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私の常識がひっくり返ったはなし(023/100)

「しゃっくりってそんなに皆出ないの?」

しゃっくりは横隔膜の痙攣のこと。医学的には「吃逆(きつぎゃく)」というらしい。

その吃逆がどうやら人よりも多いと気付いたのははたちを過ぎて、社会人になってからだった。ほぼ毎週のように「ヒック……、ヒック……」と苦しんだり、1日に複数回「ヒック……、ヒック………………、ヒック……」となかなか止まらず少しだけストレスを感じたりしていた。だが、それはどうやら自分だけらしい、と。

「連日出たりすることって皆ないの…?」

「しゃっくりなんて、最後にいつでたか記憶にないかも」

自分の当たり前がおかしいのかもしれないと気づいてから、色々な人に聞いてみた。その結果、マイノリティは自分の方だったのだ。私としてはびっくりして、笑った。

親にも一度も言われたことがなかった。娘の日常にしゃっくりはお友達だったし、比較対象もいなかったから気づかなかったのだろう。それとも単におおらかだったのかもしれない。まあ、それは今更どちらだって良い。

自分では日常の風景の一つくらいにしか思っていなかった。だから、ここでも気づくチャンスはなかった。しゃっくりが連日出たとしても、当たり前。皆も私と同じくらいしゃっくりしている人生だと、本気で思っていたのだ。

たくさんの色眼鏡を通して世界をみているというけど、気づいた時にはまさに自分中心の世界でものごとを見ていたと感じた。本当に小さいことだけど。

自分が異常値だと気づくと、人間って不思議なもので途端に不安になる。しゃっくりにまつわる病気をネットで調べたが、おそらく私の場合は単純に頻度が人より多いだけ、ということのようなので気にしないことにして早10年ほどが経つ。

自分の見ている世界を常識だと思ってしまうけれども、そうでもないことはきっと多いのだと思う。最近は新しいことにたくさん触れていて、どんどん世界が広がっている感じがしている。楽しい反面、時折不安も感じる。なんだか、足元が揺らぐ感じがするのだ。

ただ、知らないことの方が本当は怖いのだとも思う。自分の勝手な当たり前という思い込みが、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

私の当たり前は、誰かの当たり前ではないかもしれない、ということ。自分の見ている世界には色々なフィルターがかかっている、ということ。これを意識しておきたいと思う。普段は毎日に必死で忘れてしまうからこそ、心に留めておきたい。

ちなみに、しゃっくりのプロとして生きている気持ちでいるのだが、いまだにうまく止められるスキルは得られていない。良い止め方があったら教えてくれると、泣いて喜びます。あと、しゃっくりしている瞬間に出会った時は、温かく見守ってください。お願いします。

100日チャレンジ 023/100
ひとこと:自分で締め切りを作らないと書けない!締め切りだいじ。

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