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アトツギ社長が考える「良い事業承継」とは何か?

「良い事業承継とは何か?」そんなことを自分のアトツギとしての経験からまとめてみたいと思います。
こんにちは、袋屋のシコー株式会社で社長をしている白石です。家業を3代目として継いで1年半が経過しました。株式の承継にもメドがたち、名実ともに事業承継を終えたといえる状況になりました。丁度、このタイミングで周囲のアトツギさんからご質問を頂くことが複数重なったので、改めて「事業承継」について考えてみました。
ちなみに、この記事における事業承継とは「家業におけるアトツギが社長に就任すること」を指しています。

※TOPのイラストは弊社ゆるキャラのシコラです。noteの記事に掲載するのが慣例となっております。

事業承継してからの状況

2021年6月に社長に就任して現在に至ります。父は現在は相談役という役職です。その肩書通りで社長の私が週に1~2回ほど経営の相談をしています。ただ、そのときに「あーしなさい。こーしなさい」ということは一切ありません。また、役員会はもちろん、その他の会議には一切顔を出さなくなりました。本人曰く「二頭政治にしたらあかんやろ」とのことですが、今まで40年間代表取締役を務めていたとは思えないくらい、あっさりと一線をひきました。
ただ、父の時代の役員はほぼそのまま残ってくれているので、社内外から見た時の安定感はあると思っています。自分が珍妙な経営判断をしたときに苦言を呈してくれる番頭さんがいることはありがたい限りです。
社長就任時はコロナにより今より移動などに制限があったので、父と関係先へあいさつ回りをきちんとやりきれなかったことが私の心残りです。

事業承継時を迎えるにあたっての課題

どこの企業でもいえることですが、株式を社長になる私に過半数集めることが課題でした。ここに関して詳細は割愛しますが、父が社外の信頼のおけるパートナーと約5年ほどかけて準備してくれました。この打ち合わせに後半は私も参加するようになりましたが、はっきりいって内容は難しすぎて半分程度しか理解できませんでした。でも、この期間が「社長になる」という意識を醸造する準備期間として大いに価値がありました。もともと社内規定にある年齢で事業承継をしたいという父の希望は息子の自分が当事者意識をもった状態で迎える運びとなりました。

ふりかえって感じる「良い事業承継」とは?

そのように事業承継を迎えて、1年半が経過し、周りのアトツギさんから「スムーズな事業承継でいいですね」と言われることに鼻の穴を膨らまして照れたり、恐縮したりしながら、何となく小さな違和感を覚えるようになりました。「そもそも、良い事業承継って何なんや?弊社よりも良い事例もあるはずだよな。。。」と。
こういうものは自分で考えてもわからないので、面識のある銀行の支店長さんや税理士さんなど3名に聞いてみました。質問内容は事前に決めたシンプルなものです。

  1. 事業承継がうまくいく確率はどれくらいだと感じていますか?

  2. 事業承継がうまくいく一番の秘訣は何だとお考えですか?

3名の答えはほぼ同じでした。最初の質問に対しては「およそ20%」、2つ目の質問の答えは「先代が新社長に任せているかどうか」というのがおおよその内容でした。これは弊社を喜ばすための答えという可能性も考えられますし、n数も3と少なすぎるので絶対的な答えだというつもりもありません。
ただ、自分にとって衝撃だったことは「外部から見た時の成功ポイントは自分ではなくてオヤジやなぁ。。。」と気づいたことです。
Twitterでバズってメディアに出たり、デジタル社内報をはじめたり、新卒採用のやりかたを刷新したりと、自分なりに頑張っている自負はありましたが、それは「外部から見た良い事業承継の本質」ではないのだと解釈しました。今自分がやっている取り組みを評価するには長い時間が必要なのでしょう。振り返ったときに歴史が証明するみたいなことなのですね、きっと。

気付いて感じた次の課題

事業承継のお膳立てはしっかりしてもらったし、脇を固める役員体制も盤石。。。となると自分自身に与えられた課題は「次の役員体制をどのようにつくるか?」だと考えるようになりました。
蝉が羽化して成虫になる大きな変化を蝉変(ぜいへん)というそうです。自分が社長になるときこそが会社にとっての蝉変に該当すると思っていたら、違いました。今まで守られていたステージから自分の力で新しい役員体制を敷く数年後のステージも蝉変にあたるのです。そして、その蝉変をずっと繰り返すことが企業の継続にとって必須なようです。
事業承継って社長を継いだら終わりではないし、「オヤジと息子の問題」でもはなく、「会社みんなの問題」に拡大解釈することが大切なのではないかと意識が変わりました。

最後に

祖父の急逝により父は「お悔やみ申し上げます」という言葉とともに経営者人生をはじめたからこそ、弊社はこのような事業承継となりました。個々の企業の事情は異なるので事業承継の在り方を十把一絡げで語るつもりはありません。(気分を害した方もいらっしゃるでしょう、ごめんなさい)

自分がやっていることを評価するには自分が思っていたよりもずっと長い時間がかかるようです。そう考えると、この1年半ほどは「すぐに成果をださねばならない」という気持ちが強すぎたようです。
やる気に満ちた熱い炎を滾らせるのは大いに結構ですが、自分の在りたい姿のイメージは少し変わりました。
情熱的な赤い炎は酸素が足りないそうです。それよりも、酸素を十二分に含んだ青い炎を長く燃やして何度も蝉変を意図的に、迎え続けたいものです。

ここから先、きっと経営で地獄をみることもあるんだろうなぁと思いつつ、足下の蝉変の時期をきっちり乗り越えて、自分も、いつか誰かに「良い事業承継」でバトンを託す。。。そんな明るい未来を妄想しながら締めさせて頂きます。

おあとがよろしいようで。



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