやつから先に片づけて、とデスクに目を落としたとき、前からいきなり手が伸びてきた。
「瀬尾さん、この案件、連絡済みですか?」
目線を上にあげると、対面のデスクに座る緑のパーカーが視界に入る。おお、すごい緑。うちの会社は私服OKとはいえ、目立つ色だな、なんて、一瞬言葉に詰まる。後でやろうとデスクに置いていた書類がひらひらと目の前で踊っていた。
「まだ、です」
「俺やって良いですか?」
「ごめんなさい。手、空いてればお願いしたいです」
了解でーす、と緑のパーカー、もとい広田君が書類を持ってイスに座りなおす。自分の仕事が終わって暇になったのだろうか。後輩に自分の仕事を手伝ってもらうのはなんだか申し訳ないけど、今この状況の私にとってはかなりありがたい。
「広田、瀬尾は先輩なんだから、了解でーす、じゃないだろ」
広田君の隣の席に座るリーダーが笑いながら言う。
「瀬尾さんって、なんか許してくれそうだから」
だからってお前なあ、と苦笑いするリーダーに、いいですよ、気にしないです。と笑って返す。広田君はもうさっきの案件に取り掛かっていた。
許してくれそう、か、確かになんでもへらへら笑って流す癖あるかも、私。やっぱり後輩の広田君から見ても、なんでも許してくれそうなちょろい先輩なんだろうな。
うちの会社の良いところは、休憩室にちょっと良い自動販売機があるところだ。コーヒーが苦手な私でも、美味しいカフェラテが飲める。
夕方、仕事が煮詰まると休憩室に来て窓から街を見下ろす。今はちょうど5時過ぎくらいなので、早めに仕事を終えた人や、外回りを終えたうちの会社の営業さんがビルに入ってくるのが見える。
さっきの追加案件のせいで、私の仕事はまだまだかかりそうだよ、と、なんとなくたそがれていると、後ろで、ガガッ、ガーという豆を挽く音が聞こえる。さっき使った自動販売機の音だ。ボタンを押すと、その場で豆を挽いてくれる。ちょっと高いけど、美味しいコーヒーが飲めるから、と社長が導入したらしい。
「カフェラテは飲めるんですね」
私が立っている窓近くのテーブルに、コーヒーが置かれる。紙コップが私と同じデザインのものだから、さっきあの自動販売機を使ったのだろう。熱そうな湯気がでている。
「コーヒー飲めないですよね?瀬尾さんって」
緑のパーカーの広田君が、さっきのコーヒーを持って私の正面に立っていた。背が高いせいか、私と目線を合わせる為に、ちょっとかがんでいる。
「よく知ってますね。私がコーヒー飲めないの」
コーヒー苦手なので、なんて、会社で言ったことはないはずだ。会議で出てきても、言い出せずになんとか一口二口は飲んでいた。
「俺、新入社員のときコーヒー係だったんで、会議終わったあとマグカップ下げるとき、瀬尾さん毎回残してるなって思ってて」
新入社員がお茶を入れたりカップを洗ったりするのを、社内でコーヒー係と呼んでいるのだが、そんなところまで見られていたとは。ちょっと恥ずかしい。
「でも、瀬尾さんコーヒー嫌いです!って俺が言うのも変だから黙ってたんですけど、瀬尾さん自分で言わないから」
そのまま俺、コーヒー係終わっちゃいました、と広田君が笑う。彼は2年目の社員なので、コーヒー係を卒業したのだろう。今は5月だから、卒業したのは結構最近ということになる。
「気を使わせてごめんなさい」
「いや、それなんですよ」
謝ったら、それなんですよ、と言われた。どれなんだろう。
「瀬尾さん、優しいから、すぐ謝ってくれちゃうし、3年も後輩の俺にも敬語だし、さっきも謝ってたでしょ」
さっき、とは、広田君が私の仕事を手伝ってくれたときだろうか。確かに、申し訳ないなと思って謝った気がする。
「許してくれそうなんて言って、すみません」
「そんな、だってもともと私の仕事だし」
申し訳ないから、と言えば、広田君が不服そうな顔をする。前から思っていたけど、すごく顔にでるんだよなこの人。もしかして、さっきの言葉を謝るためにここに来たんだろうか。
「じゃあ、瀬尾さんは、俺の事どう思います?」
あ、好きですか?とかそういうことでなく、と広田君が慌てる。顔の前で両手を思い切り振るから、テーブルに置いてある紙コップが倒れそうで怖い。
「仕事の早い後輩?」
「そう。俺は仕事の早い瀬尾さんの後輩です」
自分で言うんだ、と笑ってしまった。
「でも、瀬尾さん以外のチームの人たちは、俺の事元気で明るい単純バカだと思ってる。俺のカッコがちょっと変だからです」
でしょ、と広田君が私の目を見る。
確かに、緑のパーカーとか、変な柄のTシャツとか、お尻のところに大きいウサギの絵が描いてあるGパンとか、変、というか、会社に着てくる服ではないかな、という服ばかり着ているイメージはある。広田君、と言えば、仕事どうこうというより、服のイメージのほうが強いかもしれない。
「俺、ほんとは読書と料理が好きなインドア系なんです。でも、会社では明るいやつやってたほうが楽だし、ほんとの自分なんて、誰にもわからないじゃないですか。あ、服は好きなんですこういう派手なの」
意外だった。仕事が早いとは思っていたけど、それ以外は、服と同じく、中身も派手なのかと思っていた。社内の広田君の立ち位置は、明るく憎めないかわいい後輩、だろう。そういう風にみんなも接していたし。
「俺のことちゃんと仕事で評価してくれる人なんて、瀬尾さんくらいです」
リーダーはちょっと考えてることわかんないときあるしなー、と、窓のほうを向きながら、まだ熱いコーヒーを、両手で持ちすする。
「いつも、みんなが嫌がる仕事やってくれてるのも知ってます。だから、今日は力になりたいって思っちゃった」
急にすいません、と広田君が笑う。
私なんて、広田君からみたら自分の意見も言えないちょろい先輩だろうと思っていたけど、そうでもないのかもしれない。なんて、思ってしまった。でもそれ以上に、広田君って思った以上に自分がどう見られてるとか分析してるんだな、と感心する。
「ありがとう」
「それ!そのほうが嬉しいです」
これだったのか。なんだかおかしくてお互いに笑ってしまう。ひとしきり笑うと、広田君が私を指さす。
「瀬尾さん、嫌なこと断れないタイプでしょ」
「まあ、そうですね」
だから仕事も押し付けられるし、友達の結婚マウント対象になるんだよね、わかってますよ。
だからって、すぐには変えられないの。たぶん、広田君から見えてる私は、他の人とちょっと違う。それは素直に嬉しい。でも、それも本当の私じゃない。会社用の私。
本当の私は、卑屈で、根暗で、友達の結婚も素直に喜べないような嫌な奴。そんな自分、会社で出すわけにはいかない。みんなそうでしょ?みんな、会社用の自分でなんとか生きてる。
「とにかく、ありがとうございます。手伝ってくれて」
カフェオレを飲み切り、紙コップをゴミ箱に捨てる。
「今、図星だからイラついたと思いました?」
振り向いて、テーブルに頬杖をついている広田君のほうを向く。彼は否定も肯定もせず、私の目をじっと見ている。後ろの窓の外はもうすぐ暗くなる。歩いている人がぼんやりとしか見えなくなっていた。
「広田君は、私のことどう思いますか?」
頬杖を付いていた手を頭に持っていき、うーんとうなった後、すっかり冷めたコーヒーを飲み干してこちらを向いた。
「コーヒーが嫌いな、仕事の早い先輩」
「それ、です」
「それでしたか」
「私は私の事、頼まれたことは断れない、ちょろい社員だと思ってました」
会社用の私を全部変えることはできない。でも、会社用の私ってなんだろう。本当の私って?そんなのわからないし、私以外の人にわかるわけない。立ち位置なんて、自分が決めるものでもないし、他人が決めるものでもない。広田君と話していて、ちょっとそう思った。
断らないから、というのも理由としては確実にあるだろう。でも、仕事を頼まれるのは、みんなよりちょっと仕事が早いから。それも事実。じゃあ、こんなに窮屈に生きなくても良いのではないだろうか。
「お、二人とも休憩中か、コーヒー飲んだ?おごろうか?」
疲れた顔のリーダーが、休憩室に入るなりあの自動販売機に小銭を入れながら言う。
「コーヒー好きじゃないので、抹茶ラテでお願いします」
好きなものを飲んだって、2杯目に違うものを飲んだって良い。私にもそのくらいの自己主張は許されるのだ。
サポートなんてしてくださった日には嬉しくってもう小踊りです。夕飯のおかず増えちゃうなこりゃ