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私のこと

嫗です。媼でもいいです。
訓読みで、おうな・おみな、年を取った女性のことです。
それが私、オミナです。

年を取った男性の「翁(オキナ)」はよく知られているけど、
なぜに年取った女性は「おばあさん」しかないのかしら。
漢和辞典で調べました。

そんなくだらないこと、どうでもいいことにいちいち引っかかる、
厄介な性格なんです。
幼年期や思春期にはこの性格のために、
周りの大人から「変な子」扱いされるし、
仕事をするようになってからも、
同僚からは黙殺され、上司からは疎まれる日々。
仕事にも支障をきたし、悩んだことが多々ありました。

とにかく大人しく、目立たないように努めていると、
その限界が来る時があります。
ついたあだ名が「普賢岳」。
1991年6月、198年ぶりに突然の大噴火で、
人的にも経済的にも大きな損失を招いた活火山です。

でも、それで仕事をやめることは絶対にしません。
だって、いじわるする人たちに対する一番の嫌がらせは、
私が居続けることだから。
そう、私は意地悪ばあさんです。

それでも、話し方や声色が優しく感じられるらしく、
年を取って皆様の誤解(?)を利用するのも
上手になりました^^;

仕事は5年ルールを自分に課していましたから、
5年でその職場になくてはならない人になっていても、
どんなに請われても、丸5年で退職しました。

これが壊れたのが、中年期に襲った両親の病気。
あまり仲良くは見えなかった両親ですが、
母のアルツハイマー型認知症が発見されたのと、
父に末期癌が見つかったのは、たった1週間違い。

一人で両親を看るには仕事を続けられず、
それから約10年間の自宅介護の生活は、
今も思い出せないほど必死でした。

子育てと違って、その大変な毎日から解放される日は、
その人たちとの永遠の別れになります。
いつまで続くんだ、早く終わって! と思う気持ちと、
でも、終わってほしくないという心の葛藤が、
一番つらかったかもしれません。

両親を看取ったとき考えました。
100歳まで生きると誰もが確信し、
健康診断でも毎年、健康優良で何も異状なしの両親が、
あっけなく、兄弟姉妹の序列を崩して、
一番に亡くなってしまった。
早く田舎へ行こう、行かなくては!

気がつけば東京を始め、
首都圏での生活が40年以上になっていました。
それでもいつも感じる違和感。
「私がいる場所は、ここ、じゃない・・・」
その感覚がなんなのか、じっと見つめて4年。

ひょんなことから現在の田舎に移住できました。
仕事のルールも復活。
5年間働いて、更新の要請を丁重にお断りして、
今は自宅がある街中と、田畑がある田舎を、
クロスバイクで行ったり来たり。

赤いヘルメットをかぶり、自転車で疾走する嫗がいたら、
それが私です。

こちらに来てからがまたいろいろ大変でしたが、
そんなこともいずれどこかで書くかもと思っています。
noteは私の雑記帳。
大したことも書きませんし、的外れな持論を展開するかも。
だから、お忙しい方のお目に触れないように気をつけます。

今が一番幸せ。
そう感謝して心穏やかに一日を終えられる
そんな毎日を続けて、両親ができなかった80歳代を目指します。









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