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ケケケの日記

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日記(のようなもの)
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#コンテンツ会議

『メダロット』の男と女は、ティンペットとパーツでどんな拡張可能性があるのか

 男女をわかりやすく二分することとエンタメと。  昨日は、前置きだけで終えてしまったので、続きとしてアニメ『メダロット』を観るなかで、ふと感じたことを書いておく。  『メダロット』は、メダルを装着したロボット同士を戦わせる「ロボトル」を軸に、物語が展開していくゲーム。第一作は1997年にゲームボーイ(任天堂)から発売し、爆発的な人気を誇った(のちに、シリーズとして30作品以上まで続くことに)。  小学生だったぼくも魅了されたうちの一人で、ロボトルを通じて手に入れた新たな

情けなさも、転がしながら、おもしろがる

 自分を信じるとなんなのか。  一口に「自分」といっても、自分の言葉を信じるのか、自分の行動を信じるのか、自分の直感を信じるのか、細かく分ければいろんな方向性がある。  ふとそんなことを考えたのは、アニメ『天元突破グレンラガン』を見返していたせいに違いない。地下で穴ばかり掘っていた、主人公シモンは、とにかく自身がない。いつも弱気で、自己肯定感がめちゃくちゃ低いところから物語が始まる。  そんなシモンに対して、一緒に地上への旅へ繰り出す兄貴分のカミナはいつも彼を励ますよう

怪しいことが起こるところーーー妖怪とかアイドルとか

 妖怪を考えることは、境界を考えること。  唐突な話だけど、そうらしいんすよ。いろいろと妖怪についての本を読んでると、いやでも辿りつくのが「境界」という単語。  ざっくり言えば、「妖怪ってどこに現れるの?」っていう話なんだけど、大きく分けると、境界は「空間」と「時間」とに分類される。  その前者の「空間」だけについて話せば、具体的な場所を挙げるとイメージしやすいかもしれない。「川辺(川と陸)」「門(敷地の内と外)」「橋(陸A と陸B)」「辻(道Aと道B)」など、何かと何

山と街のARメガネーーーアシリパから見える世界

 できることなら、多種多様のメガネをを切り替えるような生活をしたい。  「山」の生活をしたことがなければ、山はただの山にしか見えないという。つまり、山は「木や岩、あるいは緑や茶色の集合体」にしか見えない。そこにある動物の糞、獣道、旬の植物、地形の特異さなど山(の立地)によって異なる、生きとし生けるものの息づかいなどの細かな軌跡を見逃してしまう。  最近観始めたアニメ『ゴールデンカムイ』で、アイヌ族の少女アシリパは、山や森をよく観察し、何も知らないような人からすれば「ただの

『おいハンサム!!2』で見かけた、生クリームを手で泡立てる「不便益」

「不便の益 (benefit of inconvenience) 」つまり、「不便で良かったこと」を「不便益」というそうだ。 人工知能など、いろいろな自動化が進む中だからこそ、「不便ってなんのためにあるんだっけ?」という問いは見逃しちゃいけないものだ。 生活のすべてが便利になれば、人間の悩みが解決されるわけでもない(実際、解決された人などいないんじゃないだろうか)。 最近観た『おいハンサム!!2』6話で、イライラした三女・美香がケーキをつくろうとするシーンがあった。する

きょうのピーエス#5(世界の果てに...置いてきた、ミノタウロスの皿、わたしがオバさんになっても)

さてさて、安定のp.s.返しでございます。 『世界の果てに、東出・ひろゆき置いてきた』の追っかけ視聴していたのが、最新話までのキャッチアップが終わった。 その移動に合わせてのVR散歩も暇なときにやっているが、興味を掘り下げる「探求学習」とはこういうことなのかもな、と実感する。 活字だけで声を出して笑う、って意外とないもんだ『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』、うぐぐ、5篇ほど読んでからだいぶ長らく積読になっている。こうやって、人の本の知らせを聞いて、また手を出

きょうのピーエス#4(からかい上手の高木さん、だいじなケモノ道、ビジュアル・シンカーの脳)

くらえ、p.s.返し!  ってことで、映像、音声、文章の順番で、最近の見聞きしたコンテンツを振り返ってみます。 小豆島の記憶のゆさぶられ毎週の見逃し配信系はとりわけ触れず、新たな作品でいえば『からかい上手の高木さん(2024)』をNetflixで数日に分けて視聴した。原作漫画、そしてアニメの存在はなんとなく知ってたはけど踏み込まなかったやつ。 ただ、『愛がなんだ(2019)』『あの頃(2021)』『ちひろさん(2023)』といくつかの作品を観て、「なんだ、このうまく言語

Wander(VR)で、世界の果てに置かれてみた

試験前なのに勉強に手がつかず、なんとなく整理してたら、部屋の片付けを本格的にしはじめちゃった。そういうことが死ぬほどある。死ぬまでずっとゾンビのように繰り返す愚行だとあきらめつつ、逃げ場があるだけマシだと思うようにしている。 今日は試験ではないけど、やらないといけない作業が控えてるにもかぎらず、ふと視界に入り込んできたメタクエスト2が気になり、吸い込まれるようにVRゴーグルに頭を持っていかれた。 メタになる前の「オキュラス」のときに購入してからもう2年以上が経つがいまだに

モモウメ旋風

最近はやたらめったらYouTubeを開くたびに「モモウメ」を観ている。アップされてる動画はもう2~3周目に入った。おそらく飽きるまで何度も何度も見返すんだろうな。 ずーっと観続けていた「ポンコツクエスト」とのコラボ動画から知った、モモウメ。 アニメというフィールドでがっつりお笑いするってこんな感じなのかなぁ、と思えるようなコンテンツばかり。 2~3分の中でテンポよくボケてツッコんでが繰り返される。コント漫才のような掛け合いも、その情景/背景を具体的にイメージ共有ができる

足りなさが補うもの

  散歩中にハッとするときが多い。あれ、なんでだろうな。科学的立証はできない気もするけど、とにかく真剣に向き合ってはない、油断してるときほど突然やってくる何かがある。 「足りなさが、芸の魅力なのかもしれない」  『たりないふたり』というタイトル通りのオードリー若林さんと南海キャンディーズ山里さんにはじまり、どこか足りなさを持っている人たちの表現力に驚かされ続けている。  それを考えたのも、とある若手芸人の漫才がおもしろいのだけどグッとこないのはなんだろうという疑問が湧い

夏の青春と春の青春どっちが好きか

 青春ってのは”青い春”と書くくせに、ボクの頭では”夏”の青春ばかりがわき起こる。『タッチ』をはじめとした甲子園は、夏。  星野源もちょい役で出ていた『ウォーターボーイズ』も、夏。などなど、自分がこれまで見てきた漫画、映画(邦画)を振り返ると、いつも青春の野郎は夏にいることが多い。恋愛、部活、祭り、帰省など登場人物たちの心理的変化を促し、物語が転がりはじめるのは”夏休み”という境界をくぐらせてから! というレシピがあるのだろうか。もちろん、それは創作にかぎらず、現実でも青春

”女性性”がにじみ出てると感じる男性の歌詞について

もう恋なんてしないなんて 言わないよ絶対  よくよく考えてみたら、ほーんと、まどろっこしいことばだこと。「もう恋なんてしない」という否定文を「そんなこと言わないよ」とさらに否定し、挙句の果てには「絶対」と強調する始末。  マッキーのこの感性、嫌いじゃない。「また必ず恋しちゃうよ」ということばを、二重否定で表現する感じ。むしろ、好きだ。 『もう恋なんてしない』  楽曲の発表は1992年ってことだけど、あまり音楽に詳しくともなんともないボクの雑感として、90年代の楽曲って

寝起きの大地斬

 寝起きで頭に残っていることに尊さを覚える。  どれだけ裸に近く、肌蹴た文章を書けるか、ってのを気にしながら、最近では日記をつけている。それで、デジタル(web)よりは、アナログ(紙)のほうが服を着こまずに書けるなぁ、という肌感覚があるわけで。  あと、「いつ」書くかも大事な要素なんだろうなぁ。  最近だと、なるべくは”寝起き”直後に、400字原稿用紙1枚分の日記をつけるようにしてる。すると、まだ寝ぼけもあってか難しいことは考えられない。また、深く寝れない体質もあってか

「変化」をつける「境界」としての「試合」

 毎朝、7時頃には、猫どもがご飯をたかってくるので、どんなに眠たくてもキャットフードをお皿にとどけるのがボクの仕事になっている。今日もそんなあんばいで、仕事を終えて、そのまま寝床へ行き、二度寝に入る。8時半くらいには起きようかなぁ、と思っていたけど、実際8時半になってみると朝飯を食い終わったミソ(♀)がもぞもぞっと布団に入り込んで、やや肌を密着させて眠りこけている。その姿がのどかだったので、ボクは三度目を寝た。起きたら10時半ってことで、珈琲とトーストを腹にかっこみ、手書きで