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ぶっ倒れるように寝、気がつけば朝だった。 少し仮眠をとって、また夜中に起き上ろうと思っていたけど体が重たかったんだよな。怠け心を加味しても、一昨日の営業の疲れを引きずったまま、朝イチで出かけ、初のポケカ大会に参加し、そのあとリサーチも含めて歩き回ったんだ(データみると15kmくらい歩いてた)。そりゃそうだわ。 納得して、ごろごろしてたら、布団(+寝袋)の上には猫が2匹いる。多少の重たさを感じながらも、どけるほどではない。逆にどけたら、気持ちよく寝ているこいつらが不憫
目が覚めたのは10時半、そこからだらだらスマホで調べてごとをしていたら、お昼過ぎ前になっていた。14時にはお店の開店準備をしに行かなくちゃいけない。それまでに作っておきたいチラシや、販売用の商品の整理もあって「やらなくちゃ」がドスンとやってくて、気が重い寝起きになった。 テントから抜け出し(家内だけどいつもテントで寝ている)、歯を磨き、シャワーを浴びる。ついでにパーカーの染みを抜くために、ウタマロ石鹸となんかよくわからないが効き目が良い海外の洗剤を使って、もみ洗いし、漬
毎日のnote記録は、そのほとんどを23:30以降につけている。迫られないと書かない、そんな性格だから、時間という縛りをつけた(もう一つの縛りは作文用紙1枚の400字以上であること)。 といっても、慣れとは怖いもので、このnoteに手をつけ始めたのは25:50である。残り10分で書けるものといえば、もう今の心境をただ書き殴っていくのみ。 23:30から始めようと思っていたが、膝上に乗ってきたヨネ(猫)をどかすまでに10分かかり、さて作業するかと机に戻ると帰宅したミソ
喉元過ぎれば熱さを忘れる。 猫はうれしかったことしか覚えていない。 じつは、人間も猫も本質は同じなんじゃないかなぁと思う。うむ、あらためて、すさまじい諺とタイトルだなぁ。 今だけ、と腹を括ってしまえば、気持ちは楽になる。ここ数年、春らしさを感じると、年度が切り替わる時期でなぁんか大変だよね、という刷り込みができつつある。けど、ほんとここさえ切り抜けてしまえば、なのだ。実際のところ。 去年も、一昨年も、むちゃくちゃ苦しかった記憶はあるけど、その苦しさの詳細まではいちいち
体がずっとどんより重い。具体的にどの部分ということもなく、ところどころにだるさを抱えながら、こたつに入り、温めてはいるが、居心地の悪いまま、一日を過ごしていた。どう座る、もしくは、横になると安定する姿勢なのかが一つも掴めぬまま、予期せぬ昼寝を挟んだりもした。こたつの熱を一点にあびた足がじんわり熱くなり、目を覚ましては、昼寝のくせに二度寝三度寝をかます始末。ときどき、猫たちがこたつ布団に乗っかってきて、プレスをかけてくる。1匹5kgはあり、2匹以上はさすがに「やめてよー」と彼彼
もしも猫がWi-Fiとつながっていたのならば。 野良猫とけんかしたのか、右後ろ足を引きずりながら、ぴょんぴょんと小さく飛び回りながら移動するタラをみて、ふとそんなことを考えた。 目が合えば、にゃあ、にゃっ、と声をかけてくれる猫たち。とはいえ、言葉が伝わるわけもないので、大雑把には感情を把握でできても、その詳細までにはたどり着けない。それどころか、ぼくは声以外の尻尾や喉の鳴り具合などの記号で読み取れても、ぼくのそれは伝えることができない。 どれだけタラのことを心配したこと
人間という媒介は、時折うまく働くことがある。 東京と鳥取の二拠点生活の発見の一つだ。ぼくが不在のとき、5匹の猫たちは自由気ままに過ごしている。が、毎度戻るたびに、とある1匹の猫が家に寄りつかなくなっている異変に気づいた。半分家、半分外という猫が行き来できる環境にしてるわけだが、その猫は外から帰ってきてもごはんを食べたらまたすぐに出て行ってしまう。家に居づらくなってるようだった。 5匹は兄妹猫ではあるけども、やはり力関係があり、縄張り意識はあるので、その影響なのだろう。家を
「しばらくもういいや」 あえてそう思わせるために、とことんやろうとするのが自分の性のようで、やめたいけどやめられないことに終止符を打つためのライフハックを無意識的にやってのけていた。 先日書いた「猫うれ」の逆じゃないけど、最後はややネガティブな気持ちにしておくと、のちに手を出しにくくなる。 どんなにおいしいものでも腹がはち切れるほどに、部活のように追い込まれながら食べると、つらい記憶がこびりつき、「も、もういいや...」となる。毎度ながら思うが、やはり腹八分がちょうどよ
「猫は、うれしかったことしか覚えていない」 というように、人もそうであればいいのにと思う瞬間はいくつもある。「うれしい」以外の呪いのような感情にとり憑かれ、何もできないよりかはよかったときのイメージをなぞりながら日々をすごせたほうがいい。注意したいのは、べつに「おれ/わたしが若かった頃は・・・」みたいな懐古主義に浸りたいわけでなく、他人にあの頃(の感覚)を押しつけたいわけでもなく、過去に依存でなく現在にコミットし未来の(小さくであっても)前進に意味をおきたい。 たとえ
小さい鳥取には意外にも二つの空港がある。一つは、島根寄りの西にある米子空港、通称「鬼太郎空港」。そして、もう一つは兵庫寄りの東にある鳥取空港、通称「コナン空港」。漫画家の流れを汲みながら、マンガ王国を地味に狙っている鳥取県なのである。 さて、初のコナン空港経由で、1週間ぶりに大山の家に戻ってくると、猫たちが異常に艶かしい声で鳴き、擦り寄ってくる。甘えただなぁ、と感じる以上に、こいつらにも「待つ」という時間の概念が体内にインストールされてるんだなぁ、と胸がキュッと締まった。
ふぅぅ。おそらく今年最後であろうリアルイベントが終えた。しめ縄(正月飾り)をつくる、というだけのものだけど、75歳を超える先生との調整、また半日でつくり上げるための事前の藁準備、他スタッフにどう役割分担するかなど微妙に頭を使うところもあり、終えてみるとへとへとへろへろだった。 こういうのはやればやるほど、反省点が出てくるのだけど、粗は予想通りしていた通りの粗だったし、むしろその粗をあえて許容できた気もするし、「最後まで自分ひとりでやり切らない」プロセスにおいては自分に対する
ズルいなぁ、と思うときの感情は、だいぶ前向きなのだ。 こたつから出て、炊事やら洗濯をしようと動き出そうというタイミングにかぎって、猫たちがすり寄ってくる。座っている膝の上にちょこんと寝そべり、喉をかきならし、丸が間もなく線になりそうな重ったるしい眼でこっちを眺めている。 この瞬間ボクは、ズルいなぁ、と思ってしまう。 動きを邪魔されてるはずなのにわるい気はしないし、どこかかまってあげい気持ちになる。むしろ眠りを妨げちゃいけない...! という気分にいつの間にかなっ
こたつに入ってぬくぬくとやる。冬到来、ここから半径0m圏の滞留時間が異常に増えていく。すると、屋内の温度に敏感な”やつら”も集まってくる。やつらからすれば、家を世界地図でみたとき、この場所が常夏のハワイかのように見えてるんじゃないだろうか。優雅に座り込んで、ゆったりと熱を浴びる。 さっきは、急に、膝上にタラ(♂)が乗っかってきた。前足をフサフサの体毛にしまい込みどっしりと座り込んで、静かに目を瞑る。ちょっとするとウトウトし始め、身体がゆるんでふにゃあっとなる。お餅以上ス
は、早く寝るぞ...! という熱い思いで書き始める日記。 いやぁ寒いっすねぇ。昨日まではTシャツでもヘッチャラだったのに、今日になるとヒンヤリしてる。これだけ冷えてると炬燵の誘惑がすごい。さっきも布団に入りながらパソコンを開き日記を書こうとしていたけど、体勢の問題なのか一向に書く気にならないっつーことで、やや冷える作業机に戻ってカタカタやることにした。これで178字か。とりあえず600字くらい書いたら寝ることにするか。 防寒対策ってことで、①毛布を用意する ②寝袋を