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放課後ギターを弾いてた小学校の先生

最近、ギターに触れて思い出した思い出があったので記録として書こうと思った。

内容はタイトルの通りの不思議な先生のお話。
僕の通っていた小学校は少し田舎で人数も少なく、1学年に1クラスしかなかった。グラウンドの裏がすぐ山になっていて、偶に放課後は家に帰らず、友達と裏山を探検していたりしていた。
そんな田舎の小学校に勤めた男の先生。年は若い。たぶん20台後半か前半ギリギリだったかもしれない。
爽やかな笑顔と楽しそうに語る授業は僕は大好きだった。その先生は独自の魅力があった。特に記憶が残っているのは小学校の生徒全員に対して「さん」付けで呼んでいた事。大抵の先生は「~君。~ちゃん。」。当たり前だが、子供時代の僕にとっては凄く嬉しかった。「さん」付けはまるで対等な人と接する際に使われる言葉と認識していたから。先生がそう呼ぶ意図は分からないが、とても素晴らしい価値観だと思う。

「~さん」と呼ばれる度にまるで僕は「子供ではなく一人の人間として見てくれているんだ。」大人と同じ対等な存在なんだと思っていた。今では当たり前のように「さん」付けで呼ばれ、逆に「~ちゃん」とか砕けた呼ばれ方すると「この人と親しみが感じられた」と思うようになっている。
何だかこの感じはポケモンの「ポケットのファンタジー」の歌詞みたいだ。
子供は大人になりたくて、大人は子供の様になりたい。
(この↑の文字を打ってる最中に改めて聴き直してるけど、子供の歌声からの小林幸子さんの歌唱力に凄さを感じる。優しい歌声がしみるでぇ…)

ちょっと脱線事故起きてますね。
そんな独特な雰囲気を持っている先生は僕が小学6年生の時の担任だった。6年生のクラスは学校の1階にあり、廊下とは逆の扉を開くと直接グラウンドに繋がっている。
放課後になると元気いっぱいの生徒で騒がしかった教室が一気に静まり返る。まるで音楽が鳴っているヘッドホンを取り外したような静けさ。さっきまで掃除当番が遊んでた声も残響として思い返すような静寂な教室。そこでグラウンドに繋がる扉をあけながら先生は扉近くの椅子に座りギターを鳴らしていた。しっとりとした旋律だったのを覚えている。たぶんアコースティックギター。
まるでその時間、その空間に合わせる様な音。最初からあったかのような馴染んでいた音。外はオレンジと赤のグラデーションで包まれた夕暮れのグラウンド。体力が有り余っている僕と友達はそのグラウンドで「ボールを如何に高く飛ばして頭で受け止める」という謎の遊びを笑いながら無邪気に遊びまわっていた。そんな馬鹿な子供を眺めながらギターを弾いていて何かの曲を歌っていた。世界に溶け込むように。

先生は凄く素敵だと子供ながら思った。何か分からないが「こうなりたい」という漠然な思考。その感性は今思い返しても変わらない。
今、自分は28歳。たぶんその時の先生とは同い年か少し上かもしれない。比べてどうこうって訳じゃないがそんな同い年でも素敵な価値観を体現していた先生を思い出し、更に憧れている自分がいた。
その先生との思い出は凄く少なく、正直それくらいしか出てこないが、十数年経った今でもあの景色は忘れてない。先生がとても穏やかに優しい視線で遊んでいる僕たちを眺めながらギターを鳴らし歌っていたあの光景。
もしかすると自分がノスタルジックを感じる夕焼け空が好きになったのはその景色なのかもしれない。

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