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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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#場づくり

「書く」に導かれた「場をつくる」

ちょっと一本だけふり返らせてぇ、ください。 20代中盤、フリーランスとしては、webライターとして自分の仕事づくりをはじめることになった。最初はがっつり「SNSマーケティング」を軸にリサーチし書いてものが、いつしか扱うテーマが「まちづくり」「移住」「小商い」へと変わっていき、全国各地を周らせてもらうようになった。 同時に、観察者として側から眺めているだけじゃ意味ないと感じ、実践者として関われないかと「場づくり」に加わるようになった。いわゆる地域で開いた場(拠点)をどのよう

若者がいない町から消滅してくんじゃなくて、話し合いができない町から消滅してく。

「手を抜いて関わろうかな」 そんな地域ごとが増えるは、「まあ本気を出すだけの見返り、あるいはそもそもそのエネルギーを受け取ってくれる器が整ってないよな(やればやるほど損かもな〜)」と思わせちゃうからで、組織や委員会で立場が“上の人”ほどそういう意識がないと正直しんどい。 そして、企画を考え揉んでいく“会議をどうつくるか"に対しての疎さは、地域の次世代の活動を奪うことにもつながりやすい(その場の“ファシリテーション的なもの”の重要性はここで高まる)。「意見しても理解しようと

立ち寄れるローカルメディア「shiBano」 #IDŌ

移動を試行し、試行する定期プロジェクト「IDŌ」。移動先で見聞したものにはもちろん意味あるが、それ以上にじつは”移動そのもの(過程)”が尊いんじゃないかと疑い続けている。 ”移動そのもの”が尊い、とか言いつつも、行ってきたとこの記録を優先してしておく。一昨日、名和〜米子〜広島と移動して、昨日は広島〜新山口〜美祢〜阿武町〜萩と移動した。会いたい人にひさびさに会いに行くってのと、イベント向けての視察をかねて。 ということで、山口阿武町にある暮らし支援センター「shiBano」

ヤリっぱなしになる怖さ

 さっき会議のような座談会があって、ふとそういう話になったから、あらためて思ったけど、テレビ番組に限らず、ファミリーヒストリーってのはおもしろい。  その流れで、なんとなくツイートしたので、その話を日記にダーッと書いていこうかと思ったけど、書き始めてみると不思議なもんで、あまり気が乗らないことに気づいちゃったので、他の話を(気分次第で、通り過ぎる道を変えられるのが日記のよいところ)。  今朝、自分が運営に関わってる場でちょろっと視察を受け入れた。スライドをつくって、一通り

心構えと納得感はどう生まれるのか

 じつは中身なんてのはどうでもよくて、「心構え」と「納得感」の問題でしかないのかもなー。  ある地域の代表会議に参加してチラリと思ったこと。1時間半くらいの会議で新出情報はたくさん。しかもその中で、できれば一つの答えを出せたら...という雰囲気があった。が、怒号とまではいかずとも、会議の主催者に対する強い質問攻めで話がまとまる様子はない。  それぞれが各地区の代表として出てきてるのもあり、その場では一個人の意見は言えても、その団体としての回答するのはやはり難しい(のはよく

表情を視るために、立ち止まる5分。

 一息つく間をつくれるかどうか。その一息での脳内シュミレーションが場の質を上げてくれるような。  朝起きてからだらだらっとfacebookを眺めていたら、元ブルゾンちえみwith Bの「with B(ブリリアン)」の片割れ、現コージ・トクダが現役アメフト選手になっていたのを見つけた。  おぉ、そうなのか! とちょっとした驚きがありつつも、今じゃ芸能界を経てのセカンドキャリアの積み方も多様になっているから以前ほどの驚きはない。10年ブランクがあるとはいえ、法政大で4年間プレ

「自分が居心地いい環境をつくりながら過ごしてくださいね」

 ボクが参加して小さく衝撃を受けた場(イベント)の話。進行する人が、会の始まりにそう告げたのが、これ。 「自分が居心地いい環境をつくりながら過ごしてくださいね」  机の上に置かれたあるお菓子は食べたいときに食べてもいいし、トイレに行きたいときは会の途中でも行っていいし、畳の部屋というのもあり話を聞くとき体制というのも足を崩してご自由に、というような塩梅だった。  すごく楽になった。あまりイベントみたいなものに参加し慣れてなかった当時、そういう会ってのは、校長先生みたいな

資本主義のあと、ゆるく柔軟に尻軽に、数字はおいおい。

 数値化できないものの価値をどう扱えるのか、ってのが重要な時代に突入している。  何を始めるときに、それがどういう事業性があるのか(利益は上がるのか)という事細かい精査や的確なビジョンよりも、そこにどれだけの熱量があるか、またそれでどんな関係性が生まれるのか、といった目には見えづらい価値に重きをおいて、とにかくスタートを切って転がし始めちゃったほうがいい。雪だるま方式だ。  そうやって動き出しちゃってるなかで、ああでもないこうでもない、思っていた通りになってることもあるけ

「タナー家の家族会議」とルールケア

 ルールがあるかどうかだけで、やわらぐものがある。  以前綴ったように、引き続き、『フルハウス』を観ている。シーズン2に突入し、ミッシェルが片言でぼちぼち喋れるようになってるくらいの頃。  その第8話「タナー家の家族会議」では、門限を破ったDJとジョーイのやり取りを巡ったトラブルが扱われていた。そこで「家族会議をしよう」と父ダニーが持ち掛け、”父1人娘2人父代行2人”がリビングに集まり、それぞれの意見を言い合う場を設けたのだが、その進行方法にオッとなった。  一番最初に

やわらかい場

 居心地がよくて議論もにぎわう場ってのには、どことなく”やわらかさ”がある。  その場に居合わせる人に緊張してしまったり、気を遣ったりして、思うように言いたいこと言えないそんな会議はポイズンだな、と感じるような瞬間に幾度も遭遇しちゃう。  いわゆる田舎にいるせいか、アイデアもあまり出ず物事が動きにくいときに、「そもそも会議のやり方を見直さなきゃね」と省みる視点すらなく、合意形成のプロセスを雑にすっ飛ばして、たいしたアイデアもないただ偉いだけの人の鶴の一声でもろもろが決まり

会議に"前戯"はあるか

暇が増え スマホ依存に 危機覚え  今日、たまたまできたコロナ川柳である。  人口1200人ほどの地域で、旧保育所を拠点に、人が集まり、事を起こせる場づくりを一昨年くらいから関わっている。コミュニティキッチン/リビングを半年間WS交えながらリノベしたり、食でゆるくつながる会を開いたり、今年度は「つくる人を増やす循環をつくる」ためのメーカースペースづくりを行っている。つくることを学び、つくるを実践し、さらにノウハウを蓄積・共有できるような仕組みづくりを。  さてさて、月一

場の反省文 / アドリブを許せばよかった

 “受け"というか“大喜利“が好きなタイプなんだなぁ、とつくづく感じた。  今日は、境港のある場にお呼ばれして、自分の活動について話をさせてもらった。とりあえず、タイトルとして掲げたのは「あっちとこっちをつなげる、妖怪(境界的)的プロジェクトのつくり方」というやつ。  そのおおもとの発想というか、エッセンスみたいなものは、昨日の日記に書いたことにわりと近しい。  場の振り返ってみてパッと出たのは、1時間という短時間のなかで、一方的な話にならずに、参加者の声を拾いながら、

田舎にある運動きっかけで集まる場のコミュニティマネジメントについて。

最近ふと思ったのが、田舎でやれたらおもしろそうなのは、スポーツクラブ運営じゃないかというもの。 学生のとき、都内でコナミとジェクサー(JR系列)で働いていたことがあったが、人が集まるながれや、スタッフと会員、会員同士のコミュニケーションの雰囲気はわりと好きだったのを覚えている。 当時は、”場づくり”という言葉なんて一つも頭になかったから、どんなサービスがあってどう接客していくのか、またビジネスモデル(お金のながれ)はどんなもんで、どういう人がどういう目的でスポーツクラブを

「コワーキングスペースなのに全くコワークしてない!」という現象について考えてみた。

コワーキングスペースが”コワーク(co-work=一緒に働く)”せずに、電源とWi‐Fiとシャレた空間があるだけのただの箱になっている。ざっくりいえば、そんな光景を幾度となく見たことがある。 ざっくりルー大柴風にいえば、運営者「トゥギャザーしようぜ~」→利用者「お、おう、、」みたいなお寒い状況がそこにあるわけだ。不思議なもんで地方だとその率がちょいと上がる。 つまり、ハードとしては電源もWi-Fiも広く使えるテーブルもあって作業環境は整っているけど、運営者がどこか淡泊であ