甘露寺ちゃん問題を考える〜愛とフェミニズムと俺の嫁〜
おはこんばんにちは。ぴぴこです。
まさか自分がnoteを使う日が来るとは。
さて、現在問題になっている甘露寺ちゃんは女性への冒涜か?問題についてです。このエントリーは、自分なりの見解を元に書いたものになります。個人に対する批判というよりも、ざっくり「甘露寺ちゃんはどういう風に解釈できるのか自分なりに考えた」というものです
なおこの記事は
・ジェンダーに関しては軽く齧った程度の知識
・甘露寺ちゃんを死ぬほど推している
・そもそも鬼滅の刃が好き
という3つが揃った狂った女が書いたものですので、偏っていることはご了承ください。
この先はネタバレ(単行本18巻まで)と出展の定かでは無い主張(レジュメを引っ張り出す前に勢いで書いています)が多分に含まれますので、「学術的な議論を!」「本誌でほにゃらら!」という方には向かない内容です。ご容赦ください。
結論から先に言いますと、甘露寺ちゃんは「伝統的な少年漫画的女性の性的消費と現代台頭してきたジェンダーイコーリティ、双方の妥協点」ではないかと考えています。
①前提その1:アニメ版/初出時の甘露寺ちゃん
甘露寺ちゃんは確かに豊満な体とそれを惜しげもなく晒すエロティックな隊服、可愛らしい顔、そして恋に夢見る乙女という「女性的アイコン」というキャラクタリスティックを持っています。
隊服は前田の趣味とは言われていて、それを優しい甘露寺ちゃんは拒否できずに着ている、とは言いますが、甘露寺ちゃんの優しさを表すためだとしてもこれは不必要です。そもそも前田の趣味は作品の本筋とあまり関係がありません。
彼女が豊満な肉体を持っていることも、個性といわれればそれまでです。(もしかしたら少女漫画誌なら問題にならなかったかも)しかし、
・少年漫画誌において登場する相対的に数の少ない女性の中で、抜群のプロポーションを持っていること
・他の女性キャラクターたちも皆それぞれ性的な魅力を持っていると言えること(これをいうとまたセクハラっぽいですが、しのぶさんはお尻、ねずこちゃんは足に力の入った描写が多いように感じます)
この2つのことから、「ヘテロ男性」が情欲を向けるものであると社会的に定義される女性として描かれていることもまた、否定できません。
また、多少変わった感性を持っているとはいえ、
・自分より強い人のお嫁さんになりたい、というのが入隊理由の一つ(=人生の主軸の一つに守られることがある、女は守られるものという男尊女卑的な価値観を無意識に発信している可能性)
もあります。つまり何が言いたいかというと、外見だけで見れば甘露寺ちゃんはフェミニズム的にはあまり好ましく無いキャラクターであるということです。特に、初登場時の甘露寺ちゃんを見ると、彼女はステレオタイプな「か弱く、守られるべき女性」なのかな、という感じを受けます。
②前提その2:甘露寺ちゃんの過去/本質
彼女の内面について理解するには、物語をTVアニメの後まで読み進める必要があります。
Twitterなどで散々言われてきたことですが、甘露寺ちゃんは実は、人に流されて自分の意見を持たない女性ではありません。むしろ逆です。
・お見合い相手に特異体質や外見を罵られ、一度は「みんなの基準に合わせよう」と思うも、それは違うと思い直し、自分のままで愛してもらえる、人の役に立てる場所として鬼殺隊を選んだ
・怪物と恐れられるのが怖くて力を抑えていたが、戦いの中でありのままの自分が求められている事を知り、「女の子らしさ」から改めて脱却する
この2点から、「ジェンダーロールに対するアンチテーゼ」的なキャラクターであると言えるでしょう。
③なぜねじれが起きるのか
このように甘露寺ちゃんには外見が表出するものと内面が伝えるメッセージの間ギャップがあります。なぜこのようなギャップ、あるいはねじれが生まれるのかについて自分なりに考えました。
ⅰ 萌え
言わずもがな。おとなしいと思っていた子が自分の意見を声高に叫ぶ・明るいキャラに悲しい過去がある・可愛い女の子が実は強い。これらは物語を面白くするエッセンスとして有用です。
ⅱ あえてねじれを残した
内面が打ち出すメッセージを中性的・男性的な外見の女性キャラクターが持っていても、「君は女じゃ無いからね」と名誉男性的扱いを受けてしまいイマイチ響かないから。
ⅲ.現代社会の風潮と伝統的少年漫画に求められるものにギャップがあるから
これは悲しい事なのですが、やはり少年漫画にはどうしても「女性は景品・観賞用で意見を持たなくても良い・性的搾取に寛大であるべき」といった考えが、「少年のための物語」という大義名分の下に残っています。(私はこれを悪い事であるとは必ずしも思っていないのですが、「事実として女性のモノ化は少年漫画に見られがちである」という概念自体には自覚的であってほしいし、あるべきではないかな、と思っています。今回はフェミニズムに関する話なので少女漫画の男性の性的搾取については割愛します。問題でないとは思っていませんよ!)
ただし、作者さま(あるいは編集者さま)はそこに疑問を持つまではいかずとも、「キャラクターをモノ化する」ということをしない方なのかな、と思っています(インタビュー参照)
キャラクターをアイコンではなく、1人の人間と考えるからこそ、ステレオタイプに沿った女性ではなく「自分で考え行動する」女性を描いているのです(これは甘露寺ちゃんだけではなく、他のどの鬼滅の女性キャラクターにも言えると思います)。
外見は前者の少年漫画的伝統に合わせるけど、内面は現代に近づいた「1人の人間として」書かせてもらうよ…という、双方の妥協点を見つけようとしたことが甘露寺ちゃんを生み出した、ということですね。
④結局結論はどれやねん!
手短にいうと、ⅰ、ⅱ、ⅲのすべての要素じゃないかな、と思っています。しかもこれって互いに打ち消し合わないんですよ。ⅲが偶発的におこった事態でもでも結果的にⅱの結果が出てⅰとして感情レベルで消化される、みたいな。まあ実際は作者さまはじめ鬼滅の刃を作り上げた人々にしかわからない話なんですが…
ただ、受容する側の問題もあると思います。我々は甘露寺ちゃんを完全なる性的アイコンとして見ることも、女性の解放者と位置付けることもできないしすべきではないと思います…どっちのアスペクトも持っているキャラなので。そのなかで「何を甘露寺ちゃんの本質と見るか?」が、少なくとも我々読者にとっては大事になってくるのではないでしょうか。
⑤終わりに
結局何も言ってないエントリーですね!!!
すごく思うのが、自分は「ジェンダーの転換期にいるな」という事です。古くからあった括りやステレオタイプが根強く残存する世の中で、それでも新しい価値観、より平等な価値観に向かって模索する時代にいるのです。私もジェンダーに対して結構うるさいので親兄弟からは煙たがられたりもするのですが、それでも少しずつ、確実に世の中は良い方向に向かっていると思います。
ただし、転換期というのは意見のぶつかり合いが起こるときで、変化があり、なんとか異なる意見の間でバランスを取ろうとする試みがあり、ゆりもどしがあり、炎上があり…と難しい時代です。物事の片方や一例だけを見て「搾取!」「フェミニストは理論破綻した狂ったやつ!」といがみ合うのではなく、「こう思うけど、どうだろうか」「そういう考えもあるかも、でもこう考えることもできない?」と自分の考えを伝えていく試み、議論を通して相手を知ろうとする試みを、みんなで行いながら生きていけるといいよな…と思います。
(なんだこの道徳の教科書みたいなあんま締まってない締めは…もっとラップバトル的なエントリーになるかもと思ってたのに…)
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